ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

大阪の人々の心意気で再建された2代目の「通天閣」。初代のモデルは、パリのエッフェル塔

2017-02-16 | 国内旅行

「大阪に来たから、やっぱり1度は行かなくちゃ~」と、ミモロが向かったのは、大阪のシンボル「通天閣」です。
 恵美須町駅の近くから続く商店街を通って塔の下に進みます。
「なんか人通りの少ない商店街だね~。今日はお休みなのかな?」と思うほど、営業しているお店が少ない商店街。でもきっと夜になると、人でにぎわうのでは…。

 「通天閣」の真下に到着。上を見上げると、美しい天井画が。「こんなのあるんだ~」と見上げるミモロ。これは初代の「通天閣」にあったものを復元した天井画です。現在の「通天閣」は、2代目に当たります。

「ところで、どこから入るんだろ?」階段やエレベーターを使い、建物の中をあちこち通ります。
途中には、お土産ものやお菓子を売るお店がいっぱい。

やっと展望台入口に到着。入場券を買って、そこからエレベーターで上に…
「あ、ビリケンさん・・・」エレベーターの天井に星やビリケンさんが浮かび上がり、それを見ながら上へ。

エレベーターのドアが開くと、そこには、大阪の町の景色がバ~っと広がりました。
 
「あれ、あべのハルカスだ~。あそこ、天王寺動物園、それから大阪城も見える…」と眼下の景色を眺めます。でも、ミモロは、大阪の町を知らないので、ほかにどんな建物があるかよくわかりません。
「あっちの方が京都・・・?京都タワー見えないね~」とはるか彼方を眺めますが、京都までは見えません。


「通天閣」は高さ100メートル。「京都タワーと同じだ~」とミモロ。
でも、その歴史は、明治にまでさかのぼります。

初代「通天閣」ができたのは、明治45年(1912)のこと、明治36年に開催された第5回内国官業博覧会の会場の跡地に、遊園地の「ルナパーク」と共に建設された、まさに日本のアミューズメントパークの先駆けで、その中心的存在だったのです。

ちなみに、第4回内国官業博覧会は、京都の岡崎エリアで開催され、「平安神宮」が創建されました。

さて、初代「通天閣」は、パリのエッフェル塔をモデルに作られ、塔の下には、凱旋門を模した建物もありました。
初代の塔の高さは75メートル。でも当時としては、日本1の高さでした。
 


さて、現在の「通天閣」の展望台は、ビリケン神殿と呼ばれる黄金のフロア。幸運の神様のビリケンさんが迎えてくれます。
ビリケンさんが生まれたのは、明治41年。作者は、アメリカの女性アーティスト、フローレンス・ブリッツです。日本には、翌年から輸入され、当時の大阪では、商売繁盛のマスコットとして人気を博したそう。
「わ~なんか今のキャラクターみたいだね~」とミモロ。
現在のビリケンさんは、三代目です。

足の裏を撫でると幸運になるそう。「やってみよう~こちょこちょ・・・」とミモロもくすぐってみました。

展望台は、その御殿ですから、金ピカのまばゆい内装。いろいろなものが金色に輝いています。
「すごいゴミ箱もゴールド!」とビックリ。

幸運を招くビリケンさん。ここでは、さらなるご利益を願うのか、「七福神」の姿の像も。
  

「すごい~夢をかなえるゾウもいるよ~」とミモロがすり寄ったのは、ヒンドウー教の守護神の象をモデルにしたもの。「夢をかなえるぞ~っていうシャレもはいってるんだ~」 


「さすが大阪・・・金ピカ好きなんだ・・・」とミモロ。でも、なんとなく楽しい気分に…

さぁ、そろそろ下へ降りましょう。「あ、階段もあるよ~」
 
そばには、途中で引き返せないので、足に自信のある人のみ・・・という表示が。
「やっぱりエレベーターにする…」と、ミモロ。よかった~どれくらい時間かかるかわかんないもの…降りるのに。

3階部分は、昔の様子を再現したジオラマがあります。
 

初代の通天閣には隣接する「ルナパーク」という遊園地がありました。
「え~ルナパークってアメリカにあるよね~」とミモロ。そう、最初にこの名前がついた遊園地は、ニューヨークの自由の女神像のそばにあるコニ―アイランドです。この名前の遊園地は、世界中にあり、世界最初の遊園地チェーンです。それを参考に作られた遊園地で、アトラクションもいろいろ。

「わ~なんかディズニーランドみたい~」。そうね・・・大阪は、「新世界ルナパーク」と呼ばれました。

大人も大勢楽しんだ、まさに大阪人憧れのハイカラな場所が、この「通天閣」と「ルナパーク」の新世界エリアだったのです。

「ルナパーク」は、大正14年にその営業を停止。

初代の「通天閣」は、昭和18年に下にあった映画館が炎上、解体されることに。その塔の鉄は、当時、戦時下にあったことから、供出されます。

2代目が生まれたのは昭和31年。大阪にシンボルが欲しいという地元の人の出資などにより、再建されます。設計は、東京タワーと同じ、内藤多仲。鉄骨建造物を得意とし、全国に電波塔など70基を手掛けています。
「へぇ~東京タワーと通天閣って兄弟なんだ~」とミモロ。

まさに大阪の人々の心意気の象徴。それが「通天閣」なのです。



「通天閣」にあったグリコのステージで遊ぶミモロ「やっぱりグリコは、大阪だよね~」
ここには、「通天閣限定」のお土産ものやお菓子がいっぱい。
外国人観光客も多く訪れる、大阪を代表する観光名所のひとつです。





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