東京から来たお友達を案内して、久しぶりに訪れた東山の「銀閣寺」。
「ここの生垣の道、好きなんだ~」と、ミモロ。まるで俗世界から切り離すような静寂の参道です。
京都に暮らすと、実は、なかなかガイドブックに載っているお寺に行くことが少ないのです。
「ご用事がないと、行かない…。あとはお友達を案内する時だけ~」
「久しぶりに来ると、新鮮・・・やっぱりいいね~」
東京などのお友達は、「ミモロちゃん、京都に暮らして、いつでも素晴らしいお寺や神社に行けたり、美味しい懐石料理食べれていいわね~」と言われます。でも・・・暮らすと、めったに懐石料理なんて食べないし、そんな何度も世界遺産めぐりもしません。
京都生まれのお友達には、「清水寺って、もう何十年も行ってない…」とか、「祇園祭の宵山も、子供のころ行っただけ~」とかいう人、結構多いんです。
ミモロも「銀閣寺は、よくそばは通るけど、中に入るの、何年振りだろ?」という感じ。
今年8月、ものすごく暑かった京都。でも気づくと、「あれ~あんなに鳴いてたセミの声、聞こえなくなったね~」とミモロ。
そう、つい最近まで、ミモロの家のベランダのそばで、クマゼミやアブラゼミが、うるさいほどに鳴いていたのに、今は、パタリと鳴かなくなりました。
「銀閣寺」のお庭を歩いても、やはりセミの声は聞こえません。
「もうセミさんいなくなっちゃったのかな~」歩きながら耳をピクピクでも、セミはいないよう。
「銀閣寺」は、「金閣寺」同様、京都御所の北にある「相国寺」の山外塔頭。共に世界遺産です。
もともとは、室町幕府8代将軍、足利義政が、応仁の乱で焼失した浄土寺跡に建てた東山山荘に始まります。すでに義政の時代に、お寺の跡しかなかった「浄土寺」。でも、今も地名に名をとどめています。
将軍職を息子義尚に譲り、文化芸術に没頭した隠居暮らし。妻、日野富子は、そんな夫に一切の資金援助はしなかったとか。「さっさとリタイヤして、趣味暮らしを始めた夫に、呆れちゃったのかなぁ~」
お庭は、義政自身が直接作庭にかかわったという「池泉回遊式庭園」。
庭内を、東山から湧きだした水などが、巧みにめぐります。
「銀閣寺」を代表する通称「銀閣」は観音殿のことで、東山山荘の建物のひとつです。
実は、義政は、この「銀閣」の完成を見ずに亡くなったのだとか。
ピカピカに輝く「金閣寺」は、義政のおじいさんの3代将軍足利義満が建てたもの。ここが「銀閣」と呼ばれるようになったのは、江戸時代から。「金閣」に対して「銀閣」ということで…。
黒っぽい「銀閣寺」は、銀が変色したとか、剥がれたとか思われがちですが、もともと、銀箔は貼られていなかったそう。なので、作った義政自体が、銀色にしようとしていかたは不明です。
ところで「義政のお父さんは、あの暴君といわれた義教なんだ~」。青蓮院の僧侶だった義教は、くじ引きで選ばれたことで知られる将軍。家臣たちを恐れされる凶暴ともいえる性格でも、その名が知られます。
さまざまな複雑な人間関係が渦巻く将軍家。「義政って、子供のころから、複雑な将軍家を見てて、そういうの嫌になっちゃったのかな~」とミモロ。
義政が求めた静寂の世界が、誰にも邪魔されない山荘。それがここ「銀閣寺」だったのです。
義政の死後、ここは、臨済宗の禅寺「慈照寺」になります。
東山の地形を活かした庭園の散策路からは、敷地内を一望。遠く町の姿も眺められます。
「銀閣寺」で有名なのは、本堂前に盛られた白砂の「銀沙灘」。
お寺の方が、その姿を整える美しい砂の造形です。
「あ、蜂・・・」砂のまわりには、大きな蜂が何匹も飛んでいます。よく見ると、砂が蜂の住まいになっているのか、無数の穴が砂にありました。
円錐形の砂のお山は、「向月台」と呼ばれるもの。
ここ「銀閣寺」は、月を愛でる場所として、造られたとも言われます。
月明かりに照らされる「銀沙灘」の姿は、どれほど幻想的なのでしょう。「一度見てみたいね~」と、誰もが憧れる景色です。
「銀閣」から池に映る月を眺める…義政が憧れた幽玄の世界があるのでしょう。
もちろんここも大勢の観光客や修学旅行生が訪れますが、夕方、拝観時間が終わる間際がおすすめ。
「あんまりゆっくりできないけど、静かだよね~」。
「前に訪れたことがあるお寺も、久しぶりに行くと、前とは違う感じがしていいね~」
週末から、ぐっと朝晩が涼しくなった京都。「やっといろんなところ、また見学に行ける~」と、ミモロの行動半径も秋と共に広がってゆきそうです。
*「銀閣寺」の詳しい情報はホームページで
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