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信州松本からの投稿(2004年11月11日~)

松本城いろいろ 一覧

2023-01-31 | 松本城 いろいろ
松本城いろいろ 一覧
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大天守1階の柱に残る小舞穴(こまいあな)痕跡

2019-04-24 | 松本城 いろいろ
松本城大天守1階の柱に残る小舞穴(こまいあな)痕跡

松本城大天守1階の柱に残る小舞穴(こまいあな)痕跡

天守一階の多くの柱に残っている小舞穴(こまいあな)の痕跡。
※小舞とは「 壁の下地に用いる竹や細木」の事。
この小舞穴の痕跡から間仕切りの壁の位置がわかります。
大天守1階は中央に十文字の通路があき、四隅に南北二間、東西三間の同じ規格の四部屋になるようです。


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大天守5階の角柱に残る擦痕跡(さっこんあと)

2019-04-24 | 松本城 いろいろ
松本城大天守5階の角柱に残る擦痕跡(さっこんあと)

松本城大天守5階の角柱に残る擦痕跡(さっこんあと)

明治における修理の際、縄をかけて天守の傾きを直した名残りといわれています。
※郷土出版社「定本国宝松本城」(昭和63年発行)より引用。


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松本城三の丸 石組水路跡

2019-02-24 | 松本城 いろいろ
平成28年10月~平成31年2月まで行われた松本城三の丸跡の第9次発掘調査で松本城の外堀と総堀を結ぶ石組水路が発掘されました。
この外堀と総堀を結ぶ石組水路について平成31年2月16日から3月3日(日)までの間、松本市時計博物館で速報展「発掘された松本2018」で報告されました。
その内容の一部を松本考古博物館様のご了承をいただき、紹介させていただきます。

速報展「発掘された松本2018」 松本城三の丸跡

速報展「発掘された松本2018」 松本城三の丸跡

速報展「発掘された松本2018」 松本城三の丸跡
石組水路。
外堀の水を総堀へと流す排水や水位調整の役割がありました。

速報展「発掘された松本2018」 松本城三の丸跡
水路の水が総堀へと排出される出口付近。
総堀の落ち際には無数の杭が設置されています。

速報展「発掘された松本2018」 松本城三の丸跡
水路底面に敷かれた板材。

※写真は松本考古博物館様のご了承をいただきblog掲載しております。


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大正末期~昭和初期頃の松本城周辺遠景写真

2018-03-05 | 松本城 いろいろ
大正末期~昭和初期頃の松本城周辺遠景写真

平成30年1月3日(水)~4月15日(日)の期間、松本市立博物館で開催されていた『松本市市制110周年記念「収蔵品展~あの頃の松本~」』で展示されていた興味深い写真です。
※写真は松本市立博物館様のご了承をいただいて掲載させていただいています。


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松本城 懸魚(げぎょ)の六葉(ろくよう)

2018-01-11 | 松本城 いろいろ
六葉(ろくよう)は懸魚の中央上部つけられた飾りで、六葉の中心からとび出ている棒は「樽の口(たるのくち)」、その根元の菊の花に似たものは「菊座(きくざ)」と呼ばれます。
菊座は饅頭の形をしたものもあり、これは円座(えんざ)と呼ばれます。

松本城 懸魚(げぎょ)の六葉(ろくよう)


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松本城 足駄塀(あしだべい)

2012-11-23 | 松本城 いろいろ
現在の松本城には存在していない防御施設ですが、明治末年に撮影された古い写真には足駄塀(あしだべい)が写し取られています。
また、明治初年の松本城の本丸・二の丸を描いた絵図にも足駄塀が描かれています。(下絵図)
松本城 足駄塀(あしだべい)

松本城 足駄塀(あしだべい)
赤い丸で囲んだ部分が足駄塀です。
※上記の画像は松本市立博物館様より許可を得て掲載しております。

松本城の内堀にはこの足駄塀が二ヶ所設置されていたようです。
一ヶ所は埋門の北側に、もう一ヶ所は本丸と二の丸の間の内堀北側です。
この足駄塀は、内堀と外堀を区切る「目隠し」として、また内堀と外堀を遮蔽し敵の船による水平移動を防ぐためのものであったようです。

構造は堀の中に杭を連続して打ち込み、水面上約1メートルの所から板塀を立て、その上に屋根が付けられています。
上の絵図を見ると屋根は瓦葺、塀は下見板張りで、高さは埋門がある石垣と同高程度であったようです。
絵図でははっきりしませんが、明治末年に撮影された古い写真には控柱(ひかえばしら)も取り付けられているように見えます。

