朝8時頃の常念岳です。
北アルプスの山並み。
≪ちょいと情報≫
以前から、南佐久郡があって北佐久郡がある、上伊那郡があって下伊那郡がある、上高井郡があって下高井郡がある、上水内郡があって下水内郡がある、南安曇郡(注2)があって北安曇郡がある、だけどどうして東筑摩郡があって西筑摩群が無いのだろうと不思議に思っていました。
実は我が家のある場所は現在松本市の地籍ですが、以前は東筑摩郡でした。
東筑摩郡があるということは西筑摩群もあるはずなのですが、どういうわけか現在地図にはありません。
明治初期には現在の松本市と東筑摩郡は、長野県ではなく筑摩県(注1)に属していました。
そのため、東筑摩郡の丁度西にあたる現在の高山市辺り一帯が西筑摩群なのではないかと私の中では想像していたのですが、調べてましたら全く違いました。
西筑摩群は現在の木曽郡でした。
明治12年(1879年)1月4日に郡区町村編制法の長野県での施行により、筑摩郡のうち24村の区域に行政区画としての西筑摩郡が発足しましたが、昭和43年(1968年)5月1日にこの西筑摩郡を改称して木曽郡としたのだそうです。
この事を踏まえ、東筑摩郡がどうして北筑摩郡や上(下)筑摩郡でなかったのか、新たな疑問が生じます。
いい年の私ですが、一つの疑問が解けて喜んでいますが、いかに世の中の動きを把握していなかったかが分かりお恥ずかしい次第です。
(注1)筑摩県(ちくまけん)は、1871年(明治4年)に飛騨国および信濃国中部、南部を管轄するために設置された県。現在の長野県中信地方・南信地方、岐阜県飛騨地方と中津川市の一部にあたる。
(注2)南安曇郡は、平成17年(2005年)4月1日に奈川村・安曇村・梓川村が松本市に編入、同年10月1日に豊科町・穂高町・堀金村・三郷村が東筑摩郡明科町と合併して安曇野市が発足し、郡より離脱。同日南安曇郡は消滅しています。