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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 春 一月上旬

2013年01月09日 | 日本古典文学-春

承和十二年 春正月 乙卯(八日)
(略)
本日、外従五位下尾張連浜主(はまぬし)が龍尾道上において和風の長寿楽を舞った。観覧者は千人を数えた。始めは、背に河豚(ふぐ)の文様のような染(し)みのついた老人の姿で、整った立ち居振る舞いができないように思われたが、袖を垂らして曲に合わせて舞い出すと、あたかも少年のようであった。四方の座席の者は皆、「近ごろ、このような者を見たことがない。浜主は本性、楽舞の人である」と言った。この時浜主は百十三歳であった。自ら長寿楽の舞を作り、上表してこれを舞うことを求め、表中に次の和歌を詠んでいた。
 七代(ななつぎ)の御代に遇(まわ)へる百(もも)ちまり十(とお)の翁の舞ひ奉る
丁巳(十日)
天皇が尾張浜主を清涼殿に召して、長寿楽を舞わせた。浜主は次の和歌を詠み奉った。
 翁とて寂(わ)びやはをらむ草も木も栄ゆる時に出でて舞ひてむ
天皇は賞歎し、左右の者は感涙を流した。御衣(ぎょい)一襲(かさね)を賜い、引き下がらせた。
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

む月のついたち比大納言殿にかねもり参りたりけるに物なとのたまはせてすゝろにうたよめとのたまひけれはふとよみたりける
けふよりは荻の焼く原かきわけて若なつみにと誰をさそはん
とよみたりけれはになくめてたまふて御かへし
かたをかに蕨もえすは尋つゝ心やりにやわかなつまゝし
となんよみ給ひける
(大和物語~バージニア大学HPより)

 年も返りぬ。春のしるしも見えず、凍りわたれる水の音せぬさへ心細くて、「君にぞ惑ふ」とのたまひし人は、心憂しと思ひ果てにたれど、なほその折などのことは忘れず。
  「かきくらす野山の雪を眺めても降りにしことぞ今日も悲しき」
  など、例の、慰めの手習を、行ひの隙にはしたまふ。「我世になくて年隔たりぬるを、思ひ出づる人もあらむかし」など、思ひ出づる時も多かり。若菜をおろそかなる籠に入れて、人の持て来たりけるを、尼君見て、
  「山里の雪間の若菜摘みはやしなほ生ひ先の頼まるるかな」
  とて、こなたにたてまつれたまへりければ、
  「雪深き野辺の若菜も今よりは君がためにぞ年も摘むべき」
  とあるを、「さぞ思すらむ」とあはれなるにも、「見るかひあるべき御さまと思はましかば」と、まめやかにうち泣いたまふ。
  閨のつま近き紅梅の色も香も変はらぬを、「春や昔の」と、異花よりもこれに心寄せのあるは、飽かざりし匂ひのしみにけるにや。後夜に閼伽奉らせたまふ。下臈の尼のすこし若きがある、召し出でて花折らすれば、かことがましく散るに、いとど匂ひ来れば、
  「袖触れし人こそ見えね花の香のそれかと匂ふ春のあけぼの」
(源氏物語・手習~バージニア大学HPより)

 殿より、睦月(むつき)十日頃に山へ人奉り給ふ。さまざまの山づと細(こま)やかにて、御文(ふみ)には、
 「深山辺(みやまべ)の春の霞やいかならん都の雪はふりにける身を
 あはれもまさりて」
などあり。
 御返りは、かう遥々(はるばる)と思しいたはること、大宮の御ことなど細(こま)やかにて、
 都人雪ふる年も立ち返り花ぞ咲くらん君し住まへば
(海人の刈藻~「中世王朝物語全集2」笠間書院)

都には消えにし雪、ところどころむら消え残りて、今もうち散りつつ、まだ旧年の心地するに、端近き梅ばかり春を知らせ顔に開けわたりて、池のほとりの水の流れ、石のたたずまひなど、世かはりてめづらしきに、据ゑたてまつらせたまへる、しのぶかひありさまばかりはいみじけれど、歩み寄るより、「もて離れ、世づかずの御住居や」と、大納言殿にて思ひ出できこえつるもしるく、涙先に立つ心地するに、例の世のつねの人ざまにて居たまひたらば、心やすくもあるべきを、桜、梅の御衣どものうへに、紅梅の固織物の小袿着たまひて、萌黄だちたる帯を、はかなげにうち掛けて、行ひしたまひけるなめりと見ゆるを、(略)
(夜の寝覚~新編日本古典文学全集)