足駄塀(あしだべい)
松本城足駄塀の想像図


「図説国宝松本城」によると、幕末期の松本城の姿を可能な限り具現する事を目指し、調和と統一ある復元を図るとして18項目が書き並べられています。
この中で5番目に「足駄塀の復元」が記載されています。
もし足駄塀の復元が実現すれば、現在埋門にかけられている資料に基づかない埋の橋は撤去される可能性があります。


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埋の橋

2012-11-21 | 松本城 いろいろ
松本城 埋の橋

松本城 埋の橋

松本城 埋の橋

松本城 埋の橋

埋橋(うずみのはし)は1955年(昭和30年)に埋門に架けられた橋です。
朱塗りの勾欄(こうらん)を付け、北西から眺める大天主に彩りを添えています。

「図説国宝松本城」によると、幕末期の松本城の姿を可能な限り具現する事を目指し、調和と統一ある復元を図るとして18項目が書き並べられています。
この中で5番目に「足駄塀の復元」が記載されています。
もし足駄塀の復元が実現すれば、この埋の橋は取り払われる可能性があります。


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埋門跡

2012-11-20 | 松本城 いろいろ
松本城 埋門

松本城 埋門

松本城の埋門(うずみもん)は石垣を通路の幅だけ切り通して、その間に門を設置したものです。
現在はこの場所に朱塗りの勾欄の付いた「埋の橋」が架けられていますが、金井圓編著「松本城 その歴史と見どころ」によると、「古図によればまっすぐの長橋で、本丸に近い部分だけ桔橋(はねばし)になっていた。この部分はふだん埋門を塞ぐかたちで引き上げてあり、非常の時に下ろして架け渡したといわれる。」とあります。


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玄蕃石(げんばいし)

2011-08-21 | 松本城 いろいろ
松本城太鼓門玄蕃石(げんばいし)
玄蕃石(げんばいし)は太鼓門向かって左側にある巨石です。


松本城築城の際の石材は山辺山・浅間・岡田から切り出されたようです。
二の丸太鼓門にある巨石を「玄蕃石」と呼んでいますが、この石について人々の酷使にまつわる話が残っています。
築城の際、井深村(岡田)に有ったこの石を城普請のために運搬させようとした時、人夫の一人に苦情を訴えるものが一人いた。
それが城主石川玄蕃頭康長の耳に入った。
康長は怒って多数の人々の前面に呼び出し、たちどころに首をはね、槍の穂先に貫いて先頭にたて、みずからはその石の上に飛び乗って「ものどもさあ引け!」と命令をして運搬させたものだという。
だれいうとなくこの石を玄蕃石と呼ぶようになった。
※松本市誌第二巻歴史偏Ⅱ近世より引用
かなり残酷な話ですが、石川氏が改易された後に入封した小笠原秀政は他村他領や山中に逃散した農民の帰村を促す還往策をとっていることからも、城普請に農民などがかなり人足としてかり出され無理な仕事をさせられていた事が窺えます。

松本城太鼓門玄蕃石(げんばいし)

松本城太鼓門玄蕃石(げんばいし)

松本城太鼓門玄蕃石(げんばいし)

松本城太鼓門玄蕃石(げんばいし)
この玄蕃石(げんばいし)は高さ3.2m、推定重量26.5トンと言われています。


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石に刻まれた戸田家家紋

2011-02-17 | 松本城 いろいろ
2月4日のblogで、黒門の石垣の石に刻まれた戸田家家紋を見損なってしまった顛末を描きましたが、ようやく刻まれた戸田家家紋を確認する事ができました。


石に刻まれた戸田家家紋
戸田家家紋の離れ六つ星が刻まれている石です。

石に刻まれた戸田家家紋
石に刻まれた戸田家家紋を拡大しています。
はっきりはしませんが何となくわかりました。

石に刻まれた戸田家家紋
戸田家家紋の離れ六つ星の位置です。


戸田家家紋のついた鐙瓦(あぶみがわら)
戸田家家紋のついた鐙瓦(あぶみがわら)です。

松本城 歴代城主の家紋



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史跡松本城西総堀土塁公園

2010-08-28 | 松本城 いろいろ
松本城天守から見ると南西方向に当たる「土井尻(どいじり)」地区に、幸いにも西総堀土塁が残った場所があり、平成19年2月に史跡指定されました。
松本市はこの西総堀土塁を史跡公園とするため土塁を復元し「史跡松本城西総堀土塁公園」として整備を始め、平成22年3月31日に竣工しました。
復元土塁の南北断面は壁で固定され、南側の壁には残っていた土塁の断面が描かれ、解説パネルも展示されています。
復元された土塁は長さ約20メートル、高さ約4メートル程の規模となっています。



