太秦の近くにある「木島神社(このしまじんじゃ)」通称「蚕の社」は、創建は、推古天皇の時代という歴史ある神社。
養蚕、染色など織物とかかわりのある秦氏とのつながりが深く、養蚕者、織物業者などの崇敬を集めています。
10月10日、11日は、この神社のお祭り。11日は、氏子町を神輿が巡行する神幸祭が行われます。
ミモロは、夏の御手洗祭に1度ここを訪れたことがあります。
境内に進むミモロ…「あれ、だれもいない…お祭り終わっちゃったのかな?」
神社の奥には、大きな神輿が1基、静寂の中に鎮座していらっしゃいます。
菊の紋章をもつ布をかぶる神輿…。周囲の空気を清浄にするような気を感じます。
今年、新たに作ったという大きな鳳凰が神輿の上に輝きます。
だれもいない境内…ミモロは、元糺の池に行ってみることに…
その奥には、珍しい三柱鳥居が立っています。「みんな、どこ行っちゃたんだろ?」と、ポツリ佇むミモロです。
と、そのころ、神輿は、氏子町を巡行し、近くの「広隆寺」に…。
「え~お寺にいるんだ~」急ぎ、広隆寺に向かいます。
いました、いました…広隆寺の境内で、神輿の差し上げが行われています。
静かな境内に、勇ましいホイットホイットという掛け声が響きます。
「なんか不思議な景色…お寺に御神輿がいるなんて~」と、目の前の景色を眺めながら思うミモロです。
やがて神輿は、広隆寺の「上宮王院太子殿」の前の石畳に下ろされ、僧侶により、お経が神輿にあげられます。
神仏習合の祭りです。
担ぎ手は、皆、頭をたれ、僧侶の声に耳を澄ませています。
その神事(仏事)が終了し、神輿の担ぎ手は、みなお昼休みに入りました。
その間、神輿は、石畳の上に…。
「え~直接御神輿置いちゃうんだ~」とビックリするミモロ。というのは、多くの神輿は、置くときに、神輿の下に木の馬(枠)を置いてから、その上に神輿を乗せ、地面に直接、触れないようにするのです。でも、ここは、直接置くのが、習いだそう。
午前中は、神輿と共にお稚児さんの巡行も…。5歳のお嬢ちゃまは、初体験。「楽しかったよ~」とニッコリ。
そばに付き添う父兄の方の方が緊張していた様子です。
「あの~神輿の巡行って、長い距離を進むんですか?」とミモロは、神輿の担ぎ手の方に…。
「はい、かなり長いですね~10キロ以上あるんじゃないかな~」京都の神輿巡行の中でも、長い方なのだとか…。
「あの~御神輿担いでどれくらいですか?」とミモロ。「そうね~30年かな?」「え、そんなになる?俺も35年だ~」と、かなりのベテラン。若い頃から一緒に祭りを盛り上げる仲間です。こういう絆の深さが京都の人間関係の基本。なかなかよそ者が入り込めない理由がそこに…。
「ほら、もうこんなになってますよ~」と、見せてくださった肩と首には、神輿を長年担いでできたコブが…。
「わ~すごい~」と、ミモロはビックリ。「これ、担ぎ手なら、大抵できてるんじゃないの」と笑顔で…。「整体に行くと、これ切った方がいいんじゃないですかなんて言われた…冗談じゃない…これ担ぎ手の勲章だからね~」と。
1トンを軽く超える神輿を担ぐために、できたコブ。京都の男たちの心意気を感じます。
やく30分の休憩時間。みんなはお弁当を境内で…。
その間ミモロは、広隆寺の国宝「弥勒菩薩半跏思惟像」を拝みに行くことに…。
天平時代と言われる国宝。かつて韓国の博物館で、同じような半跏思惟像を見たことがあります。おそらく大陸から日本に伝わったものと…。
久しぶりにお目にかかった弥勒菩薩さま。こんなに大きなお姿だったかと、改めて思いました。そばに供えられた白い山百合。その楚々とした姿が、弥勒菩薩さまによく似合います。「ずっと山百合をお供えしてるんですよ」と、そこにいらした係りの方。
ミモロは、弥勒菩薩様のお姿に感激し、その前に置かれていたお守りもひとつ求めることに…。
そうこうしているうちに、再び神輿が氏子町への巡行に向かう時間になりました。
「出発だ~」
神輿は、境内で担がれると、そのまま門へと進みます。
そして「広隆寺」の楼門をくぐり、三条通へ。
三条通で、車を止めて、お寺の正面で差し上げを…。
それから町へと入ってゆきました。「あ、宮司さん…」神輿に続く宮司さんは、シルバーのコンパーチブルに乗車。
すべてを見送り、「さぁ、これから、『粟田神社』の夜渡神事に行かなくちゃ~。ホント、この連休は、忙しい…」と、再び、地下鉄東西線に乗って、東山へと戻るミモロです。
*「木島神社」京都市右京区太秦森ヶ東町50 地下鉄東西線「太秦天神川駅」より徒歩8分。境内参拝自由
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