常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

小松菜

2019年10月25日 | 農作業
昼なのに、雲が出て、夕方のようにうす暗い。風が出て、細かい雨が降っている。冬のセーターを着てみたが、少し身体を動かすと汗が出てくる。薄手の長袖に着替えてみる。この季節は、何を着ればいいのか迷ってしまう。台風が太平洋上を北上しているのだ。先週大きな被害のあった19号から、二つ目の台風が、太平洋を北上する。秋が深まっても安心できない。明日は、天気を回復を信じて、山行を予定している。

雨の予報が出たので、昨日、畑でオクラとナスの木を倒した。畑に残っているのは、小松菜とレタスのみである。秋野菜がたくさんあるなかで、なぜ小松菜を蒔いたのか、不思議だ。おかげで、秋の柔らかい小松菜が収穫できる。ビニール袋に3つほど採って、ニンジンや豆モヤシと合わせてナムルにする。秋の野菜不足を補うには絶好の食材である。その上、畑では、収穫した分以上に小松は成長するので、打ち出の小槌のような野菜である。

ふとテレビに目をやると、小松菜の調理方法が放映されている。よく洗った小松菜を5センチほどに切り、沸騰した湯に根に近い方を入れて茹でる。葉とは厚みが違うので時間差で茹でる。注意されたのは、水の取り方。一度水に入れても、茹でた熱が全部取れないないので、捨てて水を替える。そうすることで、小松菜の茹で上がりの色が違ってくる。マイタケは全部手で一枚づつに分け、枝の太い部分も小さく分け、レンジで酒蒸しにする。ボールに辛子醤油をつくり、マイタケからでた水分を加えて辛子醤油にダシと水分でほどよい味にして、小松菜とマイタケを食えて混ぜ合せる。簡単にできる小松菜の一品。

長き夜や書架に無数の文字眠り 林 翔


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義仲寺

2019年10月24日 | 芭蕉
時雨忌は、11月の第2土曜日、大津市の義仲寺で行われる。松尾芭蕉が世を去ったのは、元禄7年10月12日、長崎に向かう旅の途中、大阪で病に倒れ、多くの弟子たちに見守れながら亡くなった。その日を時雨忌として、墓のある義仲寺で、法要と句会が行われる。この日は旧暦であるから、新暦に直せば11月ということになる。芭蕉は

旅に病で夢は枯野をかけ廻る

の句を残しているが、この句が辞世と言われている。この句を詠んだのは、亡くなる前の8日で、病中吟となっている。そして芭蕉は、義仲の墓のある大津の寺に送り、義仲と自分の墓を並べ建てるように、遺言した。

芭蕉は木曽義仲という武将が好きであった。義経も好きで、奥のほそ道の旅で、平泉を訪れたのも、その墓に参拝することが、目的のひとつであった。だが、好きな武将であるが故に、その隣に墓を並べよ、という意図は弟子たちにもよく分からなかった。そのため、翁は湖南の風光明媚をことのほか好まれたので、その地で眠りたいのだろうと解釈していた。

辞世といわれる枯野の句を読んでみると、病で動けなくなっているが、夢のなかでは枯野を駆け回っている。辞世というよりも、死にきれない無念さが、句に出ている。
考えて見れば、木曽義仲も、志しなかばにして死を遂げている。そうした、無念の者同士が墓を並べて、あの世へと旅立ちたい、それが死に臨んで芭蕉が考えたことであったのではないか。

義仲寺には、保田与重郎の墓もある。中谷孝雄らとともに「日本浪漫派」を結成した作家で、芭蕉の研究にも熱心であった。中谷孝雄は、晩年、義仲寺の住持となり、芭蕉と保田のあの世での安寧を祈った。
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秋空

2019年10月23日 | 日記
雨が続いて、今日は朝から晴れた。空気が澄んで、千歳山も近くにみえる。秋は、雨の寒い日と晴れを、繰り返して次第に深まっていく。秋の風を白としてきたのは、古代中国の自然観である。白秋という熟語にたいして、春は青春である。芭蕉の句に