史跡松本城西総堀土塁公園
復元された土塁を南東方向から見ています。

史跡松本城西総堀土塁公園
復元された土塁を東方向から見ています。

史跡松本城西総堀土塁公園
南側の壁には残っていた土塁の断面が描かれ、その上部には復元した土塁の輪郭が表示されています。


以下の写真はこの南側の壁に設置されていた解説版です。

史跡松本城西総堀土塁公園


史跡松本城西総堀土塁公園

史跡松本城西総堀土塁公園

史跡松本城西総堀土塁公園

史跡松本城西総堀土塁公園

※掲示されていた解説板の写真については、松本城管理事務所のご了解をいただいて載せています。


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松本城存続の危機

2009-11-03 | 松本城 いろいろ
松本城

松本城存続の危機(1)
廃藩置県の後、松本城は政庁としての役目が無くなり不要なものとなってしまいました。
(※政庁は政務を取り扱う役所。)
1872年(明治5年)筑摩県が時の政府に伺いをたてたところ、入札して民間に払い下げ代金を政府に納めなさいということになりました。
この時、下横田の副戸長の市川量造先生が天主閣保存運動を始めました。
市川先生は欧米の博物館のような施設としてこの松本城を保存することを訴え金策に奔走、数回の博覧会を開催することによって競売の資金を得、解体される前に何とか天主閣等を買い戻すことができました。

松本城存続の危機(2)
しかし、天主閣の維持管理は難しく老朽化により荒れるがままになっていました。
この危機に松本中学校長の小林有也先生が小里頼永氏らと松本天主保存会を立ち上げ(1901年 明治34年)、会員や篤志家からの寄付を募り、1903年(明治36年)に修理が始まり1914年(大正2年)に竣工しました。

松本城存続の危機(3)
太平洋戦争直後、在日連合軍美術顧問が松本城の損傷状況を見て文部省に対処を勧告しました。
これを受けて松本市内で修理保存運動が高まり、1950年(昭和25年)から国の直轄事業として天主閣解体復元修理工事が始まりました。
解体に2年、復元に3年余をかけ、松本城が再び市民の前に姿を現したのは1955年(昭和30年)でした。


※2009年(平成21年)年2月14日から松本市立博物館で開催された「写真で振り返る商都松本の100年」に展示されていたパネルの記載内容を参考にしています。


松本城黒門を入って右側にある、「小林有也先生」と「市川量造先生」の顕彰碑
松本城黒門を入って右側にある、「小林有也先生」と「市川量造先生」の顕彰碑

松本城黒門を入って右側にある、「小林有也先生」と「市川量造先生」の顕彰碑の前にたてられている説明板
顕彰碑の前にたてられている説明板


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松本城 石垣のずれチェック用ガラス板

2009-08-07 | 松本城 いろいろ

松本城 ガラス板

松本城 ガラス板

友人から宿題のような感じでいただいていたことについて、ようやく見つける事ができました。
松本城で見つけた「板ガラス」です。
これで石垣のずれをチェックするのだそうです。


黒門枡形は、昭和35年の復興以来門台石垣のせり出しが認められ、定期的な観測による監視体制をとっているようですが、門台石垣のせり出しに伴う黒門二階床面のひずみがみられるので長期的な観測結果により、門台の積み直しと黒門自体の修復を行う予定。
そのための観測装置のようです。

松本城管理事務所の方にお聞きしたところ、以前はもう1か所ガラス板を設置していた場所がありましたが、現在はこの1か所だけとの事でした。


名古屋城では石垣にビール瓶をさしこんで、石垣のひずみ具合を見ているそうです。


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松本城天守群の高さ

2009-03-18 | 松本城 いろいろ
松本城の高さ

松本城は大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の5棟からなる連結複合式天守です。
各棟の高さは、
大天守 ---29.4m
乾小天守 --16.8m
渡櫓  ---12.0m
辰巳附櫓 --14.7m
月見櫓  --11.1m
                  です。


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