ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

二人のゲストのお話しを聞く「花習塾 紬の会」。今回は、中村軒の若主人と一保堂の専務を迎えて

2015-10-26 | イベント

「ミモロちゃん、きっと興味をもつお話がきける会があるけど、行ってみない?」と、お友達に誘われたミモロ。10月17日の土曜日に、祇園祭の船鉾が立つ、新町通の「京絞り 寺田」で開催された「花習塾 紬の会」に出かけました。

この会は、観世流能楽師 片山伸吾さんが、毎回、さまざまな分野のゲストをお二人迎え、お話しを伺うもの。今年、10周年になる人気の会です。

「はじめまして、ミモロです。今日は、楽しいお話しがうかがえると聞いて、参加させていただきました」とご挨拶。
「ようこそ…きっと楽しいと思いますよ」とナビゲーターの片山さん。


会場には、すでに大勢の参加者が…。
ミモロは、後ろの方の席から、背伸びしながら、前を見つめます。

第37回となる今回のゲストは、明治16年創業の桂離宮のそばにある「御菓子司 中村軒」の若主人、中村亮太さんと、寺町通にある300年以上の歴史を誇るお茶の「一保堂」の専務の渡辺正一さんです。


共に、長く続く家業を担うお二人です。まずは、誰もが聞きたい質問…
「昔から、家業を継ぐようにいわれたんですか?」と片山さん。
中村さんに伺うと…「いいえ、親から、言われたことはありません。高校を卒業して、なんとなく仕事に就くのも、まだいやだったんで、和菓子の専門学校に行こうかと言ったら、父親に、そんないい加減な気持ちなら、役に立たないから、行くなら、自分で学費を出せ、大学に行くなら、学費を出してやるというので、まずは大学に行くことに。その後、東京の和菓子店で修業をしました。まぁ、直接、家業を継ぐように言われたことはないんです」と中村さん。

「僕も、親に家業を継げといわれたことはありませんが、一人っ子ですから、周囲が、当然のように跡取り息子だと思っていたんで、僕自身もなんとなく…。」と渡辺さん。「父親に言われたのは、『大学は、どこでもいいから、京都から出ろ』と…。それで東京の大学に行きました」と。大学卒業後、全く今とは関係ないキャラクターグッズ関係のお仕事をなさって、そこに長くいるよりは…ということで、その後、京都に…。老舗の跡取り息子として見る周囲の人の目から、全く、それを知らない別の土地に行くことで、息子さんの世界が広がるだろうと考えた親心かもしれません。

また、長く続くお店と言えども、ただ昔からのやり方だけでは、今の世の中のニーズにこたえることはできません。

『中村軒』では、和菓子のほかに、年々バージョンアップされる、春と夏のかき氷が、今、大人気に…。氷に掛ける季節限定のフルーツの蜜など、毎月のように通うファンも大勢。桂離宮のそば、桂川の畔という場所、阪急京都線の「桂駅」から徒歩15分という決して便利な場所ではありませんが、かき氷を求めて、店の前には、列もできるほど。

『一保堂』の渡辺さんは、「最近、多くの方が飲まれる日本茶は、ペットボトルのものなんです。茶葉で一杯、一杯煎れるお茶の美味しさをもっと知ってほしいものです」と。そこで、寺町の店の一角には、喫茶室「嘉木」も作り、さらに東京丸の内にも店舗を構え、国内外の人に日本茶の魅力をアピールしています。

