「8月15日 終戦の日」
終戦の日にちなみ、戦争に関した放送が多くなっています。
今日のNHKの特別放送、夜7時30分から「インパール作戦」の放送があります。
書き始めた時は放送が始まる前でした。
時折、インパール作戦の言葉は聞きますが、具体的に知る人は多くはないでしょう。
私の我が家の長男、次男、三男は戦争に出向き、三男は無事戻りましたが、長男、次男は戦死しました。
私は幼かったので、戦死したふたりの兄の顔は知りません。
長兄は中学校の先生をしていましたが、徴兵されインパールの戦地に向かったのです。
どのような場所でどのような死であったかも知らされていません。
我が家には送られてきた遺骨箱が3ケ(間違って長兄の遺骨が2度送られてきて3ケとなっていました)ありました。父の転勤の旅に遺骨箱も持ち歩きました。
戦後、何10年もしたのちお墓に納めたのでしたが、中は紙切れ一枚でした。
今日の放送でお分かりの様にインパール作戦は最も無謀な戦争でした。
ビルマは乾季と雨季のある土地で、乾季の時に短期(3ケ月)でインパールを落とそうという作戦でしたが、戦争は長引き、甘く見ていた対するイギリスは補給も十分だったのに対し、日本は3ケ月分の食糧しかなく、すべての補給は断たれる有様で、今では最も無謀な戦争だったと言われています。
攻略が出来ないと判断され撤退するのですが、すでに雨季になっており、撤退途中で多くの兵士が命を落としたのでした。4万人の兵士が亡くなったと言われています。
現存の画面に出て来た人の話の中に、「野獣にも襲われた」と言います。ヒョウに襲われ、倒れた兵士にはハゲタカが飛びついてきたといい、死んだ兵士の肉を切って売りに行ったりしたとの話にはとても想像もできない有様の様でした。
死んだ戦友の衣服ははがされ、ふんどしまでも取られたと言います。
道沿いに兵士が次々と倒れ、今では白骨街道の名さえ残っています。
インパール作戦の話を聞く度に兄は無念の死をどう迎えたのか、胸が苦しくなるのです。
★強硬派の「牟田口兼也中将」の為に多くの人が亡くなりました。許されるべきではありません。