むつきのはしめつかた雨ふる日よませ給うける 院御製
長閑にもやかて成行けしきかな昨日の日影けふのはるさめ
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

正月一日、堀河内裏にて南殿の御前の山のけしき春めきて見ゆるに、雨すこし降る
春雨のけふ降りそむるかひありて山のけしきぞ薄緑なる
(周防内侍集)

春のはしめ、雨ふる日、草のあをみわたりて見え侍けれは 京極前関白家肥後
いつしかとけふ降そむる春雨に色つきわたる野への若草
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

ある人のもとに、にゐまいりの女の侍りけるか、月日ひさしくへて、む月のついたちころにまへゆるされたりけるに、雨のふるを見て よみ人しらす
しら雲のうへしるけふそ春雨のふるにかひある身とはしりぬる
(後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

ほどなく年くれて春にもなりにけり。かすみこめたるながめのすゑいとゞしく、谷の戸はとなりなれど、鶯のはつねだにおとづれこず。
(十六夜日記~バージニア大学HPより)

睦月の朔日ころ、(略)
御前近き若木の梅、心もとなくつぼみて、鴬の初声もいとおほどかなるに、(略)
(源氏物語・竹河~バージニア大学HPより)

正月二日、あふさかにてうくひすのこゑをきゝてよみ侍ける 源兼澄
ふるさとへ行人あらはことつてんけふ鶯のはつねきゝつと
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

選子内親王いつきときこえける時、正月三日かんたちめあまたまいりて梅かえといふうたをうたひてあそひけるに、内よりかはらけいたすとてよみ侍ける よみひとしらす
ふりつもる雪きえかたき山里に春をしらする鶯のこゑ
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

む月の比、山寺にこもりたりけるに、鶯の声は聞たりやと京より申ける人の返事に 藤原清正
鶯のなく音たにせぬ我宿は霞そたちて春と告つる
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

道助法親王の家の五十首歌の中に、雪中鶯 藤原信実朝臣
またさかぬ軒はの梅に鶯の木つたひちらす春のあは雪
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

正月朔、雪のうち降るを見て
梅ははや咲きにけりとて折れば散る花こそ雪の降ると見えけれ
(和泉式部続集~岩波文庫)

伊勢大輔家歌合に よみ人しらす
浅みとり春の空よりちる雪に木すゑの梅も匂ひぬるかな
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

睦月の初めつ方、渡部の祝部が許に宿りて、つとめて 宮に詣でたりけるに雪のおもしろう林にふりかかりたるを見てよめる。
この宮の宮のみ坂に出で立てばみ雪降りけりいつ樫が上に
(良寛歌集~バージニア大学HPより)

村上の前帝の御時に、雪のいみじう降りたりけるを、様器(やうき)に盛らせ給ひて、梅の花をさして、月のいと明(あ)かきに、「これに歌よめ。いかがいふべき」と、兵衛の蔵人に賜はせたりければ、「雪月花の時」と奏したりけるをこそ、いみじうめでさせ給ひけれ。
(枕草子~岩波文庫)

延暦二十年正月丁酉(四日) 曲宴が催された。本日、雪が降り、天皇が次の和歌を詠んだ。
 梅の花恋ひつつをれば降る雪を花かも散ると思ひつるかも
五位以上に身分に応じて物を下賜した。
(日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

延長九年{○承平元年}正月九日、白雪滿庭、雪見參取女官、先度只取男官、不取女官故也、
(貞信公記~国文学研究資料館HPの古事類苑DBより)

(安貞元年正月)二日。天晴る。(略)日入るの後、初月弓に似たり。高く空碧(くうへき)に懸る。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(安貞元年正月)五日。暁、雪庭の草を埋め、籬(まがき)の竹に満つ。陽景陰ると雖も、白雪漸く消ゆ。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(建暦二年正月)十日。天晴る。四条旧院の女房、今日初めて九条に出づ。車等を遣はす。今夜、兼日の催し領状すと雖も、夜前窮屈、法勝寺に参ぜざるなり。夜に入りて少将参内す。朧月和風、始めて春気あり。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)