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けっぱれラピット、どろ亀さんに負けるな。ウサギとカメとの競走です。随想、旅行記、日記など、雪の降る街からのお便りです。

稲雲坂 コスモスロード

2014-06-21 09:46:38 | 草花

稲雲坂(とううんざか)  もう地名として定着したかな

カムイラビットは前に道立の高校に勤めていた事はブログのどこかで触れましたが、最後に勤めた学校は、「北海道札幌稲雲高等学校」です。手稲地区には高校が当時4校あって、札幌手稲高校、札幌稲北高校、札幌稲西高校、そして私の勤めていた札幌稲雲高校です。(現在では稲北高校と稲西高校が合併し手稲地区には3高等学校となっています)。                              手稲の北に造られた「札幌稲北高校」、そして手稲の西に造られた「札幌稲西高校」、そして、次に造られた私の勤めた高校の名を付けようとして、はたと困ったらしいのです。手稲の南にあたりますので、今までの高校のように順次名を付けるとすると「さっぽろとうなん高校」となります。電話で「もしもしこちらはとうなん高校です」となると言葉だけでは「盗難高校」のように思われ縁起でもありません。

札幌稲雲(とううん)高校は、高速札樽(さっそん)道路の山手、手稲山の麓(ふもと)にあたり、小高い場所に位置します。平地より更に高い手稲の雲の上の高校をもじったものか、「北海道稲雲高等学校」と名が付きました。手稲山山麓は岩がごろごろしている所で、この岩だらけの山麓を平地化し高校を造り上げるには莫大な費用がかかったと言います。札幌一高い金額をかけて高校が造られました。このことをもじれば「札幌一の高校」などと言えます。

カムイラピットはこの高校で3年間勤めました。当時新興の高校らしく手稲の街の方とも親しく交流があり、街の方と稲雲高校に登る坂道の脇にコスモスを花咲かせにコスモスの路を作る話が進み、コスモスを植えた路に「稲雲坂コスモスロード」と名を付け看板を立て、毎年コスモスの花を咲かせています。

「稲雲坂」とはコスモスを植えている仲間たちだけの呼び方なのかな、もしくは今は多くの手稲の街の人が呼んでいる地名になっているのではないか などと思っているのです。新聞にもテレビにもインターネットでも紹介されているので正式な名として言われている地名と云えるかも知れません。

稲雲高校に行くにはJR手稲駅で降りて、そのまま南の手稲山の方に歩って行きます。稲雲高校行きのバスもありません。喘息気味の生徒も3年間この坂道を歩って通うと直ってしまったと聞きます。坂道を通う生徒は皆が健康ものです。女生徒の歩く速度に今は私の足の速度ではついて行けません。受験生・父兄からは交通費がかからないと人気の高校になっています。

 

今年は皆でコスモスの種蒔きの記念写真は撮りませんでした。左上の塀は札幌稲雲高校のもので、この上の奥の一角に高校が建てられています。手稲山山麓にある稲雲高校からの夜景は天下一品の美しさです。手稲の街が眼下に一望できます。

塀をよく見ていただくと植物が壁に付いていますが蔦です。秋には蔦の葉は真っ赤に染まり心をなぐさめてくれ、それは綺麗です。この蔦はカムイラビット在職中に植えたものです。            

もうすでに札幌稲雲高校も昨年で創立30年になりましたから、コスモスロードを造り出してから17年にもなるのです。その当時から「稲雲坂コスモスロード」の看板を立てましたので、稲雲坂の名ももう市民権を得ているはずなのです。今年もコスモスの種蒔きにでかけました。

昨年故えあって今年からは立派にコスモスを蒔く場所が建設会社の出費で整備され、種蒔きも最高に楽になりました。

 

上の写真は、第2代目の「稲雲坂コスモスロード」の看板(平成26年から)。第1代目は朽ちてしまいましたが、大野渓石氏(刻書の大家=カムイラビットの友人)に字を書いて戴き、刻字はカムイラビットが行った味のあるものでした。

コスモスロードを立ちあげている仲間は「花族会議」といい、あれから15・6年経ち、それぞれ仲間は年齢を積み重ねていますが、いたって和気あいあいのコスモス(花)好き、稲雲高校好きな仲間の集まりです。

このコスモスロードを作る花族会議の連中と今月28日(土)にオロフレ山に登山の計画を企てています。オロフレ山も高山植物が豊富と聞きます。どんな花が我々を待っているのでしょうか。


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