10月12日、ミモロは、朝からワクワク…年に1度の東山「粟田神社」の神幸祭。剣鉾や神輿が、華やかに威勢よく、氏子町をまわります。
神輿に先立ち、町を浄める剣鉾を見送ったのち、ミモロは、境内で待機。

境内には、巡行を待つ、大きな神輿が鎮座しています。

でも、子供神輿も負けてはいません。2基ある子供神輿も、小さいながら、堂々とした姿…。

担ぐための長柄や鈴などをさらに取り付け、いっそう豪華になってゆきます。


それぞれ修復を重ねて、毎年、小さいながら品格漂う姿に…。


「ホント、細部までよくできてる~」と、近くで目を凝らして…。
子供が担ぐので、安全のチェックもしっかりと…。

「みんな、集まってくださ~い」と子供神輿を担当する神輿会のお兄さんたちの声で、子供たちが神輿の周りに…。

揃いの法被に、きりりと撒いた手ぬぐい姿…子供たちも大人の担ぎ手と一緒の姿です。
子供たちにとって、大人と一緒の姿は、とてもうれしいこと。一人前の気分です。ミモロも子供たちといっしょに…それが楽しくてたまらないのです。
「一緒に綱曳こうね~」と、小さな担ぎ手さんに、綱を持たせてもらいます。

いよいよ子供神輿が、大きな神輿の前に、境内を出発します。

昨年は、台風のため、神輿の巡行ができませんでした。2年ぶりとなる巡行に、祭りを取り仕切るみなさんの顔にも嬉さがあふれます。


この日を迎えるために、氏子町の多くの人が、祭りの準備に関わります。
まさに氏子町一丸となって当たります。さまざまな問題や課題なども、少しずつ乗り越えながら、年々「粟田神社」の祭りは、より大きく、また充実しています。
最近は、京都でも「粟田さんの祭りは、すごい…」との評判も。観光客の見物数も増加しています。
多くの神社のように、外部の露天商の出店も許さず、あくまでも地元の祭りの色彩を守り続けているのも、ここ特徴。
もちろん神輿や剣鉾の担ぎ手は、町内だけではなく、他からの助っ人も多く参加しています。ほかの町の人たちが、喜んで助けてくれるもの、粟田神社のみなさんの力によるもの。
神輿の巡行も、台車に神輿を乗せて、要所要所で、担ぐことが多いなかで、ここの神輿は、ほとんど人の手で運ばれます。つまり、それだけ担ぎ手の人数が集まるということ。それには、粟田の神輿会の人たちが、他の祭りのお手伝いにも、頻繁に出かけていることなど、さまざまなお付き合いによるのです。
また、夜渡神事の「大燈呂」も、京都造形芸術大学の学生たちとの連携と、そこに関わる多くの町の人たちの力により、復活し、年々、規模を拡大して、京都の風物になりつつあります。
子供神輿も、参加する子供の数も増え、その可愛らしさが、見物人を和ませます。子供神輿を経験した子供たちが、いっそう町への思いを強め、いずれ、この祭りを取り仕切る時代が来るのかもしれません。
東京では、地域の祭りに関わったことがなかったミモロ。京都に暮らし、「粟田神社」のお祭りに出会えたことで、地域へのかかわりが持てるようになったのです。「祭りって、人と人を結ぶものだね~。もっとミモロ、お手伝いしたい~」と…。
さぁ、そろそろ大人の神輿の出発が迫ってきたようです。
子供神輿を途中に切り上げ、ミモロは、神輿の出発を見守ることに…。

「もうすぐ出発ですか?」
「そうね、もうすぐ~」

神輿のそばで、見ているミモロを「おや、神輿の法被着てるんだ~かわいいねぇ~」と。「そうですか~それほどでも…」と、嬉しそうなミモロ。
お見送りの方の中には、おなじみの方々の姿も…。


「ホント、たくさんの見物人がいるね~」と、その多さに驚くミモロでした。

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