寺町通の御所東、「廬山寺」の並びに位置する浄土宗大本山「清浄華院」。
「ここでも節分会やってるみたい~」とミモロは、境内に進みます。
「あれ~もう終わってる~」
すでに「浄山不動講 節分大祭」の大護摩供は、終了し、境内の中央では、煙のみが上がっています。
2月3日の節分は、京都各所で行われる節分会。追儺際など鬼が活躍する場面は、ほど同時間に行われるため、どこか1か所しか行けないのです。
「う~残念・・・もう鬼さんいない…」と境内をキョロキョロ見回し、鬼の姿を探すミモロです。
「あれ~ミモロちゃんじゃない?」と声を掛けてくださった方が…。「あ、お久しぶり~」以前、取材に伺ったお店の方がそこに…。「あの~鬼さん、もういなくなっちゃんだんですか?」と残念そうに言うと、「ちょっと待っててね~」と・・・奥へ。
「ガオ~」「あ、鬼さんだ~」と喜ぶミモロ。すでに鬼さんは、いい鬼さんになって、人間になってしまっていたようで、お面だけが残っていたそう。それでミモロのためにお友達が、お面をかぶって鬼さんになってくれました。
お寺の僧侶の方、そして山伏さんといっしょに、小鬼のミモロと記念撮影。
「わ~鬼さんに会えてうれしい~」と大喜びのミモロです。なんてやさいい鬼さんでしょう~。
「来年は、間に合うようにきますね~」とミモロ。
「どうぞ、おぜんざい召し上がってください~」と。「え?ぜんざいあるの…」声の方へ駆け寄ると、大きなお鍋に白玉がいっぱい浮かんでいました。
「はい、どうぞ」
白玉が浮かぶぜんざいで、体も心もほっこり。
仮設テントでは、お札やお守りが並んでいます。
「あれ、かわいい鬼…」とミモロを抱っこしてくれたみなさん。
「鬼じゃないよ、ホントはネコ…」とミモロ。「あれ~クマかと思った~」とみなさん。
さて、ここ「清浄華院」(しょうじょうけいん)は、浄土宗八総大本山のひとつ京都にある4か寺の本山のひとつでもあり、法然上人の25霊場の23番です。
その歴史は古く、貞観2年(860)に清和天皇の勅願により、天台宗の慈覚大師が宮中に禁裏内道場として建立したのに由来します。清らかなハスの花のような場所という意味を込めて「清浄華院」という名になったとか。
御所とのかかわりが深く、宮中の多くの人々の崇敬を集め続けたお寺です。
室町時代に浄土宗のお寺となります。応仁の乱などさまざまな動乱により、かつてあった大きな伽藍は焼失。
現在の場所に移ったのは、秀吉の時代です。
寺内の墓所には、天皇の皇子、皇女たちの墓所があり、公家の女性たちの菩提寺です。
きっと昔は、幼く命を失った皇子や皇女がいっぱいいたのでしょう。歴史に記されない命も多かったはず…
また、庶民の信仰も集め、境内には、不動堂が建立され、今も不動講が盛んに行われています。
また、境内に見つけた石碑。
「あ、ここにも松平容保さんが宿泊してたんだ~」と、幕末、京都の守護を仰せつかった会津藩主が、宿舎を置いたのだそう。「こんなに御所の近くにもいたんだ~」。会津藩は、ここから東に位置する「金戒光明寺」に陣を構え、京都の守護に当たっていました。
いろいろな歴史が重なるお寺です。
京都の町中の多くの神社仏閣は、応仁の乱や幕末の動乱、さらに度重なる大火により、創建当時の姿を留めるところはほどんどないと言っていいかもしれません。また、秀吉の京都の町の大改造で、移転を余儀なくされた寺院、廃仏毀釈で廃寺になったところなども…。さらに戦中に、大きな通を整備するため、立ち退きを余儀なくされた家々など、京都の町の姿は、歴史と共に大きく変わっています。
「今は、住民の力が強いから、無理やりどこかに移転させられることないけど…」とミモロ。
今、京都の町の姿を変えているのは、観光客の誘致に伴うホテルの建設。また相続税対策で進むマンションの建設、お寺や神社の経営に付随する施設の建設などで、ミモロが暮らし始めた数年前からもかなり変化していることを感じます。
ここの敷地内には、介護老人福祉施設があります。「お寺と老人福祉施設の組み合わせって、やすらかな気持ちになれていいかも~」と。
「あ、なんか始まった~」
「また、燃えてる~」お札やお守り、仏壇などを焼く浄焚式が始まりました。
読経の声が境内に響きます。
*「清浄華院」の詳しい情報はホームページで
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