他のところで、聞いたことがありますが、日本茶の緑茶の需要の多くは、ペットボトル飲料で、次に、スイーツなどの原料で、一般家庭での茶葉の需要は減少しているのだそう。

「でも、京都にいると、お茶を飲む機会多いよね~。コーヒーより日本茶のおもてなしのお店ばかりだもの…」とミモロが思っていると…。

「飲食店で、中国茶はメニューに載っていて、みんなお金を払って飲みますが、日本茶は無料という感覚がですよね。これもどうにかしたいところですが…」と本音もチラリ。

さて、ほかにもいろいろお話しが続きましたが、ここでブレイクタイム…「中村軒」の和菓子の実演が始まりました。

作るのは、名物「麦代餅(むぎてもち)」昔から、農家などで、仕事の合間に食べられたお菓子です。

「御菓子づくりチャレンジしたい人いませんか?」と片山さんの声に、ミモロのお友達が手をあげて、前へ。

「あんこ、好きなだけ包んでいいですよ。でも、あまりたくさんいれると、はみだしますから、ほどほどに~」と中村さん。
お餅で餡を包んだ後は、上からきな粉を振り掛けます。


「ミモロちゃん、見て、できたわよ~」と、嬉しそうに、お友達は作った「麦代餅」をミモロの前に…。

「ホント、美味しそうだけど、なんかツチノコみたいな形…太りすぎじゃない…」と、鋭い指摘。「やっぱり餡いれすぎちゃったかな~」とお友達は苦笑します。

その後、参加者全員に、なんと中村さんが作った「麦代餅」と渡辺さんが煎れてくださった抹茶がプレゼントされました。

「わ~感激、つくりたてだよ~」と感激するミモロ。「ほら、やっぱり本物は、スマートな形じゃない?」と。

上から振り掛けたきな粉も香ばしく、素朴な味わいで、また食べたくなる和菓子です。

たっぷりした「麦代餅」は、食べごたえも十分。

「このお茶も美味しいね~」とミモロ。

「抹茶は、茶筅さえあれば、簡単に楽しむことができます。例えば、大き目の器で抹茶を点てて、それをデミタスカップにいれて、楽しんだり…」と渡辺さん。「あ、それいいかも…ミモロもやってみよう…ケーキにも合うかも…」と。りっぱなお茶碗でいれなくても、またお点前を気にしなくても、抹茶の美味しさは、楽しめるのです。
「抹茶は、茶葉の処理もしなくて済みますし、また茶葉自体すべて飲むわけですから、体にもいいんです」と。エスプレッソコーヒー感覚で、楽しむという発想は、素晴らしい…。

「楽しかったね~。おやつも出るなんて知らなかった~。また参加しよう…」とミモロ。
お菓子とお茶が出たのは、ゲストがその関係者だったから…。毎回でませんよ。「あ、そう…。でも、お話しだけでも十分楽しいよ~」と、また参加するつもりのミモロです。

*毎回、多彩なゲストを迎えて行われる「紬の会」。次回は、12月5日。
詳しくはホームページで。



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鞍馬の火祭。会所の飾り、剣鉾なども見どころ。帰りの電車もすし詰め状態…

2015-10-25 | 祭事・神事・風習

10月22日「時代祭」が終わったのち、ミモロは、意を決して「鞍馬の火祭」に行くことに…。「やっぱり1度は見とかなくちゃ~」と、4年の京都暮らしの中で、初めて出かけます。意を決して…というのは、このお祭りは、ものすごく大勢の見物人が押し寄せて、往復の交通や現地での混雑が尋常ではないという評判だからです。

「やっぱり評判は、本当だった…」出町柳駅からの叡山電鉄の鞍馬行きは、身動きができないほどの混雑。約30分だけですが、それでもミモロは、押しつぶされそうになりました。

鞍馬に到着すると、交通規制が厳しくしかれ、見物人は、鞍馬駅前から、由岐神社の正面をすぎ、鞍馬街道を50メートルほど行くと、畑の中の道を川沿いにめぐり、鞍馬駅へと1周することになるのです。もちろん逆行も、ゆっくり立ち止まることもできません。「止まらないでください~。前に進んでください」という警察官の声が、あたりに響き続けます。

つまり、鞍馬駅前から畑への道に入るまでの区間しか、1周のうちで、祭り見物はできず、あとは、ひたすら前の人の背中をみて、まるで国会の牛歩戦術のようにしか動くことができません。

