13日まで、春の特別拝観で、いつも非公開の本堂など見ることができる尼寺の「得浄明院」。ミモロは、アヤメや、イチハツの花を見にお友達と出かけました。
さて、この「得浄明院(とくじょうみょういん)」は、伏見宮の第三皇女である誓圓尼(せいえんに)によって、明治27年(1894)に、信州、長野の善光寺大本願の京都別院の尼寺として建立されました。
交通機関が未発達の明治時代、関西から信州までお詣りに行くのが難しいことも、このお寺ができた理由のひとつ。さらに、尼寺であることから、多くの女性たちの救いの場としての役割も担ったのです。
「ミモロちゃん、あちらでお茶を頂きましょう」とお友達に導かれて、本堂のそばの緋毛氈の縁台へ、
「わー美味しそうなお菓子とお抹茶…いただきまーす」と、ミモロは、アヤメの花を鑑賞しながら、お茶を頂くことに。
「ミモロちゃん、こちらが、現在のご住職の伏見誓寛(ふしみせいかん)さまですよ」と、ミモロの前には、やさしい笑顔のご住職が。「こ、こんにちはー、ミモロでーす」と、やや緊張した面持ちでご挨拶を。
「ようこそ、いらっしゃいましたー。写真展、楽しく拝見しましたよ。ミモロちゃん、いろいろなところにいらしたんですねー」と。実は、先日の写真展に、ご住職は、わざわざミモロの写真を見に来てくださったのです。でも、その時は、他の来場者も多く、ゆっくりとご挨拶もお話をできなかったのでした。
そもそも門跡とは、皇族や摂関家など身分の高い人たちが出家して住職などを務める寺院のこと。皇女たちは住職などとなった寺院は、尼門跡と呼ばれます。京都には、尼門跡がいくつもあります。人形寺として有名な「宝鏡寺」、椿の花で知られる「霊鑑寺」なども尼門跡です。
小柄で、色白の伏見誓寛さまは、東京のお生まれ、なんと徳川15代将軍、慶喜の曾孫であり、伏見宮家とも親族関係にある方。世が世なら、ミモロが気軽に抱き着ける方ではありません。
京都のこの寺にいらしたのは、戦後間もない、昭和23年で、9歳の時に。東京から列車で何時間も揺られ、京都に着いたのは夜だったそう。実のお母様は、誓寛さまが生まれて間もなく亡くなり、お姉さまと共に、義母に伴われて、京都のお寺に入ることに。
「以来、ずっとお寺におります」と。
京都の尼門跡で、今も、皇室などのご出身のご住職がいらっしゃるのは、おそらくここだけとか。
「ミモロちゃん、もうお茶はいただきましたか?」ミモロは、なんとご住職に寄りかかりながら、寛いでいます。
「だって、ご住職といっしょだと、なんか心が清められてゆく気がして、とても気持ちがいいんだものー」と、なんかうっとりしています。本当に、お目に掛り、お話していると、心が落ち着いてくるよう…。
第5世住職を務めると同時に、茶華道圭鳳流三代家元でもいらっしいます。
奥には、自ら活けられた花が、飾られていました。
さて、境内および建物には、このお寺が門跡寺院であることを物語るように、菊の文様が、あちらこちらに。
花が飾られた場所の襖は、菊の中心分を描いたものだそう。
また、中庭には、徳川家と宮家ゆかりを物語るように、菊と三つ葉葵の瓦が。
「あ、ここにも三つ葉葵がある…」と、地面を見ると、瓦が、花壇の縁取りに。
「わーこの垣、すごくステキ…こんなの見たことない…」
さまざまな垣は、「桂離宮」で見たミモロ。でも、このように繊細な組み方をしたものは、初めて目にしました。
すっかりくつろいでいるミモロ。「ホントに、ここは、気持ちがいいお寺…」
「もっと早く知ってたら・・・何度もお邪魔したのに・・・」とミモロ。
まさに知る人ぞ知るお寺です。
13日までの春の特別公開…ぜひ、訪れてはいかがでしょう。
「また、伺ってもいいですかー」「はい、どうぞ…」と、ご住職とすっかり仲良しになったミモロです。
*「得浄明院」京都市東山区知恩院山内林下町 電話075-561-3767 特別公開は、13日まで、9:00から16:00.拝観料500円 公開期間中は、伏見誓寛門跡の説法(随時)や戒壇巡り、11日には、一初コンサート、13日は、式包丁なども。交通。知恩院前バス停から徒歩3分。また地下鉄東山駅からは、白川沿いを歩き、5分ほどに。
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