「へぇ~松阪って、城下町だったんだ~」と、全く松阪という町の知識がなかったミモロ。初めて訪れた町を散策します。
「松阪に初めて来たなら・・・」と駅前の観光情報センターで教えてもらった観光スポットを今回は訪ねることに。
町の中心部に位置する「松坂城」。そこが今回のミモロの観光のポイントです。
安土城の築城に加わり、名城で知られる会津の「鶴ヶ城」を築城した蒲生氏郷が、会津に行く前に築城したのが「松坂城」です。今残るのは、石垣だけ…。でも、その石垣の強固さと美しさは、そこが名城だったことを物語るもの。かつて石垣の上には、三重五階の天守閣が聳えていたそう。江戸時代初期に紀州藩の統括するところとなり、なんでも天守閣は、台風で倒壊し、
以来、再建されず、天守台のみに。二の丸に紀州藩の「御城陣屋」が置かれ、明治維新を迎え、明治4年に廃城となります。
築城当時の面影を留める石垣。「ヨイショ・・・」ミモロは、ジャンプ。
どこまで行くの~。さすがネコ高い所は、得意のよう…。
城内を歩いていると、「あ、お屋敷がある~」
ここは、1909年に移築された、国学者 本居宣長が12歳から72歳まで暮らした家。1691年建築の国特別史跡です。
「公開されてるんだ~」とミモロは受付で、入館料400円を払います。「今日は、記念館の方は、見てもらえませんが、旧宅は2階も見ていただけますよ。階段急だから気を付けてくださいね~」と係の方。普段は、公開されていない2階です。
まずは、入口から座敷へ上がります。
そこにあった資料によると・・・
本居宣長は、昼間は医者として往診にでかけ、夕方帰宅すると、町内をはじめ、諸国から訪ねてうる人たちに「源氏物語」や「万葉集」など、日本の古典、また中国の書物などの講釈をしていたのだそう。そしてみんなが帰った夜更けから、「古事記」の研究と「古事記伝」を書き続けたのだそう。
家の奥の部屋が、応接間兼勉強部屋だったのだとか。
「ここでお勉強してたんだ~」
部屋には、「古事記伝」の複製本があり、自由に見ることができます。
「細かい字・・・几帳面な人柄がわかるね~」「これ筆で書いたの?」
自由に時間が過ごせる場所。ゆっくり「古事記伝」を読むのもいいかもしれません。
「ここに5人の子供の7人家族で住んでたんだって…」
確かに、広い家ですが、家族7人が暮らすには、個室を持つことはできそうもありません。
本居宣長が53歳の時に、2階を増築。
家の向かい側から、その2階を見ることができます。でもこの日は、2階も見ることができました。
急な階段を上がると、4畳半くらいのこじんまりとした部屋が・・・。
「あんまり広くないけど、なんか落ち着くお部屋だね~」
部屋自体は小さめですが、外に大きく窓が開き、とても開放的。部屋の狭さは気になりません。
床の間の柱には、赤い紐に鈴が連なるものが…。
「誰か呼ぶためのもの?」とミモロ。それもあったかもしれませんが、勉強に着かれたときに、この鈴の音で気分転換していたのだとか。
「夜中にリンリン鳴ったら、家族の人たち眠れないね~」と変なことを想像するミモロです。
鈴を愛した本居宣長。それにちなみ、この家は「鈴屋」と呼ばれます。
松阪の町を歩くと、至るところに鈴が…「駅前にも大きな鈴のオブジェあったね~」そう、鈴は松阪のシンボルなのです。
「うちにも似たような鈴あるね~。今度、本読んだりして疲れたら鳴らしてみようかな…」とミモロ。
昔は、テレビも、オーディオもなく、気分転換に音楽などを楽しむことはできません。そう考えると、昔の夜は、本当に静かで、また行灯やろうそくの光の照明で、かなり暗かったはず。現代では、想像もできないほど、自然の音が聞こえたはず。
「え~ちょっと怖いかも…」
人工的な音というのは、祭りや芝居、能舞台などでしか聞けず、暮らしの中で、気軽に音を楽しむのは、自分や身近な人が歌ったり、笛や三味線、琴などを演奏するしかなかったのかもしれません。だからすごく手軽に音が楽しめる鈴を愛した気持ちもなんとなくわかります。
城の中をトコトコ散策するミモロ。「町がよく見えるよ~」
今は、ビルなどが目立つ町並み。でもさぞや昔は、瓦ぶきの屋根が連なり、美しかったことでしょう。
この日は、さまざまな収蔵品がある「本居宣長記念館」は見ることができませんでした。残念…
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