石山の石より白し秋の風 芭蕉

というのがある。昨日の即位の礼に向かう、天皇、皇后の両陛下が、身に着けたのは白妙の衣であった。その高貴な色は、まさに秋の色で、見る人を引き付けた。

しろたえの袖のわかれに露おちて身にしむ色の秋風ぞ吹く 定家

平安の頃は、別れとは一夜を過ごした朝の後朝の別れだ。その涙の色も白く、それが純白の衣に落ちる。その涙を吹き消すように、白々として秋風が吹き抜けていく。藤原定家の到達した、幽艶の境地である。昨日の、即位に礼には、こうした伝統の日本の美が随所に垣間見られた。
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生きる

2019年10月22日 | 日記
今日、即位の礼、今年だけの国民の休日になっている。11時から始まった即位の礼は、テレビ中継でみた。外は雨、台風20号の影響で、新しい時代が、雨に降らて始まった。雨は日本に豊かさをもたらしてきたが、新しい時代は洪水という大きな被害の苦しみのなかで始まった。183ヶ国の元首らが参列する盛大で厳粛な儀式であった。

夜の7時からは400名の内外の賓客を招いて饗宴の儀が行われ、即位の祝福を受けられる。この饗宴の儀に、一人の異色の招待者がいる。たった一人、沖縄の女子高校生、相良倫子さんだ。2018年沖縄県平和記念資料館が募った「平和の詩」に応募した、相良さんの「生きる」と題する詩は、選ばれてその年の沖縄戦没者追悼式で自身が朗読し、聞くの人の胸を打った。曾祖母の体験を聞いて綴った詩は、平和を願う沖縄の人々の切なる気持ちを書いている。

生きる 相良倫子

私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

私は今、生きている。
私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
海に打ち寄せしぶきを上げて光る波。
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光り。

私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。

ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。
私はこの瞬間を、生きている。

この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言うやすらぎとなり
私の中に広がりゆく。

たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがいのない今よ

私の生きる、この今よ。

七十三年前。
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

みんな生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きたきた、私と同じ人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただそれだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

詩はさらに続く。島の悲しみを語り、今を生きる命のための平和とは、普通に生きること。戦力という愚かな力を持つことではないと、訴える。この詩を書いた女子高校生が、令和天皇即位の礼の饗宴の儀に招待された。そのことに、大きな意味がある。沖縄の人々の心が、この詩のなかに書かれているから。

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睡眠

2019年10月21日 | 日記
スマートウォッチを身につけるようになって、自分の睡眠がチェックできるようになった。昨夜の寝つきは11時30分、起床7時40分。5時に尿意で目覚め、少し本を読んでまた眠っている。レム睡眠の時間は5時間45分、ノンレム睡眠が2時間25分。寝つきから5時の目覚めまで、レムとノンレムを10回も繰り返している。睡眠の評価は三ツ星の良であった。

年齢を重ねると、頭に白髪が出ると同じように睡眠にも変化が生じる。若いころに比べて睡眠は浅くなっている。ちょっとした物音、尿意などですぐに起きる。夏、熱中症の予防のため、水を多く飲むと、尿意のため何度も起きることになる。睡眠のメカニズムは寝る前にメラトニンというホルモンが分泌されて体温が下がり、寝る態勢が整う。朝、目が覚めるときはコルチゾールというホルモンが分泌されて体温が上がって起きることになる。20代までは8時間の睡眠がとれるが、70代を過ぎると、ホルモンバランスの影響で、6時間ぐらいしか睡眠がとれないのが一般的だ。

高齢者が眠れないために、睡眠薬に頼ったり、蒲団のなかに長時間いて、ストレスを抱えて睡眠障害になる例も多いらしい。若い世代が、スマホなどの使いすぎで睡眠不足になり、反対に高齢者では、もっと寝なければという意識がストレスになって睡眠障害を起こす皮肉な現象がおきている。ストレス解消には、適度な運動が一番適している。眠るのを促進するメラトニンは日光を浴びることで増えるが、それは日光を浴びて15時間後である。寝る時間に合わせて、朝日を受けて散歩する時間を決めるのもひとつの工夫だ。一日の時間の使い方で、その日の眠りの質が決められることを常に意識しておく必要がある。
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