「こんなに大変だとは、思わなかった~」とミモロ。でも、わずかな時間でも、ミモロは、キョロキョロと周囲の祭りの景色を楽しみます。

松明に気を取られ、見物人があまり関心を示さず、通り過ぎるのが、会所です。
 
各地区には、それぞれ会所が設けられ、そこに飾りがされています。

「あ、剣鉾…」

ここにも剣鉾がありました。剣鉾は、「粟田神社」「吉田神社」「八大神社」などで、差し上げて、神輿の前に町を浄める役割を担う京都らしいもの。「祇園祭」の山鉾巡行も同じです。
鞍馬にも剣鉾があるのを知ったミモロです。

「甲冑飾りもしてる…」

古い甲冑が飾られる会所…この地域が、武士と深く結びついていたことを物語ります。
大きな松明を担ぐ人たちの装束が、力の強さや勇敢さを誇るものであることからも、祇園祭の山鉾ような町人の祭りではないことを感じさせます。

「京都三大奇祭」のひとつの「鞍馬の火祭」は、御所より鞍馬へ「由岐明神」を遷されたときの行列や儀式を、そこに暮らす人々が何代にもわたり、守り続けた神事です。林業などを生業にする山の民…でもその衣装には、海イメージさせる文様が見られます。そして歌舞伎のかたぶき者を思わせるような派手は上着。勇壮な力を示す装束とある種のなまめかしさを感じさせる上着…剛と柔を併せ持つ、不思議な世界…それが闇を照らす火で、いっそうその異形の世界を浮かび上らせます。

「一度見たら、なんか忘れられない祭りだね~」とミモロ。

さて、20時過ぎ、いよいよ祭りのハイライト、たくさんの松明と2基の神輿が、神社前に姿を見せるときが近づきました。
「わ~とても神社の前まで行けない…見られないね~」と、人ごみの中に埋もれているミモロ。

もう一周すれば、見られるかもよ…「え~また、あの人ごみを進むの~。もう無理~」と、よほど人ごみの凄さが辛かったのでしょう…「もう、いい…」とポツリ。ついにここでギブアップ。

そこで、鞍馬駅から、再び叡山電鉄で、出町柳駅へと向かうのですが、ここにもすでに長蛇の列。「わ~ん、電車にも乗れないの~」と、泣きべそ状態に…。しばらく列に並んでいれば、何台か後にのれるわよ…。「いや~ン、もう並ぶの~」と駄々をこねます。

では、一駅歩いてみましょう…。ということで、暗い山の道を「貴船口」目指し歩くことに。「並ぶより、歩く方がいい・・」と、元気を取り戻し、暗い道を歩きます。鞍馬から貴船口は、なだらかな下り坂が続き、歩くのは楽…。

「あ、ここ御旅所だ~」そう、「由岐神社」から出発する神輿は、氏子の集落を巡り、ここに到着するのです。


御旅所のそばにも大きな会所が…。


そこでは、男衆たちが、静かに松明を担ぎ、神社目指し駆け上がる出番を待っています。


「なんかここの雰囲気いいね~」とミモロ。今まで、人ごみの中からしか見えなかった祭りの様子が、すぐ間近に…。警察官の「止まらないでくださ~い」という声もありません。そこには、パチパチと燃える松明の音…時折、上る火の粉の舞う音が、闇の中に響いています。
その松明の火をじっと氏子の人たちが見つめます。


