ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

豊かな香りとピリッとした辛さが魅力、手作りの京風味、七味とんがらしの「京都 森勝」。

2014-02-23 | ものづくり

「ミモロちゃん、手作りの七味とうがらしの小さなお店に行ってみない?」とお友達に紹介されて、出かけたのが、「京都 森勝」という通信販売で七味とうがらしを販売しているお店の工房です。
 ご主人の金森さんが、自宅を改装し、手作り七味とうがらしの工房を始めて10年。「注文を受けてから、おつくりする七味です。全国から、ご注文いただいています」と。「あのーミモロ、お手伝いしたいんですけど…」「はい、よろしくお願いします」ということで、持参したエプロンと三角巾で、お手伝いの用意を…。

工房の作業机には、山椒粉、ゆず粉、海苔、ゴマなど、いろいろな七味とうがらしの材料がずらりと並んでいます。
 ここでは、生産が禁止されている麻の実以外、国内産の材料を使い、独自のブレンドで、風味豊かな七味とうがらしを作ります。
「わー辛そうなとうがらし…」

七味とうがらしは、料理の味をさらに引き出す、日本料理に欠かせない香辛料。うどん、そばをはじめ、鍋料理などに必須アイテム。主原料のとうがらしに、けし、陳皮(ミカンの皮)。ゴマ、山椒、麻の実、シソ、海苔、青のり、生姜、菜種などを合わせて作ります。江戸時代に、両国薬研堀(やげんぼり)でつくられ、江戸名物に。昔から東京(やげん堀)、長野(善光寺前 八幡屋磯五郎)、京都(清水 七味家)は、日本三大七味唐辛子といわれるそう。
「東京は、蕎麦にあう辛みの強いもの。寒い長野は、生姜などをいれて、体が温まるもの。そして京都は、だしを際立たせる風味豊かなものといえるかも…」と金森さん。「東京では、七色とうがらしともいうよね~」と、ミモロ。こちらも七種類を入れるという意味より、いろいろな材料を入れるという意味の名前です。

「へぇー七味とうがらしも、いろいろあるんだ~」とミモロ。「自分の好みの七味を見つけると、いっそう美味しく食べられますよ」と。金森さんは、サラリーマンを経て、インターネットが普及し、通販での全国的な販売が可能になり、昔からやってみたかったという七味づくりを始めました。さまざまな試行錯誤の末、満足できる味が生まれ、多くの人から注文が…。

それぞれのお店ならではの味が生まれる、京都の七味とうがらしは、山椒粉の組み合わせや、ゆず粉などが風味の豊かさも特徴のひとつ。京都には、数多くの七味店があり、今や、七味とうがらしは、京都おみやげの人気商品のひとつです。

ミモロの目の前で、手際よく次々に材料が、ボールの中へ。
  それをすり鉢に入れて、混ぜながら、擂り(すり)、材料の風味を引き出します。ミモロもすり鉢を押さえて、お手伝い…。
「わーいい香り…」擂ってゆくと、風味が立ち上り、ミモロの鼻をくすぐります。材料の配合により、香りが際立ったり、辛さが強くなったり、微妙なのだとか…。そもそも七味の材料は、血行促進や解毒など、さまざまな効果がある薬味でもあります。それを使うのは、昔ながらの知恵。「あ、食欲増進だけじゃないんだー」と、ミモロ。「かけると、たくさん食べられるよねー」確かにその効果もありますが…。

「ヨイショ…」ミモロも擂粉木(すりこぎ)を抱えながら、お手伝い…。

「ミモロちゃんは、辛いのが好き?それとも、風味豊かなのが好き?」と金森さん。「う~ん、両方!」と。ここでは、好みにより、辛さが9段階から選べます。

「じゃ、今日は、お手伝いしてくれたから、ミモロちゃん特製の『ミモロスペシャル』を作りましょう…」「え~ミモロスペシャル?」それは、このお店ならではの、石臼で細かにひき、いっそう風味を引き出した「石挽七味」のアレンジ版。
ミモロの希望で、山椒粉を多めに、バランスを取った特製の七味です。
「ミモロちゃんも手伝ってー」「はーい」と、石臼を挽き始めました。
「う~重い」
この石臼は、金森さんが、石屋さんに頼んで、作ってもらった特製品。細かな粉の具合を微妙に調整したもの。
「わー。すごくいい香り…」挽き終った粉を集める作業に入ります。
「こんなにできちゃった~」
では、袋詰めへ。
「キャーミモロの顔もついてる…あれ?製造者の横に、お手伝い:ミモロって入ってる~」と、金森さんのすてきな心遣いに大感激。
この日、「京都 森勝」の人気の品をいろいろ作りました。
なかでもお気に入りは、もちろん「ミモロスペシャル」
「お豆腐にかけても、美味しいですよ」と。

