常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

秋の歌

2016年10月04日 | 日記


今年は滅法台風が多い。初めのうちは台風の発生がないことがニュースになったいたが、8月になってから、毎週のように台風が日本列島めがけてやってくる。台風は云うまでもなく甚大な被害をもたらす。被災地の惨状は目にあまりある。だが台風が、舞台回しのように、季節を変えるのも事実である。異常に高まった海の温度を下げる働きや、北からの冷たい高気圧を呼びこむのも台風である。

予報によれば、明日から20℃台前半の気温になる。いよいよ秋本番である。ところで、秋の歌の好きなものをひとつ挙げよと、言われれば、「新古今和歌集」に入集している源通光のこの歌だ。

むさし野やゆけども秋のはてぞなきいかなる風の末に吹くらむ

武蔵野はいまでは都市化が進み、そこが広大な野原であったことなど、想像もつかないが、明治の代まで、行けども尽きぬ野原であった。歌の大意は、「武蔵野だなあ。どこまでいっても秋の景色が果てしなく続いているのは。この広い野原の末にはどんな風が吹いていることだろう。」武蔵野のあまりの広さに、その風は作者の想像を超えている。

いかなる風を、「どんなに哀れの深い風」あるいは「どんなにさびしい風」など、読むものの想像をふくらませる。だがその広大さゆえ、野分のよう強い風でなければ、とても野の末まで行きつけないだろう、想像するむきもある。武蔵野の広い大地を、切り分けるように吹きすさぶ風は、風流な歌の素材としては、やや無理な感じもする。

源通光は内大臣通親の子で、母は藤原範兼の娘、範子である。藤原俊成の娘婿であった通具は、通光の異母兄にあたる。官位の昇進も早く18歳で従二位権中納言に任じられた。彼をとりまく人々も、当代きって歌人が多く、歌の才は折紙つきであった。
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