祭りの前の静けさ…年に1度の祭りに向かう男たちの意気込みが、火を見つめるまなざしと沈黙のなかに高まっていくのです。


ミモロも松明のそばへ…
「大きいね~」ミモロ、近づきすぎると燃えちゃうから、注意して…。
大きな松明は、藤の根で縛らています。

体には、松明の煙が…
キリリと結ばれた黒の締め込み…そこには、南天の小枝が…。火の粉を浴びる火祭り…無事に済むことを願う祈りが込められた小枝です。

火祭りでの焼けどは、当たり前…でも、不思議とすぐに痕もなく直るのだと言いわれているのだそう。

「こっちに歩いてきてよかったね~」とミモロ。祭りの勇壮な場面を見ることはできなかったけれど…十分、その雰囲気を堪能したミモロです。

この祭りを見物に来た外国人観光客や他府県からの観光客の中には、あまりの混雑と、その見物のさせ方に不満を抱く人も多くいます。しかし、この「鞍馬の火祭」は、あくまでもこの地域の神聖なる神事です。つまり、氏子の人たちにとっては、自分たちの祭りを勝手に見に来た人たちであり、ゲストではないのです。見物する側は、見せていただく…という心づもりが必要。
ほかの祭りと違い、見物人のためを楽しませるような屋台も、休憩所、食事処も特別に用意されてはいません。

この祭りを歩きながら、一方通行で見物する方法は、近年、大勢の人が訪れ、一か所にかたまり、全く身動きができないような混乱をきたし、安全上問題になったから…。年々増加する外国人観光客…この日もミモロのまわりでは、ドイツ語、フランス語、イタリア語、中国語など、日本語より聞こえてきました。英語での警告も度々…。

「こんなにたくさんの見物人が来たら、こういう風に誘導しないと大変なことになるね…それでもよければ、まぁ、見に来るのはご勝手に…って感じだよね。だって、氏子の人たちにとっては、昔からの本当に大切な神事なんだもの…」と京都に暮らし、神事とイベントの違いを知ったミモロです。


さて、「貴船口」の駅に到着したミモロ。始発駅で、すでに満員になった電車でしたが、ミモロが乗れるスペースはみんなが空けてくれました。
もちろん座ることはできませんが、ラッシュアワーのような状態のまま出町柳駅に到着。「まぁ、東京の電車のラッシュよりは、まぁいいかな~」と、久しぶりのすし詰め電車にも、馴れてきたのと、家にたどり着けるめどがついた安心感から余裕が生まれたよう。

この日の叡山電鉄の鞍馬発の最終は、24:01。「これに乗り遅れると、どうなるんだろ?歩いて山を下るしかないね~」とミモロ。岩倉か宝ヶ池くらいまで歩けば、タクシー乗れるかも…

10時前には、家にたどり着いたミモロ。「もう足棒になっちゃった~」と、出かけてから一度も座ることができず、立つか歩くかをし続けるしかありませんでした。夜、ゆっくりお風呂に入り、爆睡したミモロ。



次の日、ミモロは、ご近所の方やお友達に「鞍馬の火祭行ったの~」と話すと、「え~ミモロちゃん行ったんだ~。大変だったでしょ…。よく行ったね~」と。「え~みんな行かないの?」「混んでるって聞いてるから行かない…」とか「もう何十年も行ってない…」「一度行きかけて、あまりの人に引き返した…」などと言われました。どうも京都在住の人は、もうあまり行かないよう…。つまり行くのは、「時代祭」見物に来た観光客などを中心に、京都以外の人たちがほとんどだということがわかりました。

今年は、夏に「愛宕山の千日詣り」に、そして「鞍馬の火祭」に、共に京都では、なかなかハードなものと言われるのが、よくわかりました。


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鞍馬の火祭。幻想的なお祭り。海外観光客も多数。あまりに多い観客に行くのも帰るのも一苦労。

2015-10-24 | 祭事・神事・風習

10月22日、「時代祭」と同じ日の夜、京都の北、鞍馬の由岐神社では、京都三大奇祭のひとつ「鞍馬の火祭」が行われます。ちなみに、「京都三大奇祭」とは、ほかに「今宮神社」の「やすらい祭(4月)」と、「広隆寺」の「太秦の牛祭(10月)」だそう。

ミモロは、「時代祭」の行列を見送り、下鴨のおうちで、準備を整え、出町柳駅に向かいました。
「祭りは、20時が見どころらしいよ~。まだ十分間に合うね~」と、あちらで食べようとおむすびと飲み物などを用意。17:30に駅に到着すると、そこには、叡山電車の鞍馬行きを待つ人たちの長蛇の列が…。

