堀川通から高辻通を西に行くと、古い町家があります。
ここは、「真田紐師 江南」という工房です。
「え~ここだって、よくわかんなかった~」と、その前を行きすぎてしまったミモロ。さりげない看板がかかります。
「あの~遅い時間に伺ってすみません」と、ミモロを案内してくれたお友達と一緒にお店の中へ。「どうぞ、よくいらっしゃいました~」と仕事の手を休めてミモロたちを迎えてくださったのは、ここの店主、和田伊三男さんと奥様。
「あなたがミモロちゃん?よくいらっしゃいました~」と笑顔で歓迎してくれました。
和田さんは、このお店の15代目。なんと戦国時代の末期に、伊賀から京都に移り住んだご先祖様が培った真田紐の技を受け継いでいらっしゃいます。
「ミモロちゃん、真田紐って知ってますか?」と和田さん。「はい、帯締めなんかにする編んだ紐でしょ?」とミモロ。「いいえ、それは組紐。真田紐とは別のものですよ~」と和田さん。
「え~真田紐って組紐の技のひとつじゃないの?」とミモロ。「違います。別物・・・」
「組紐は、丸台などで複数の糸を交互に編んで紐にします。一方真田紐は、機(はた)を使い、縦糸と横糸で織っていくもの。つまり織物なんです。」と和田さん。
「え~そうなんだ~。知らなかった~」と目を丸くするミモロ。
なんでも真田紐の起源は、ネパールなどで作られる獣の毛をつかった織物と考えられているそう。
民衆の中で育まれた、生活に欠かせない実用的な紐として、アジアを経て日本に伝わります。
真田幸村やその父昌幸が、戦いに備えた武具などに用いられ、「真田紐」の名の由来になったと思われていますが、それだけではないよう…。
真田紐は、武将の甲冑の装飾ための紐だけではありません。実は、甲冑のない下級武士や農民が武装する場合、この真田紐を頭や腕に巻き付け、体を守ったのだそう。
「また刀などをよける武器にもなったんですよ~」と和田さん
ミモロが持つ刀に真田紐を巻き付けて、「こうやって刀を奪ったり、よけたりしたんです」と実演。
つまり、戦いに備え、紐を作る技術が真田家に関係する人々に伝わり、その技術が脈々と受け継がれていったのです。
真田紐とは、その紐を作る技術をもっていたことから名付けられたとも言えるかも。
装飾品ではないので、男たちもその技術を習得したのです。
とても丈夫な真田紐は、物を運搬する際にも多用された実用紐。「昔、荷物を縛ったり、飛脚などもこの紐を使っています」。
お茶道具や掛け軸など、大切な品を木箱に納めるときにもよく使われています。
「縛り方難しい…」とミモロ。
「ホントにいろんな配色があるんだ~」とミモロは、和田さんが見せてくださった資料を見て…。
「そう、例えば、茶道のお家元などは、決まった配色の紐を使います。大名家なども自分の配色の紐を使っていたんです」と。「え~じゃ、紐を見ると、それが誰のものかわかるんだ~。まるでタータンチェックみたい…」とミモロ。そう、だから茶碗で箱書があっても、中身と真田紐の配色が合わないと、「あれ?」ということになるだそう。また、戦いで死んだとき、どの家の者かを識別する手助けになったのも真田紐なのだとか。
「紐の配色は、その家に関係するものにしか使えませんから、ほかの人が同じのを作ることはできないんです」と。
「そうなんだ~。ミモロ専用の配色の紐があったら、素敵だなぁ~」と、ひそかに思うミモロでした。
和田さんは、「真田紐」の魅力を多くの方に伝えたいと、工房を訪れる人に、わかりやすく資料を使い説明をしてくださいます。
「真田紐ってすごい~」と、ただきれいな配色の丈夫な紐と思っていた真田紐に知られざる魅力があることを知りました。
「あの~あれなんですか?」と天井そばに置かれた木製のものを見て…。
「あれは、御所の六条御殿に入るときの許可証です」「でかい…あの~指物って書いてありますけど・・」と目ざといミモロ。「うちは、真田紐と同時に、木箱を作っていたんです」と和田さん。
なんでもお客様が「この品を納めたいんだけど、ちょうどいい箱も作ってほしい」という要望が多く、それに応え、真田紐で結んだ木箱を作り、合わせて納めていたそうです。
「今は、指物はやってませんけど…」
「ミモロちゃん、実際に真田紐織ってみますか?」と和田さん。
「え~機に座れるの・・・うれしい~」とミモロの真田紐製作体験が始まります。
*「真田紐師 江南」の詳しい情報は、ホームページで
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