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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 春 一月二十日頃

2013年01月21日 | 日本古典文学-春

雪の山つくられて侍ける雪を、む月の廿日比に、万里小路右大臣申て侍けるに 月花門院
消のこる雪につけてや我やとを花よりさきに人のとふらん
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

 正月二十日ばかりになれば、空もをかしきほどに、風ぬるく吹きて、御前の梅も盛りになりゆく。おほかたの花の木どもも、皆けしきばみ、霞みわたりにけり。
(略)
夜更けゆくけはひ、冷やかなり。臥待の月はつかにさし出でたる、(略)
(源氏物語・若菜下~バージニア大学HPより)

睦月なかば過ぐるころなど、なにとなく春のけしきうらうらとかすみわたりたるに、高倉院の中納言の典侍(すけ)ときこえし人、いまの内(うち)にさぶらはるゝが、「あはん」とありしかば、昔の事しれる人もなつかしくて、その日を待つ程に、さしあふ事ありて、とどまりぬ。こよひにてあらましと思ふ夜、荒れたる家の軒端より月さし入りて、梅かをりつゝえんなり。ながめあかして、つとめて申しやる。
あはれいかにけさはなごりをながめまし昨日のくれのまことなりせば
かへし
思へたゞさぞあらましのなごりさへ昨日も今日も ありあけの空
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)

二十余日のころ、梅の花盛りなるに、(略)
西の渡殿の前なる紅梅の木のもとに、「梅が枝」をうそぶきて立ち寄るけはひの、花よりもしるく、さとうち匂へれば、妻戸おし開けて、人びと、東琴をいとよく掻き合はせたり。女の琴にて、呂の歌は、かうしも合はせぬを、いたしと思ひて、今一返り、をり返し歌ふを、琵琶も二なく今めかし。
(源氏物語・竹河~バージニア大学HPより)

隙行く駒の足にまかせて、文永も五年に成りぬ。正月二十日、本院のおはします富の小路殿にて、今上の若宮、御五十日聞こし召す。いみじう清らを尽くさるべし。今年正月に閏有り。後の二十日余りの程に、冷泉院にて舞御覧有り。明けむ年、一院、五十に満たせ給ふべければ、御賀あるべしとて、今より世の急ぎに聞こゆ。楽所始めの儀式は、内裏にてぞ有りける。試楽、二十三日と聞こえしを、雨ふりて、明くる日つとめて、人々参り集ふ。新院はかねてより渡らせ給へり。寝殿の御階の間に、一院の御座設けたり。其の西によりて、新院の御座を設く。東は大宮院・東二条院、皆白き御袴に、二御衣奉れり。聖護院の法親王・円満院など参り給ふ。土御門の中務の宮も参り給ふ。上達部・殿上人、数多御供し給へり。仁和寺の御室・梶井の法親王なども、すべて残り無く集ひ給ふ。月花門院・花山院の准后などは、大宮院のおはします御座に御几帳押しのけて渡らせ給ふ。寝殿の第四の間に、袖口共心異にて押し出ださる。大納言の二位殿・南の御方など、やむごとなき上臈は、院のおはします御簾の中に、引きさがりて候ひ給ふ。いづれも、白き袴に二衣なり。東のすみの一間は、大宮院・月花門院の女房共参り集ふ。西の二間には、新准后候ひ給ふ。御前の簀子には、関白殿を始めて、右大臣〔基忠〕・内大臣〔家経〕・兵部卿隆親・二条の大納言良教・源大納言通成・花山院の大納言師継・右大将通雅・権大納言基具・一条の中納言公藤・花山院の中納言長雅・左衛門督通頼・中宮権大夫隆顕・大炊御門の中納言信嗣・前の源宰相有資・衣笠宰相の中将経平・左大弁の宰相経俊・新宰相の中将具氏・別当公孝・堀川の三位中将具守・富小路三位中将公雄、皆御階の東に著き給ふ。西の第二の間より、又、前の左大臣実雄・二条の大納言経輔・前の源大納言雅家・中宮大夫雅忠・藤大納言為氏・皇后宮大夫定実・四条の大納言隆行・帥の中納言経任、此の外の上達部、西東の中門の廊、それより下ざま、透渡殿・打橋などまで著きあまれり。皆、直衣に色々の衣重ね給へり。時なりて、舞人共参る。実冬の中将、唐織物の桜の狩衣、紫の濃き薄きにて桜を織れり。赤地の錦の表着・紅の匂の三衣・同じ単・しじらの薄色の指貫、人よりは少しねびたりしも、あな清げと見えたり。大炊御門中将冬輔と言ひしにや、装束先のに変はらず。狩衣はから織物なりき。花山院の中将家長、右大将の御子、魚綾の山吹の狩衣、柳桜を縫ひ物にしたり。紅の打衣を輝くばかりだみ返して、萌黄の匂の三衣・紅の三重の単、浮織物の紫の指貫に、桜を縫ひ物にしたる、珍しく美しく見ゆ。花山院の少将忠季は師継の御子也、桜の結び狩衣、白き糸にて水を隙無く結びたる上に、桜柳を、それも結びてつけたる、なまめかしく艶なり。赤地の錦の表着、金の文をおく。紅の二衣・同じ単・紫の指貫、これも柳桜を縫ひ物に色々の糸にてしたり。中宮の権亮少将公重実藤の大納言の子、唐織物の桜萌黄の狩衣・紅の打衣・紫の匂の三衣・紅の単、指貫例の紫に桜を白く縫ひたり。堀川の少将基俊基具の大納言の子、唐織物、裏山吹、三重の狩衣、柳だすきを青く織れる中に桜を色々に織れり。萌黄の打衣、桜をだみつけにして、輪違へを細く金の文にして、色々の玉をつく。匂つつじの三衣、紅の三重の単、これも箔ちらす。二条の中将経良良教の大納言の御子也、これも唐織物の桜萌黄・紅の衣・同じひとへなり。皇后宮権亮中将実守、これも同じ色の樺桜の三衣・紅梅の〔匂の〕三重の単、右馬頭隆良隆親の子にや、緑苔の赤色の狩衣、玉のくくりを入れ、青き魚綾の表着・紅梅の三衣・同じ二重の単・薄色の指貫、少将実継、松がさねの狩衣・紅の打衣・紫の二衣、これも色々の縫ひ物・おき物など、いとこまかになまめかしくなしたり。陵王の童に、四条の大納言の子、装束常の儘なれど、紫の緑苔の半尻、金の文、赤地の錦の狩衣、青き魚綾の袴、笏木のみなゑり骨、紅の紙にはりて持ちたる用意気色、いみじくもてつけて、めでたく見え侍りけり。笛茂通・隆康、笙は公秋・宗実、篳篥は兼行、太鼓は教実、鞨鼓はあきなり、三の鼓はのりより、左万歳楽、右地久、陵王、輪台、青海波、太平楽、入綾、実冬いみじく舞ひすまされたり。右落蹲、左春鴬囀、右古鳥蘇、後参、賀殿の入綾も実冬舞ひ給ひしにや。暮れかかる程にて、何のあやめも見えずなりにき。御たかだか宮達、あかれ給ひぬ。
(増鏡~和田英松「校註 増鏡 改訂版」)