さぎちやうは、正月に打ちたるぎちやうを、眞言院より神泉苑へ出して、燒きあぐる なり。「法成就の池にこそ」とはやすは、神泉苑の池をいふなり。
(徒然草~バージニア大学HPより)
十五日儺火あり。大夫の雜色のをのこどもなびすとてさわぐをきけばやうやうよひすぎて「あなかまや」などいふこゑきこゆる。をかしさにやをらはしのかたにたちいでゝみいだしたればつきいとをかしかりけり。ひんがしざまにうちみやりたれば山かすみわたりていとほのかに心すごし。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)
さぎちやうは、正月に打ちたるぎちやうを、眞言院より神泉苑へ出して、燒きあぐる なり。「法成就の池にこそ」とはやすは、神泉苑の池をいふなり。
(徒然草~バージニア大学HPより)
十五日儺火あり。大夫の雜色のをのこどもなびすとてさわぐをきけばやうやうよひすぎて「あなかまや」などいふこゑきこゆる。をかしさにやをらはしのかたにたちいでゝみいだしたればつきいとをかしかりけり。ひんがしざまにうちみやりたれば山かすみわたりていとほのかに心すごし。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)
ときしまれ今日にしあへるもちがゆは松のちとせに君もによとか
(順集~日文研HPより)
十五日。今日、小豆粥煮ず。
(土佐日記~新編日本古典文学全集)
十五日は、もちかゆの節供まゐる。かゆの木ひき隱して、家の御達、女房などのうかがふを、うたれじと用意して、常に後を心づかひしたる景色もをかしきに、いかにしたるにかあらん、打ちあてたるは、いみじう興ありとうち笑ひたるも、いと榮々し。ねたしと思ひたる、ことわりなり。去年より新しう通ふ壻の君などの、内裏へ參るほどを、心もとなく、所につけて我はと思ひたる女房ののぞき、奧のかたにたたずまふを、前にゐたる人は心得て笑ふを、「あなかまあなかま」と招きかくれど、君見知らず顏にて、おほどかにて居給へり。「ここなる物とり侍らん」などいひ寄り、はしりうちて逃ぐれば、あるかぎり笑ふ。男君もにくからず愛敬づきて笑みたる、ことに驚かず、顏少し赤みてゐたるもをかし。また互に打ちて、男などをさへぞうつめる。いかなる心にかあらん、泣きはらだち、打ちつる人を呪ひ、まがまがしくいふもをかし。内裏わたりなど、やんごとなきも、今日はみな亂れて、かしこまりなし。
(枕草子~バージニア大学HPより)
かやうにて年も返りて、(略)さまざま祝ひ過しつつ、果ての十五日には、若き人々群れ居つつ、をかしげなる粥杖(かゆつゑ)ひきかくしつつ、かたみにうかがひ、打たれじと用意したるゐずまひ・思はくどもも、各々(をのをの)をかしう見るを、大将殿は見給て、(略)
(狭衣物語~岩波の日本古典文学大系)
春宮(とうぐう)の御方(おんかた)、いつしか御かたわかちあるべしとて、十五日のうちとひしめく。例の院御方(ゐんのおんかた)、春宮両方にならせ給うて、男、女房めんめんに籤(くじ)にしたがひて分(わ)かたる。相手、みな男に女房合(あは)せらる。春宮の御方には、傅(ふ)の大臣(おとど)をはじめてみな男、院の御方は、御所よりほかはみな女房にて、相手を籤にとらる。傅の大臣の相手にとり当る。
(とはずがたり~講談社学術文庫)