「わ~すごい人…噂には聞いてたけど、スゴすぎる…」と、すでに怖気づいています。

なんとか電車に乗ったものの、中は、ラッシュアワー状態。「東京の通勤列車みたい…」小さなミモロは、押しつぶされそうな混雑です。もみじ見物のための観光車両だったため、車内には、つり革がなく、電車が揺れるたびに、乗客は、バランスを保つのに必死に踏んばらなくてはなりません。

この日は、「火祭ダイヤ」で、12から15分ごとに運行され、2台ほど待てば、乗車できます。

さて、「鞍馬駅」に到着すると、そこからは、警備の人たちの指示に従い、駅前でしばらく待機状態。大勢の人たちが、駅の前を埋め尽くしています。「どうなるんだろ?」と心配そうなミモロ。

待っている間に、祭りの松明が次々に前を通ってゆきます。

やっと、人の波が動き、ミモロは、見物の列に入ることができました。
「立ち止まらないでくださ~い」と、メガホンで警告する警察官。ミモロは、人の波に流されながら、進んでゆきます。
「もう逆戻りもできないし、このまま流されてゆくしかないね…」と、見物人に選択の余地はありません。
 

今までは、人の流れの規制はなく、沿道には、大勢の人が立ち止まって身動きができない状態でしたが、それを改善するために、3年ほど前から、見物人は、駅から一方通行で、由岐神社の前を通り、鞍馬街道の一部を進み、畑の道へと迂回し、再び駅へと戻る周回コースにそって歩くことが決められました。1周約1時間というコースですが、それ以上はかかり、また見物できるのは10分から15分ほど、人ごみの中に立っている時間の方が断然長いのです。

それでも、鞍馬街道沿いの道では、祭りの様子を見物できました。
 
道には、大きな松明が灯され、そのそばには、祭り装束の男衆が、松明を担ぐときを待っています。

そもそもこの鞍馬の火祭りは、パンフレットによると、940年、世の平安を願い、朱雀天皇の詔により、御所にお祀りしていた由岐明神を都の北方の守護として、鞍馬に遷す折、松明や神道具などを携えた約1キロにもおよぶ行列がつづいたのだそう。その儀式と由岐神社の霊験を後世に伝えるために、この火祭りが行われるのだそうです。

祭りのハイライトは、20時ごろから始まる、神社の前に、各集落から集まった多数の松明、そして神社から下り、御旅所に向かう2基の神輿の巡行。さらに深夜におよぶ御旅所での神楽奉納などです。

ミモロが到着した時刻は、まだ20時には、間がありましたが、街道を「サイレイヤ サイリョウ」(祭礼や、祭礼)という掛け声が響き、松明を担いだ子供や大人が進みます。
 

松明をもつ人は、氏子の家の人たちです。

この祭りの装束は、他の祭り装束とは、明らかに異なる、ある種の不思議さを湛えたもの。


頭には、向こう鉢巻き、肩当を片方の肩から下げ、さらに船頭篭手という片袖の派手な模様の布を装着します。「これ、海に関係する文様が描かれてる~この布、甲冑を着るときの籠手みたい…でも、あまりに派手だから刺青みたいに見える…ここは山の中なのに、なんで海の模様なんだろ…」と不思議に思うことだらけです。

「その装束どういう意味があるんですか?」と、大胆にも尋ねるミモロ。

「この鉢巻きは、武将の勇ましさ、船頭篭手は、船頭のもつ腕力の強さ、黒の締め込みと下がりは、相撲取りの強力、脚絆は、足の速さを表しているんですよ」と親切に教えてくださいました。「え~つまり、力強さが集約されたもんだなんだ~。なんか合体ロボの発想みたい…」とミモロ。さまざまなパワーを合体させたロボットは、まさにこういう発想から生まれたものかもしれません。

