10月12日の「粟田神社」の神幸祭。いよいよ京都でも屈指の大きさを誇る神輿の氏子町巡行が始まりました。


境内には、「ホイット~ホイット~」という声が響き、勇ましい男衆に、差し上げられる神輿。その姿は、何度見ても、心躍ります。
粟田神輿会会長の一澤さんも、紋付姿で神輿に付添います。

ですから、江戸時代の雰囲気も今年が見納めになるのです。ということで、神輿の担ぎ手も、長年担いだ古い風情の神輿を担ぐのもこれが最後になります。

神幸祭の無事を願う神事に臨む江戸時代の神輿…この姿も見納めです。
特別な思いで担がれる今年の神輿。まずは、山の中腹の境内から、三条通に長い階段を下ります。



なだらかな階段をゆっくり神輿が降りてきます。ミモロもちょっとお手伝い…。


下り坂の進行には、後ろに綱がつけられ、みんなでそれを引っ張り、急に神輿が進まないようにガードします。

最初の難所は、鳥居。慎重に鳥居にぶつからないように注意しながら、担ぎます。


「ちょっといかつい人たちだけど、みんなやさしいんだよ~」と、ミモロもよくなついている神輿会のみなさんです。
「粟田神社」の神輿は、氏子町を巡行し、午後1時すぎに神宮道の「青蓮院」の勅使門へと到着します。
ここから、神輿は、階段を上がり、「青蓮院」の中へと入り、そこで神事が行われるのです。

その間、担ぎ手の多くや見物人は、門の外で待つことに…。

さて、「青蓮院」の内部では、どのような神事が執り行われるのでしょうか。
今回、ご縁があって、「青蓮院」の東伏見ご門跡のご厚意で、中にいれていただくことに…。

青蓮院の門の内側で、神輿を待ち受けるご門跡のお姿が…。
やがて神輿が、勅使門から、境内へと入ってきました。

ここで、「粟田神社」の佐々貴宮司さまによる祝詞の奏上。そして「青蓮院」ご門跡による御加持が執り行われます。

そして、すべてが終了すると、再び、勅使門から神輿は、町へと向かいます。

「なんで『粟田神社』の神輿が『青蓮院』に来るか、知ってますか?」と、東伏見ご門跡に言われたミモロ。
「え~よく知りません」と…。
かつて神仏習合が当たり前であった時代に、「粟田神社」には、本地仏の「薬師如来」と「十二神将」がお祀りされていたのです。それが明治になり、神仏分離、廃仏毀釈により、神社から仏像が取り除かれることに。そこで、その薬師如来像と十二神将像を、「青蓮院」がお祀りすることになったのです。
今は、「青蓮院」の前に『青不動』さまがいらした場所の脇にお祀りされています。
つまり、「粟田神社」の神輿が「青蓮院」を訪れるのは、かつて一緒に祀られた「薬師如来」さまと「十二神将」さまたちに、「どんな具合?お元気ですか~」とご挨拶にいらっしゃるということなのだそう。

東伏見ご門跡に、お話しを伺ったミモロ。神事の後に、その「薬師如来」さまと「十二神将」にお詣りに行きました。
「前にもここに来たことあるけど、この薬師如来さまが、『粟田神社』にいらしたって知らなかった…。今日は、久しぶりに粟田神社の神様にあえてよかったですね~」と静かに手を合わせました。
ミモロが、再び、神宮道に来たときには、すでに誰もそこにはいません。

夕方、氏子町の巡行を終えた神輿が、境内に戻ってきました。
多くの人たちが、神輿をお出迎え、いよいよ神輿から、本殿に神様がお移りになる還幸祭が始まります。
境内には、神輿の熱気があふれます。

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