以前、醒ケ井仏光寺にある「京空間MAYUKO]の「里帰り展」でお目にかかった川瀬さん。明治27年おじいさまが、舶来雑貨店を河原町五条に創業。戦前まで、ハイカラな京都人御用達の人気のお店でした。歴史の移り変わりの中、一時閉店。戦後は、西陣織などを使った創作雑貨とタバコ屋さんを営んでいました。


長らく町のタバコ屋さんとして、ご近所の方々に愛され、お店には、いつも行き交う人を見守る川瀬さんのご家族が座っていたそう。
ミモロは、ある日、このお店にお邪魔することに。それは、今年8月で、創業以来商売を営んでいたこの土地から、醒ケ井仏光寺へと移転することになったので、その前に、歴史あるお店やお家の様子を見せていただくためです。
「こんにちは~」「あ、ミモロちゃんいらっしゃい~」とお店で待っていてくださった「京空間MAYUKO]の黒田さんと気谷さん。

もうお引越しの準備が進んでいるので、ミモロもマスク姿です。
お店には、いろいろな小物が飾られていました。


このタバコ屋さん部分は、なんと手動で動くのだとか。開店でシャッターを上げると、ぐ~と前に押し出して、タバコ屋さんになるのだそう。「え~歌舞伎の舞台みたい~」とミモロ。そう閉店の時は、またシャッターの内側に移動させるそう。

さて、ここは、かつて舶来雑貨店だったので、その当時、洒落た品々を並べた棚なども姿を留めています。


洋館風の外観としっかりとした和風建築が融合したお店だったのです。

「ミモロちゃん、どうぞ上ってください~」とお許しをいただき、まずはお店の2階へ。
ここは、河原町通(正確には寺町通りになるそう)に面した間口から、ぐ~と奥行きの深い土地に、店、住まい、蔵が建っています。
店の2階へは、店の棚の蔭にある階段で…「え?こんなところに階段があるんだ~」と驚くミモロ。
2階部分はかつて事務所や商品を保管した場所。「わ!洋間だ~」

「あ、棚にいろいろ置いてある~」


戦後、2階は、もっぱら倉庫や趣味の部屋として使われていたとか。
「これコカ・コーラの景品?なんか京都らしい~」とミモロが珍しがったのは、陶器の「たち吉」製の紅白の小鉢セット。昭和40年代、コカ・コーラを買った人への景品で、京都色の方が勝ったのか、全くアメリカ生まれを感じさせない日本仕様です。
次は住まい部分。こちらも押入れのように襖を開けるとそこに現れた階段で2階へ。


もう引っ越しの準備で、荷物が移動されています。
住まい部分は、敷地の中ほどにあり、中庭の向こうには、お蔵があります。


「本当に京都のお店って、通りから見ただけじゃ、その奥どうなってるのか全くわからないね~」とミモロ。
庭には、大きな椿の木があります。
かつての座敷には、古いタンスも。


「あ、そろばんやお人形もある~」


すでに大切なものの移動は済み、ここには、これから移動したり、処分されるものが残っています。
「これは、持って行くんだって~」。明治時代のポスターなど貴重な品々も拝見しました。


「ミモロちゃん、お蔵の中、入ってみる?」といわれ、「はい、お宝あるのかも…」と張り切って向かうミモロ。
「もう、いろいろ片付けたからね~」と…でも、そこには、戦前、戦後の日本の暮らしを留める品々がいろいろありそう…
ミモロが興味を抱いたのは、古い写真。

祇園祭の岩戸山が、巡行している様子です。「これどこ?」とミモロ。「たぶん四条通か河原町通かなぁ~」と。
市電の線路の上を山が移動しています。
かつて、山鉾の巡行は、京都御所からもその様子を知ることができたそう。つまり全く高い建物がなかったから。
今は、遠くから見ることは全くできません。
京都の老舗などが軒を連ねた河原町通。近年、その変貌はすさまじく、今や、どこの町の通りかとわからないほど、ビルが連なり、東京などにもある大規模店舗が並んでいます。「お買い物には便利だけど~」と、ミモロもときどき出かけます。
ミモロが京都に住み始めてからも、ずいぶん町は変わりました。
実は、この「川瀬大化堂」がある場所も、周囲の敷地と共に、大きなホテル建設計画があるのです。
次々に建つホテル・・・そしてマンション・・・ますます増加する観光客。
いかなる時代の中でも、たくましく生きる京都の人たち…変わりゆく時代で、暮らし方は変わっても、頑なに守り続けるものがあることを、感じるミモロでした。

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