タンポポ
タンポポの「黄色の絨毯」の季節になりました。手の入らない芝生はタンポポに占領されてしまいます。明るい陽ざしを受け、晴れた日には満開に花を開き、目が覚めるような明るい風景をそこに展開します。
戦時下の子供の時代、タンポポの花の茎もかじり食べたりしました。食べ物が足りなかったので、口に入るものは野の草であっても食べたものです。生のタンポポは苦みがあり食べられたものではありませんが、このタンポポの花の茎はあまり苦くないなどとタンポポを選んで食べたりしました。子供の時にすでに北海道に二種類のタンポポがあるのだとわかっていたのです。
食べてあまり苦くなかったのは「西洋タンポポであったのかなあ」と思い返しています。
明るさのあるタンポポの咲く季節は春を待っていた北海道人に希望を与えてくれています。珍しいことには、鵡川町は「タンポポ祭り」を開き、タンポポの町を名乗っています。
しかし、タンポポは一般的には今では雑草で、繁殖力が旺盛なので、手入れを怠ると困る存在となります。
北海道古来の蝦夷タンポポはどこで見ることができるのでしょうか。カムイラビットは車から降りる度にタンポポを摘み、手に取り確認していましたが、長い間一度も見つけることができませんでした。
ある人によれば、札幌の方々に蝦夷タンポポは見られますよ、などといいますが、なかなか見つけるのにはよほどの歩きが必要なのです。
そして、今から18年ほど前のことです。カムイラビットは野付半島に降り立ちました。いつもの通りタンポポの花を摘み花の裏を見て驚きました。初めて蝦夷タンポポに出会ったのです。うれしく大変な驚きでした。
道東はまだ西洋タンポポに占領されていないのだと安堵したものでした。約半数が蝦夷タンポポなのです。周りを調べ歩きました。野付半島は蝦夷タンポポの宝庫と言える場所なのではないかと思います。
別な話ととなりますが、植物図鑑を見ていますと、日本には白いタンポポの花もあるとあります。白花タンポポは北海道には見ることがありません。カムイラビットは天橋立のリフトの上から一輪の白花のタンポポを見つけることがありました。季節が梅の花咲く季節でしたので白花タンポポはこれからの季節だったのでしょう。