「ミモロちゃん、桜満開よ~見に来ない?」と京都の南、「京都競馬場」のある淀に住むお友達が連絡をくれました。
「え?もう桜・・・?まだ琵琶湖疎水や鴨川なんかの桜咲いてないよ~」とミモロ。
実は、その桜は、早咲きで知られる「河津桜」です。
京阪「淀駅」から、「淀城址公園」方向に進み、淀川に通じる「淀水路」沿いに、地元の人により「河津桜」が植えられ、年を経るごとに、その数も増え、今や地元の桜の名所になっています。
「わ~なかなかキレイ~」水路沿いにピンクの帯が伸びて、なかなか春らしい景色。
まだ木が若く、それほど大きなものではありませんが、花の付きは素晴らしく、細い枝先にいっぱいの花を重そうに垂らしています。
ミモロ、ポーズ・・・「うん…」と桜のそばに立つミモロ。
実は、この日、すごく風が冷たく、しかも強く吹いて、ミモロは立つのが大変でした。
「寒いよ~ブルブル・・・」もう春なので、襟巻もしてないミモロは、風の冷たさに震えあがっていました。
桜のそばには、菜の花も…ホントに春らしい景色だけど、とにかく寒い!!
さて、今や全国にその姿が広まった「河津桜」。オオシマサクラとヒガンサクラの自然交配により生まれたものと言われます。その原木があるのは、静岡県の伊豆の河津町。「何度も温泉にいってるところだよね~」とミモロとしては懐かしい桜なのです。日本にいち早く春の訪れを告げる桜として、さまざまな地域の町おこしなどに普及しています。
淀の水路沿いに咲く河津桜。「京都の桜の名所に将来なるかもね~」
クンクン・・・香りはあんまりないみたい…。
花には、メジロが蜜を食べに来ていました。
さて、そこからミモロは、「淀城址公園」に戻ります。
このお城は、秀吉の側室淀君のために築いた「淀城」ではありません。その「淀城」は、ここから北へ500メートルの場所にあったそう。これは、江戸時代に幕府が、松平定綱に命じて築城。山城唯一の譜代大名の居城です。
「昔は、立派なお城だったのかな~」大きな石積みの石垣。大きな年輪の木などがその歴史を物語ります。
「え~これ樹齢何年だろ?」
この城があるのは、交通の要所。淀は、大津、京都から流れる川が合流する広大なエリアです。
特に大阪と京都間の物資や人の輸送の要。支流や水路には、船が行きかい、それは活気ある場所だったのです。
今は、輸送手段は、船から車や電車になりましたが、その昔は、まさに水の都のように、荷物や人を積んだ船が行きかう景色がそこに…。
淀城址公園には、「稲葉神社」が。これは、この城を居城にした稲葉家の祖神をお祀りする神社です。
稲葉家は、三代将軍家光の乳母として大奥で絶対的なパワーをもった春日局の養母の実家であり、かつて夫であったのは稲葉正成。この城には、江戸時代末期まで稲葉家が藩主として納めていました。
また、淀城は、幕末の「鳥羽伏見の戦い」で敗走する幕府軍が籠ろうとするのを拒絶。それは、以前から生じていた藩内部での分裂により、城にいた藩首脳部は、新政府側との密約を交わし、新政府軍に味方したのでした。
「淀城」の藩主、稲葉家は、関ケ原の戦いで西軍から東軍に寝返り、徳川家体制の中で、重要な立場をゲットします。
もしかして遺伝子的に、戦いでどっちの軍についたらいいかを見る目が備わっているのかも…と思ってしまいます。
「時代の流れに敏感な一族なのかもね~」と、変なことで関心するミモロでした。
城址公園にある石。「これパワースポットかな~」。なんでも伏見城の石のひとつだとか・・・なんのための石かは不明です。
「わ~ここにも桜咲いてる…」ソメイヨシノの花はまだ・・・でも確実に4月になれば、京都中は桜に彩られます。
「あと2週間だよ~。もうすぐだね~」と桜が楽しみなミモロです。
*「淀城址公園」および河津桜の緑地公園は、京阪「淀駅」から散策するのにぴったりです。
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