「わ~迫力ある~」と、パチパチ火の粉を落としながら進む松明…見物人が引き込まれる景色です。


「あ、鞍馬街道の見物コース、もうおしまい?」そこから見物人は、祭りから離れた畑道へと誘導されます。
「うわ~ちっとも前に進めない…」道は、2人ほどしか歩けない細道へと続くため、その前には、人が大勢たまってしまいます。
 
「10メートル進むのに10分くらいかかるんじゃないの~」でも、そこから逃れることはできず、ただ人の流れに乗るしかありません。

「まだ、お祭りのハイライト見てないよ…どうしようかな~」とミモロ。松明が集まる神社の前に行くためには、再度この周回コースを歩かなくてはなりません。

すでに人ごみにもみくちゃにされ、疲れ切ったミモロ…「もう、おうちに帰る~」と、ぐったり…。

そこで、「鞍馬駅」から電車で出町柳駅に行くことに…でも、すでに駅には、帰りの電車を待つ人たちの長蛇の列が…。


「わ~ん、電車乗るのに、また並ばないといけないの…おうちに帰れない…」と、そう少なくとも1時間は、必要かも…。
泣きべそ状態のミモロです。

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「時代祭」の朝、「平安神宮」へ神幸列の出発をお見送り。それがミモロの楽しみ方…。

2015-10-23 | 祭事・神事・風習

10月22日は、京都の町を時代装束の行列が進む「時代祭」が行われます。すでに5回目の見物となるミモロ…「今年は、どこで見物しようかな?」と…。

「時代祭」は、桓武天皇によって平安遷都が行われた日を記念し、明治時代に始まった京都では、新しいお祭り。「京都御所」を出発した行列は、烏丸通、御池通、河原町通などを経て、三条通から神宮道を進み、ゴールの「平安神宮」へと進む、全長2キロのコースを、約2000人の人たちが行列します。


毎年、ミモロは、まず8時過ぎに「平安神宮」へ。「時代祭」は、時代装束の絵巻と思われていますが、祭りで一番重要な部分は、桓武天皇と孝明天皇のご祭神が輿に乗って、町を巡る「神幸祭」なのです。
「神幸祭があるから、お祭りなんだよね~。ご祭神のお二人の天皇が、この日は、久しぶりに御所に戻って、しばしおくつろぎになった後、町をまわり、人々の暮らしを視察され、再び「平安神宮」に戻られるんだよ。まぁ、里帰りって感じかな~。きっとお二人とも楽しみにしてるんだろうね~」とミモロ。

「京都御所」からの行列の出発は、正午。そして、神幸列が御所を出発するのは、13時半と言われます。
「御所で、3時間くらい、のんびりできるんだ~」と。

さて、朝の「平安神宮」は、その神幸祭が、9時過ぎに出発します。それをミモロは、見送りに出かけるのが楽しみなのです。
「もうすぐ出発するのかな?」
すでに境内には、神幸列に参加する人たちが、装束をつけてスタンバイしています。準備は、朝6時ごろから始まるそう。雨天の場合は、翌日に順延されるのは、「葵祭」「祇園祭」と違うところ。神事よりパレードなどイベント性が高いことを示しています。