七味とうがらしは、風味と辛さがポイント。短期間で使える分だけ、少量を容器に入れ、残りは、袋のまま、冷凍庫で保存すると、風味や辛さが長時間保てるそう。

「はい、お疲れ様でした」「ありがとうございました」ミモロは、作った七味を袋に入れてもらい、工房を後に…。
「今夜は、晩御飯に何食べようかなぁー」作りたての七味をかけて食べる夕ご飯のことで、ミモロの頭はいっぱいです。

*「京都 森勝」の詳しい情報、および注文は、ホームページで。

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京都梅だより。150本のしだれ梅の名所「城南宮」。開花は来週ごろ。方除、出世運のご利益も

2014-02-22 | 自然


京都の梅の名所は、数々あれど、ミモロが昨年、一番感激したのは、京都駅の南方向にある、方除の神社として知られる「城南宮」。神苑には、150本ものしだれ梅があり、その美しさは、圧巻です。「今年もそろそろ梅咲きはじめたかなぁー」と、楽しみに出かけたミモロです。
 
この神社は、梅だけでなく、椿、桜、つつじ、ヤマブキ、藤など、さまざまな花が彩る、「源氏物語花の庭」という広いお庭があります。
「あ、椿が咲いてる~」
 
すでに椿は、次々に咲き始めています。さて、梅はというと…
早咲きの椿は、すでに見ごろを迎えていますが、楽しみにしていた、しだれ梅などは、まだ蕾。
 
「こっちは、ちょっと早すぎた~」と、これまた残念。昨年は、梅の開花は、かなり遅れましたが、今年は、平年並みという感じ。咲くとこんな感じに…。(昨年、ミモロは、リポートしていますので、ミモロ 城南宮で検索してみてください)
「梅の花が、こんなに艶やかだって知らなかったー。まるで枝垂れ桜みたい…」と、驚いた梅です。東京では、あまり馴染みのなかったしだれ梅。「京都って、しだれ桜やしだれ梅って、風に揺れるお花が似合うね」と。寒さ厳しい冬に、凛として花をつける梅とは、イメージが異なり、かなり華やかです。

小川、白砂の庭、滝や池など、さまざまな趣が楽しめる、変化に富んだ庭は、京都の数ある神社のなかでも、見応えのあるもののひとつです。

でも、まだ、今は冬景色。「やっぱり早すぎたー」と…梅を諦め、トコトコと庭を歩いていると、巫女さんの姿を見つけました。「こんにちはー何してるんですか?」
タスキ掛けで、手には白い布をお掃除の最中でした。建物の壁は、手際よく拭いてゆきます。「神社って、ああやって、いつもキレイにしてるんだー」と。清められた神社は、きっとご利益も…そんな気になります。

庭を見学したミモロは、本殿へ参拝。(本当は、本殿に参拝してから、清らかな気持ちになってから、お庭を見学するのだそう)
 
ここ「城南宮」は、平安遷都の折、南の守護神として、創建されました。だから「王城(都)の南」という意味で、この名前に。また、白河上皇の離宮「鳥羽殿」が造営され、鎮守社として崇められたそう。
ご祭神は、国常立命(くにのとこたちのみこと)、八千矛神(やちほこのかみ)=大国主命(おおくにぬしのみこと)、息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后 の三柱の神さまです。

さらに、都の南を守る神社として、古くから方除けの神社として信仰を集めています。

「あれ?一寸法師…どうして、これがキャラクターなの?」
神社の方に伺うと、この鳥羽の地は、都への交通の要所。都への玄関口でした。大阪からお椀の船に乗って、都にやってきた一寸法師が、京都に入ったのも、この辺りからとか…。その後、お姫様を鬼から守ったり、ドンドン出世して、立派なお侍になったということから、立身出世の神社としても、崇敬されているのだそう。
「背も高くなるのかな?」とミモロ。うーそのご利益は、どうでしょうか?

