秋晴れに恵まれた10月12日。ミモロが楽しみにしている東山「粟田神社」の神幸祭が始まりました。神社に到着して…。


「粟田神社」の境内は、山の中腹にあり、そこまでなだらかな階段と坂道が続きます。その途中にある駐車場に、剣鉾保存会のメンバーさんが、すでに待機しています。




ところで、剣鉾の起源は、今から1200年以上前、神輿の先導役として、邪気を祓う祭具から…。この剣鉾が、祇園祭の山鉾のルーツとも言われます。長さ数メートルの棹の上に付いた見事な細工の剣鉾を差し手が支え、直立させ、棹の先についた鈴(りん)を鳴らしながら進みます。
「粟田神社」の氏子町には、18基の剣鉾があり、その数は、京都でもトップクラス。祭りの期間、氏子町の各所の会所には、その町が所有する剣鉾が飾られ、それを見て回るのも、祭りの楽しみに…。

さて、いよいよ剣鉾の巡行の時間が迫ってきました。


境内に上がったミモロは、下の駐車場の様子を見ながら…そして、そこから望む東山岡崎エリアの景色を眺めます。「粟田神社」からの眺めの良さは、格別で、「平安神宮」の鳥居などが眼下に…。
剣鉾の出発は、神輿の出発の約30分前。境内で、多くの人々が見守る中、拍手を浴びながら、次々に町へと向かいます。
今回、巡行するのは6基。各剣鉾は、4~5人が1チームで進みます。それぞれの剣鉾に因んだ模様染めの装束とわらじ履きのスタイルがなんとも粋です。
神輿が巡行する道を、くまなく浄める剣鉾。道中では、なんども差し上げが行われます。


先端部分が重い剣鉾をまっすぐ立てるのは、みんなの協力が必要…。重さ30キロ以上といわれ、安定した直立状態を保ちながら、進むだけでも大変。さらにその間、鈴を鳴らさなくてなりません。差し手によって、鈴の音が変わり、聞きなれている地元の人たちには、差し手の力量がすぐに伝わるのです。
「ミモロちゃん、見ててくれてるんだ~」と、剣鉾を指導なさっている大西先生。京都各所の剣鉾の指導と差し手の育成に尽力なさっている方です。

剣鉾は、同じものでも、綱の巻き方や鈴の位置などによって、支え方や鈴音に、違いが出るそう。すぐにできる技ではなく、年間を通じ、足腰のトレーニングが欠かせないとか。
三条通には、差し手が店主を務める店が…。
「あ、お父さんがやってはる~」と、「肉の荒井亭」のご家族も店先で見守ります。


つなぎ服の専門店「カドヤ作業服店」の廉屋さんは、「粟田神社剣鉾奉賛会」の会長さん。
お店の前で、差し上げる姿を、ご家族がじっと見つめていらっしゃいました。


祭りは、それに参加する当人だけでなく、家族の支えがあってこそ…。練習を積んだ晴れ姿を、熱い思いで、見守る家族です。
昼の12時20分に神社を出発した剣鉾は、氏子町を巡り、夕方、神宮道に出る最終コースに到着しました。


「ここの道って、電線多いんだよね~。大丈夫かな?」と、空を見上げて心配そうなミモロ。


電線を巧みに避けて、無事、鈴を響かせました。「ハラハラしちゃった~」とミモロもホッとした様子。
いよいよフィナーレともいえる勢揃いの差し上げが始まります。各剣鉾は、神宮道へと急ぎます。

「わ~すごい~」と、毎回ミモロが感激するのが、神宮道での勢揃い。


夕日を受けて、さらに輝く剣鉾です。
神宮道と三条通の交差点、車の通行を遮断して、剣鉾の差し上げが多くの見物人に披露されます。



「かっこいい~」と憧れのまなざしのミモロ。「男の子だったら、絶対剣鉾の差し手になるのに~」と。神輿の担ぎ手には、最近女性も増えていますが、剣鉾は、個人技。30キロを超える重量の剣鉾を普通の女性では支えることは難しそう。「きっとウェイトリフティングや重量級の柔道なんかの選手ならできるかも…」と、体の小さなミモロでは叶わぬ夢…。
フィナーレともいえる勢揃いの後、剣鉾は、神社へと戻り、そこで粟田神社の剣鉾以外は、おかたづけが始まります。


汗や指紋が付いた部分を布できれいに拭き、剣鉾の金属部分には、ワックスを掛け、さびを防ぐのだそう。この日は、応急処置だけ…。後日、丁寧に破損部分などを確認し、修復したのち、倉庫の棚などへ収納されます。
1回の祭りでも剣鉾の損傷はかなり進むのだそう。なにしろ江戸時代の作など、文化財クラスのものですから…。
神輿が到着した境内では、差し手が交代でさし上げながら、拝殿を3周。周囲の見物人からは、大きな拍手が上がります。

では、明日は、神輿の様子をお伝えします。
*「粟田神社」の詳しい情報は、ホームページで

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