 
狩衣姿は、ご祭神が乗る「鳳輦」(ほうれん)に付き下がう方々。オレンジ色の装束は、担ぐ方たちです。

「去年にいましたよね~」とミモロの顔を覚えていてくださいました。
「今年も見物にきました~」とご挨拶。

「あ、かわいい~」胡蝶と迦陵頻伽(かりょうびんが)という極楽に住む鳥の装束の子供たち。みんな10歳の男の子です。

暇があると、ゲームに夢中。現代っ子です。
待ち時間の多い行列参加者。主催から、ゲーム機をもってきてもいいといわれているそう。

境内にはためく旗…いつもとは異なる雰囲気が漂います。
 
「へぇ~ブログのリポーターさんなの…」と、ミモロを珍しそうに見つめる方。「そんなに見ないで…照れちゃう…」
 



「あ、いよいよ出発だ~」まずは、孝明天皇をお乗せした「鳳輦」が、動き出しました。続いて桓武天皇のお出ましです。
 

境内を横断した2基の「鳳輦」は、最大の難所「応天門」をくぐります。

「いつもギリギリに通過するから、大変そう…がんばれ~」と、応援するミモロ。

「通れた~」

屋根の上の鳳凰もホッとした様子です。


「さぁ、今年もがんばりま~す」と、神饌を運ぶみなさんは、京都料理組合の方々。
料理店のご主人たちです。

アルバイトの学生たちも、大勢参加しています。
京都で学生時代を過ごす人には、思い出になるアルバイトです。


「あ。牛車も用意されてる…そういえば、さっき黒毛和牛が歩いてた~」とミモロ。その黒毛和牛って呼ぶのやめなさい…牛肉みたいでしょ…。「だって、黒い牛だったよ~」
 

「鳳輦」は、ひと休みの後、神宮道から岡崎道をへて、丸太町通を西へ進み、「京都御所」へと入ります。
 
「きゃ~危ない…気をつけてくださ~い」とミモロ。外国人観光客に踏みつぶされそうになりました。

「平安神宮」には、外国人観光客が大勢…小さなミモロは目に入らなかったよう…。

馬車に乗られるのは、平安講社総長さま。


「あれ、今年は、時代装束の人たち来てないね~」とミモロは、キョロキョロ。以前は、平安神宮にも武者の姿があったのに、今年は、みんな御所からスタートのよう…。

「あ、鈴木さん…」毎年、ここで会うのに、今年はいらっしゃないと、ミモロが探していた方。市議さんなので、なんでも議会と重なったそうで、今年はお祭りは、パスだとか…。

さて、ご祭神をのせた鳳輦が、再び「平安神宮」に戻るのは、午後14時半ごろ。
行列の先頭から、最後尾まで見物すると、2時間ほどかかる、すごく長い行列です。

「また、あとで来よう…」と、ミモロは、三条通の仕事場へとお戻ります。


京都に生まれ育った人に、「時代祭」見に行こうよ~と誘っても、あまりのってきません。「いつも同じだから…」と、あっさり。そもそも「時代祭」は、東京へ天皇が移られて、さびれた京都を活性化しようと、遷都1100年記念に作られたパビリオン「平安神宮」。その祭りであり、時代装束に見事さを披露することで、京都の織物産業の素晴らしさをアピールしようという思いもあった祭りなのです。ですから、神事の色彩が薄いと言えます。そこが「葵祭」「祇園祭」と違う点。

「確かに威勢のいい御神輿もないもんね~」とミモロ。しずしずと進む鳳輦です。

午後、1時半すぎ、三条通の仕事場にいたミモロの耳に、行列の先頭の「維新勤王隊列」の笛の音が、風ののって聞こえてきました。「もうすぐ、この前通るんじゃないの…」と、三条通に出かけます。

すでに交通規制が行われている通り、沿道には、見物人の姿が・・・

「始まった~」ミモロは、最前列で見物です。

「バ~」ミモロの姿を見つけた「徳川城使上洛列」の長持ちの方。
 
奴行列も続きます。
 

蒔絵の豪華な駕籠、そして和宮さま
 
「わ~いろんな人たちがいる…」次々続く列…先頭は、すでに「平安神宮」に入ったそう。でも、まだまだ最後尾までは…。


「あ、黒毛和牛…」
もうミモロったら…。

ミモロの時代祭見物は、その後もしばらくつづきました。

 
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100周年特別展開催中の西陣にある「京都市考古資料館」。大正3年竣工のレトロな建物

2015-10-22 | 博物館・美術館

今出川通沿い、西陣にある「京都市考古資料館」。「よく前を通るけど、一度も入ったことないね~」と、ミモロだけでなく、おそらく京都に住む人たちも、あまり大人になってからは、訪れたことがないのでは…。

