卯杖をよませ侍ける 法成寺入道前摂政太政大臣
神代より年のはしめにきる杖は祝ひそめけり春の宮人
(続後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
みやのうちむつきはかみのうのひとてとるてふつゑはよろつよのため
きみかためときはのやまのたまつはきいはひてとれるけふのうつゑそ
けふみやのうちにはとしのはしめとてくもゐのにはにうつゑたつなり
(夫木抄~日文研HPより)
正月七日、大納言経信の許につかはしける 京極入道前関白太政大臣
あらたまる卯杖をつきて千とせふる君か子日の松をこそみれ
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)
後冷泉院おさなくおはしましける時、卯枝の松を人の子にたまはせけるによみ侍ける 大弐三位
相生のをしほの山のこ松原今より千世のかけをまたなん
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
(正月)十日のほど、空いとくろく、雲もあつく見えながら、さすがに日はけざやかにさしたるに、えせ者の家の荒畠(あらばたけ)などいふところに、ちひさやかなる桃の木のあるが、わかだちのつららかにさしたるを、「卯槌(うづち)に切らむ」などいひて、わらはべのさわぐを見れは、片つかたはいと青く、いま片つかたは濃く つややかにて蘇枋(すはう)のやうに見えたるこそいとをかしけれ。人の小舎人などにやあらむ、ほそやかなる童(わらは)の、狩衣はここかしこかけやりなどして髪うるはしきがのぼりたるに、また紅梅の衣(きぬ)白きなど、ひきはこえたる男児(をのこご)、庭に来て、半靴(はうくわ)はきたるなど二三人、木のもとに立ちて、「毬打(きちやう)切りて。いで」など乞ふに、また髮をかしげなる女わらはべなどの、袙ほころびがちなる袴の色よきがなよよかなるなど着たるも、三四人出で来て、 「卯槌の木のよからむ、切りておろせ。御前にも召すぞ」などいふに、おろしたれば、我まづ多くとらむと、ばひしらがひたるこそをかしけれ。黒袴(くろはかま)着たる男の走り来て、「我に」と乞ふに、とらせねば、寄りて木のもとを引きゆるがすに、あやふがりて、猿のやうにかいつきてをめくもをかし。
(枕草子・前田家本)
うへにて局へいと疾うおるれば、侍の長なるもの、柚葉の如くなる宿直衣の袖の上に、青き紙の松につけたるをおきて、わななき出でたり。「そはいづこのぞ」と問へば、「齋院より」といふに、ふとめでたく覺えて、取りて參りぬ。まだ大殿ごもりたれば、母屋にあたりたる御格子おこなはんなど、かきよせて、一人ねんじてあぐる、いと重し。片つ方なればひしめくに、おどろかせ給ひて、「などさはする」との給はすれば、「齋院より御文の候はんには、いかでか急ぎあけ侍らざらん」と申すに、「實にいと疾かりけり」とて起きさせ給へり。御文あけさせ給へれば、五寸ばかりなる卯槌二つを、卯杖のさまに頭つつみなどして、山たちばな、ひかげ、やますげなど美しげに飾りて、御文はなし。ただなるやう有らんやはとて御覽ずれば、卯槌の頭つつみたるちひさき紙に、
山とよむ斧のひびきをたづぬればいはひの杖の音にぞありける
御返しかかせ給ふほどもいとめでたし。齋院にはこれより聞えさせ給ふ。御返しも猶心ことにかきけがし、多く御用意見えたる。御使に、白き織物の單衣、蘇枋なるは梅なめりかし。雪の降りしきたるに、かづきて參るもをかしう見ゆ。このたびの御返事を知らずなりにしこそ口惜しかりしか。
(枕草子~バージニア大学HPより)
斎院よりうつへをたまへれは
歎きとてほとほと思ふ斧の音は祝のつえをきるにそ有ける
かへし
をのゝ音も尋ねさりせは玉椿祝のつえをいかてしらまし
(馬内侍集~群書類従)
ここちよげなるもの
卯杖の祝言。
(枕草子~バージニア大学HPより)
(天長七年正月)己卯(四日) 天皇が紫宸殿に出御した。皇太子が邪気を払う御杖(卯杖)を献上した。
(日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)