新しくなった社務所に行くと、いろいろな方除けのお札や御守などの隣りに、今年の干支の午のおみくじが。
「カワイイ…」とひとつ。

「今年だけのおみくじです。手描きなので、みんな少しずつ表情が違うんですよ」と、神社オリジナルのおみくじ(500円)。
「この子と目があったのー」と。ミモロのおみくじコレクションに、また仲間が増えました。おみくじは、「吉」。
「きっといいことあるよ~」と、嬉しそうに馬のおみくじを抱いて、神社を後にしたミモロでした。

*「城南宮」の詳しい情報、また梅の開花情報などは、ホームページで。「しだれ梅と椿まつり」は、2月18日から3月21日。期間中、毎日10時から梅が枝巫女神楽が奉納されます。



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仏具や数珠のお店が連なる西本願寺の門前町。明治・大正のレトロな建物が多い七条通エリア

2014-02-21 | アート


西本願寺から堀川通を、渡ると、門がある門前町が始まります。
 
町家が連なる古い京都の佇まいを留める通りです。「通りなのに門がついてる…」実は、この辺り、もともと本願寺の境内だったところだそう。「なんか同じようなお店がいっぱいあるー」と、道の両脇をキョロキョロ見回すミモロです。
この通りは、西本願寺と東本願寺の間にある道。そのため、仏壇、仏具、数珠などを扱うお店が集中しています。
 浄土真宗の仏具や数珠を多く扱っているのが特徴。全国から、多くの門徒さんが参拝に訪れた後、この通りで、必要なものを揃えるそう。

さて、通りの中ほどに、一際目立つレンガ造りの建物があります。「なんだろう?」 
ドーム状の屋根をもつ、洋風?中東風?和風?いろいろなデザインが混ざり合ったような建物です。これは、京都市指定文化財になっている「本願寺伝道院」。明治28年に設立された真言信徒生命保険株式会社の社屋で、明治45年に建築家・伊東忠太により設計され、竹中工務店が施工しました。

建築家・伊東忠太は、東京帝国大学の教授で、数多くの斬新な建造物を残しています。京都では、東山の祇園閣、平安神宮の設計にも携わったそう。また東京では、築地本願寺や大倉集古館なども設計しています。

「なんか不思議な感じがする建物…」現在は、本館のみが残っています。「浄土真宗と、イメージが結びつかない…」と、首を傾げるミモロでした。
不思議なものは、建物の周りにも…「これ、なんだろ?鬼かな?それとも龍?」奇怪なオブジェが、建物を守るように並んでいます。

さて、京都駅方向に門前町の通りを歩いて行くと、突き当りに。そこは東本願寺の壁。なぜか、迂回しないと、東本願寺には、行けません。「ここに門があれば近いのに…」きっと、長い歴史の中、なんらかの理由があるのでしょう。

そこから、七条通りに出ると、白い石造りの建物が。七条通には、レトロな洋館建築が今もいろいろ残っています。
これは、昭和2年に造られた旧鴻池銀行の社屋。現在は、結婚式などを行うイベントビルに。

その向かい側にも、「富士ラビット」と書かれた洋館が。
これは、大正12年の建物で、かつてT型フォードの輸入代理店やタクシー業をしていた会社の社屋だったもの。車に関係した会社のビルらしくタイヤなどの装飾も見られます。現在は、飲食店などが入ったビルに。

以前、ミモロが訪れた「龍谷大学」の本館も明治期の建物です。

門は、明治12年に造られたもので、鉄扉は、当時のものを最近修復しました。
龍谷大学は、江戸時代に西本願寺境内に作られた教育施設に由来し、明治12年に本願寺大教校などが建設され、校内には、今も、当時の建物が、そのままの姿で多く残っています。

ミモロは、京都の古い洋館が大好き。
「お寺や神社もいいけど、洋館って、日本人が西洋の文化や技術を吸収し、学ぼうとする意欲の表れだと思うの。それに今のように建築基準法なんかが厳しくないから、建築家が自由な発想で、いろいろデザインできたでしょ。だからデザインがスゴク面白い…」と。

京都には、レトロな建物が、数多く残っています。明治から昭和にかけて、急激に変貌を遂げた京都の町。その時代を訪ねる旅もおすすめです。


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京都駅近く大きなお寺、世界文化遺産の「西本願寺」。スケールの大きさに驚くばかり。