 
今出川通に面して建つ、堂々とした、ちょっとレトロな建物です。

そもそもこの資料館は、昭和51年に財団法人京都市埋蔵文化財研究所が設立され、数多くの発掘調査、研究などを行い、そこで発掘された貴重な埋蔵物などを展示公開し、埋もれた文化財への関心を喚起し、普及啓発するために、昭和54年に「京都市考古資料館」として開設されたのだそう。

100周年というのは、この資料館の前身である「西陣織物館」が、大正4年(1915)に開館したことを記念するもので、11月29日まで、「特別展示 都へのあこがれーひろがる京文化ー」が開催されています。

この特別展は、西陣織の歴史をはじめ、戦国時代から政治・経済・文化の中心地として日本各地に発信した京文化などにまつわる展示をしています。(特別展は、撮影できないので、あしからず…)

館内に入りましょう。
 
「なんかレトロな建物だね~」と、階段を上がりながら、キョロキョロ…。

この建物は、「旧西陣織物館」で、大正4年の竣工。設計は、建築家・本野精吾で、東京帝国大学を明治39年に卒業し、その2年後、建築家・武田五一の招きで、京都工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)の教授となり、京都を中心に活躍することに。

装飾を排したシンプルでモダンな外観…
内部の装飾も抑えられ、モダニズム建築の先駆的な存在といわれています。

現在、京都市指定有形文化財。施工を担当したのは、大林組です。

歳月と共に、さまざまな補修、補強が行われ、今も、堂々とした姿を誇ります。「傾かなくてよかったね~」とミモロ。

さて、2階の常設展示を見学しましょう。
「わ~土器がいろいろ」
壁面の展示スペースには、京都市内で出土した平安時代に使われていたいろいろな焼き物が、半世紀単位で、区分されて展示しています。時代と共に、焼き物の種類も変わってゆくのがわかる展示です。

だれも見学者がいないフロアをミモロは、独占。


「古い土器もいっぱい並んでる~」縄文、弥生など古い時代の京都の歴史が、そこに…。
 

「京都にも縄文時代があったんだ~」と、平安時代からのイメージが強い京都ですが、平安遷都以前の歴史ももちろん各所にあるのです。
「埴輪もある…」
縄文時代の竪穴式住居跡も京都市内で発見され、その遺跡から型をとってつくったレプリカが展示されています。


「昔の人の木のお靴…」


平安時代、貴族の人たちが履いていた木製の靴。今は、神職の方などが履いていますが。日本では、一般庶民は、いつしか下駄や草履に…。「外反母趾にならなくてよかったね~」と、ミモロ。アジアでは、サンダルのような履物が発達しますが、親指と人差し指(足で、人はさしませんが…)で挟んで履くスタイルは、日本で最も発展したもの。「なんで?」とミモロ…。履物の歴史でも、その理由は、あまりわかっていないよう…。

京都の地層の断面模型。

歴史と共に、堆積された土が、前の時代を地面の中に埋まらせます。

「遺跡って、みんな深い土の中から出てくるでしょ。つまり時代が過ぎるほど、積もった土の上で暮らしてることになるんでしょ?ねぇ、地球って大きくなっちゃったの?」と、首をかしげるミモロ。おそらく洪水などで、山の土が流れて、平地を埋めてゆくんじゃないの…だから、山は削られているかもしれないけど、地球の大きさって、変わらないんじゃないの?ミモロの疑問には、明確に答えられません。

だれかに聞いてみたいもの…。

1階には、ミモロの疑問に答えが見つかるかどうかは、わかりませんが、考古学に関するさまざまな図書が閲覧できるコーナーもあります。

「ここって、静かに勉強できそう…」

現在「京都市考古資料館」では、琳派400年記念協賛事業として、11月23日まで「出土した仁清・乾山」という企画陳列も開催しています。二人の陶工の足跡を紹介する、京都各所から出土した二人の作品が見られます。

*「京都市考古資料館」の詳しい情報は、ホームページで


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