2014-02-20 | 寺社仏閣

京都駅から、歩いて15分ほど。堀川通沿いにある堂々としたりっぱなお寺が「西本願寺」。いつも大勢の参拝者が、全国から訪れる浄土真宗本願寺派の本山です。
 
「さすが本山、威厳ある堂々とした構えだねー」と。あまりに大きいので、どこから回ったらいいかわからず、まずは、案内所へ。資料などを頂きに行くことに。
 
「あのーどこに行けばいいんですか?」マップを前に、「重要文化財の阿弥陀堂と御影堂(ごえいどう)にお詣りして、それから国宝の唐門を見学なさってはいかがでしょう」と。
 やさしく教えてくれました。

そもそも一般に「西本願寺」と呼ばれますが、正式には、「龍谷山本願寺」といいます。お寺に隣接して、「龍谷大学」があります。

開祖は、鎌倉時代中期に活躍した親鸞聖人です。9歳の時、東山の青蓮院で得度し、出家後、比叡山の延暦寺で、20年、厳しい修行に身を置きます。29歳の時に、師である法然上人の御導きで、阿弥陀如来の本願を信じ、「南無阿弥陀仏」という念仏の教えに帰依します。35歳の時、念仏の弾圧で、越後に流罪に。その後、妻である恵信尼と共に、関東で念仏の教えを広め、晩年、京都に住み、90歳の大往生を迎えることに。
開祖と言われる高僧の中でも、妻帯し、7人もの子供に恵まれたのは、おそらく親鸞聖人だけ。

さて、西本願寺の前身は、文永9年(1272)に、東山 大谷に末娘、覚信尼が建立した親鸞聖人の廟堂で、その後、天正19年(1591)に豊臣秀吉が、現在の堀川六条に寺地を寄進し、伽藍が整えられました。また、慶長7年(1602)に徳川家康が、烏丸七条の土地を寄進し、建立されたのが、真宗大谷派本山の東本願寺です。共に、御本尊は、阿弥陀如来です。

「へえー、西本願寺が豊臣さん、東本願寺が徳川さんの寄進なんだー。なんで西と東があるのかと思ったら、背景に、京都における徳川家の威信を、大勢の浄土真宗門徒に示す必要があったのかも…」と、密かに思うミモロでした。
また、「両方とも、親鸞聖人さんは、見たことない訳ねー」と。多くのお寺は、後に弟子や門徒たちが、開祖を祀るために創建したものが多く、ご本人は、知らぬところ。後の発展におそらく喜ばれていらっしゃることでしょう。


では、さっそく阿弥陀堂から参拝しましょう。
宝暦10年(1760)に再建された、現在の建物は、東西の長さ42メートル(奥行)、南北は45メートルで、高さは25メートル。(重要文化財)中に入ると…
「わー広い~」畳285枚を敷いたスペースが。なんでも800人以上が一度に参拝できるそう。この日は、ミモロだけ、なんとも贅沢。
内陣の中は、暗くてよく見えませんでしたが、中央に阿弥陀如来像がいらっしゃるそう。ミモロは、深々と頭をさげて参拝を。

次に渡り廊下を通って、南側にある「御影堂(ごえいどう)」へ進みます。
「どこもスケールが大きい~」

「御影堂」は、寛永13年(1636)に再建、こちらも重要文化財です。東西48メートル、南北62メートル、高さ29メートルと、阿弥陀堂より一回り大きなサイズ、世界最大級の木造建築のひとつです。外陣の畳の数も441枚と大幅アップ。1200人以上が一度に参拝できるそう。内陣中央に親鸞聖人の木像が安置されています。
 

「畳替え大変そう…」とミモロ。年末、多くの門徒の方が、大掃除などにご奉仕にいらっしゃいます。

「御影堂」の内陣の両脇には、吉村孝敬筆の見事な襖絵が。
 
では、参拝を終えたら、外へと行きましょう。
「エイ!」とミモロが、飛び乗ったのは、
天邪鬼の像。御影堂前にある天水受けを支える鬼。江戸時代の作だそう。

敷地の南側の書院の前にあるのが、国宝の「唐門」。左内側、右外側。「あんまり変わりがないみたい…」
 
桃山時代の伏見城の遺構と言われ、豪華絢爛な彫刻装飾に彩られた、美しい門。ずっと眺めていたら、夕方になるという、別名「日暮門」(ひぐらしもん)と呼ばれる、素晴らしい門です。「キレイだねー」とミモロも見惚れます。
 
屋根の東西の脇には、鶴が。よく見ると、阿吽になっています。 
 

「日光の東照宮にも唐門や、日暮門と呼ばれる陽明門があるよねー。豊臣家のこういう豪華絢爛な桃山文化に影響されてるのかも…。そして、豊臣家より大きなものを作ろうという徳川家の思いも感じるねー」と。

まだまだ見学したいけれど、そろそ閉門の時間。「さすが本山って、りっぱだね」とただただ圧倒されたミモロでした。
 


*「西本願寺」京都市下京区堀川通花屋町下ル 075-371-5181 京都駅から徒歩15分。詳しくは、ホームページから





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3回目となる「京都マラソン」。約1万5000人が、駆け抜ける京都の町。ゴール付近でミモロも応援

2014-02-19 | イベント

2月16日は、第3回「京都マラソン」が、京都の町をコースに開催されました。
朝、9時頃にテレビを付けたミモロ。
 
「あ、門川市長が開会を宣言して、ランナーがスタートしたみたい…」。京都市、京都陸協が主催するマラソンは、今年は、1か月早めて、2月の開催に。初回は、2012年の3月11日で、東日本大震災のまさに1年後に…。やはりその日付近に開催するのは…ということかどうかは、不明ですが、2月の開催に変更されました。今年も、スタート前に、被災した方への黙祷が行われました。

日曜日は、それまでの雪の天候とは、打って変わり、お日様もピカピカ。でも、空気の冷たさは、ランナーには、厳しいものに。「でも、晴れてよかったねー」と、誰もが思った1日でした。

西京極陸上競技場からスタートしたランナーは、ミモロの住む岡崎エリアの平安神宮の大鳥居そばのゴールをめざし、京都の町を駆け抜けます。京都開催らしく、嵐山、仁和寺、平野神社、上賀茂神社など、名所をめぐるコースです。

「そろそろランナー到着するかも…」と、11時過ぎに、ミモロは、ゴール付近へと向かいました。
 
鳥居のそばには、ランナーの荷物が、持ち主の到着を待っています。
ミモロは、まず情報をゲットするため、「総合案内所」へ。

「しっかり応援してくださいねー」と。ここには、東日本大震災の支援の募金箱も設置されていました。「はい、これもどうぞ…」渡されたのは「リニアを京都へ」というステッカー。
京都では、リニアモーターカーが、京都駅を通るよう願いキャンペーンポスターなどが、駅などに貼られています。はたして、その可能性は…???

ミモロは、動物園のそばの折り返し地点を経て、岡崎道を通り、ゴールを目指します。
 
11時を過ぎるころには、先頭のランナーが到着。今年は、京都大陸上部の横山さんが2時間25分18秒でフィニッシュ。女性は、野村さんが2時間49分10秒で、ゴールしました。次々に到着するランナーに沿道から声援が送られます。
42キロ地点では、応援団やチアリーダー、」またバンドなどの応援もにぎやかに…。
 
平安神宮の応天門のそばで、応援することにしたミモロ。「来た、来た…」目の前を通り過ぎるランナーに手を振り応援
 
舞妓さんのゆるキャラの「どすえちゃん」とも一緒に、応援。
 
ゴールでは、着物姿の門川市長さんが、ランナーの健闘を称え、お出迎え…。

 
次々にゴールに到着するランナー。当日は、8000人のボランティアが、大会運営のお手伝いをしました。参加者の94%が完走。「みんなすごいねー」と、感心しきりのミモロです。
完走したランナーの方に、「どこがきつかったですか?」と伺うと、「最初の頃の坂は、そんなに大変じゃなかったけど、30キロ付近の鴨川沿いからが、結構きつかったですねー」と。その方は、4時間ほどで到着した、かなり走り馴れた方。ミモロが、走ったら、きっと丸1日かかりそう…。「いいの応援する側で…」と、参加する気は全くないよう。

歩いていたミモロに「あのー京都のハンディークラフトセンターには、どうやって行けばいいんですか?」と。
エジプト、モロッコ、イラン、スリランカなどからやってきた海外観光客のグループが道を尋ねました。「今日は、マラソン大会で、この道閉鎖されてるの、だから、グルーッと疏水の周り沿いに、進んで、大きな道に出てね…」と、説明。「なんかすごく国際色豊かなグループですねー…」と。なんでもJICA(ジャイカ=国際協力機構)におつとめだとか…なるほど~。

でも、この日、海外からの観光客は、結構、目的地に行くのに苦労していたよう。英語の迂回マップなどがあるといいのに…。

「さぁ、お家に帰って、お昼にしよう…」。空腹に耐えられず、応援を切り上げるミモロ。ランナーの姿は、夕方までゴール付近に見られました。




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