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「冬ざれ」用例

2015年12月14日 | 日本国語大辞典-は行

 「冬ざれ」という単語の用例は、日本国語大辞典・第二版では、『砌塵抄』(1455年頃)からの例が早いのですが、さかのぼる用例が複数あります。

冬されの枯野(かれの)の草にぬく玉(たま)とみゆるは夜(よ)はの時雨(しぐれ)なりけり
(297・元永元年十月十一日内大臣忠通歌合、雨後寒草、4)
『平安朝歌合大成3』同朋舎出版、1996年、1848ページ

冬ざれにうきたつ雲は小野山ややくすみがまの煙なりけり
(延文百首、藤原経顕、冬十五首、炭竈、1769)
『国歌大観4』角川書店、1986年、568ページ

冬されの枯のヽ草にふる霰玉はちれとも音の聞えぬ
(巻第三百七十二・菊葉和歌集、第六)
『続群書類従14上』続群書類従完成会、1983年、271ページ

冬されの野へのかれふにふく嵐小篠にさやくおとはかりして
(42・後崇光院1・沙玉集、264)
和歌史研究会編『私家集大成 5巻(中世3)』明治書院、1983年、467ページ

冬ざれの枯野をさむみかる人も嵐にのこる萱がした折(40・永享百首、冬十五首、寒草、580)607ページ
冬ざれのをののしの原うちそよぎ雪げの雲に霰ふるなり(40・永享百首、冬十五首、霰、616)608ページ
『新編国歌大観4』角川書店、1986年

音に聞法のはやしの冬されに心の月のさはらすもかな
 左うた。法のはしの冬され。鶴村日枯樹をおもへるにや。功徳林のこゝろなるへくは。冬されいかゝとおもへはんへり。(略)
(巻第百四十・前摂政家歌合、冬釈教)
『続群書類従15上』続群書類従完成会、1979年、318ページ


古典の季節表現 冬 十二月中旬

2015年12月13日 | 日本古典文学-冬

(延暦十七年十二月)乙丑(十四日) 大雪が降った。諸司で雪掃(はら)いを行い、身分に応じて綿を下賜した。
(日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

 十二月十八日於大監物三形王之宅宴歌三首
み雪降る冬は今日のみ鴬の鳴かむ春へは明日にしあるらし
 右一首主人三形王
うち靡く春を近みかぬばたまの今夜の月夜霞みたるらむ
 右一首大蔵大輔甘南備伊香真人
あらたまの年行き返り春立たばまづ我が宿に鴬は鳴け
 右一首右中辨大伴宿祢家持
(万葉集~バージニア大学HPより)

いよのくにより十二月の十日ころに、舟にのりていそきまかりのほりけるに 式部大輔資業
いそきつゝ舟出そしつるとしの内に花のみやこの春にあふへく
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

同十二月十日法皇は五條内裏を出させ給ひて、大膳大夫成忠が宿所、六條西洞院へ御幸なる。同十三日歳末の御修法在けり。其次に叙位除目行はれて、木曾がはからひに、人々の官ども、思樣に成おきけり。平家は西國に、兵衞佐は東國に、木曾は都に張行ふ。
(平家物語~バージニア大学HPより)

(嘉禄元年十二月)十五日。夜より大風。朝、雪庭に積む。巳の時許りに陽景出づ。門の外の雪を見んと欲す。大風堪へ難し。猶予するの間、雪又消ゆ。未の時許りに浄照房来談。夜に入りて雪猶紛々たり。若し積まば、暁更に門を出づべき由、僮僕を召す。
十六日。夜半より月明に雪止む。地面猶斑(まだら)に雪積む。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

十日 己丑 将軍家、馬場殿ニ出御シタマヒ、遠笠懸ヲ覧タマフ。相州、左親衛、参候セシメ給フ
 射手 
 陸奥掃部助    北條六郎 
 城九郎      佐渡五郎左衛門尉 
 遠江次郎左衛門尉 信濃四郎左衛門尉 
 下野七郎     武田五郎 
 武藏四郎     小笠原與一
十六日 甲午 評定ノ後、御所ニ於テ、御酒宴有リ。左親衛以下数輩参候ス。是レ去ヌル十日御笠懸ノ御勝負ノ会ナリ。
(吾妻鏡【宝治元年十二月十日】【宝治元年十二月十六日】条~国文学研究資料館HPより)

十九日 己未。雪降ル地ニ積ムコト七寸 将軍家、鷹場ヲ覧タマハン為ニ、山ノ内ノ庄ニ出デシメ給フ。夜ニ入テ還御シタマフノ処ニ、知康御共ニ候ズ、而シテ亀谷ノ辺ニ於テ乗馬驚騒*沛留スルノ間(*沛艾スル)、忽チ以テ旧キ井ニ落チ入ル。然レドモ而命ヲ存フ。之ニ依テ御所ニ入御シタマフノ後、小袖二十領ヲ知康ニ賜ハル。
(吾妻鏡【建仁二年十二月十九日】条~国文学研究資料館HPより)

十九日 乙巳 雪降ル。将軍家、山家ノ景趣ヲ御覧ゼンガ為ニ、民部大夫行光ガ宅ニ入御シタマフ。此ノ次ヲ以テ、行光、杯酒ヲ献ズ。山城ノ判官行村等、群参シ、和歌管絃等ノ御遊宴有ツテ、夜ニ入テ還御シタマフ。行光、竜蹄ヲ進ズ〈黒。〉*(*ト云云)。
(吾妻鏡【建保元年十二月十九日】条~国文学研究資料館HPより)

  同元仁元年十二月十二日ノ夜、天曇リ月暗キニ、花宮殿ニ入テ坐禅ス。ヤウヤク中夜ニ至リテ出観ノ後、峰ノ房ヲ出デテ下房ヘ帰ル時、月雲間ヨリ出デテ光雪ニ輝ク。狼ノ谷ニ吠ユルモ、月ヲ友トシテイトオソロシカラズ。下房ニ入テ後又立チ出デタレバ、月又曇リニケリ。カクシツヽ後夜ノ鐘ノ音聞ユレバ、又峰ノ房ヘノボルニ、月モ又雲ヨリ出デテ道ヲ送ル。峰ニ至リテ禅堂ニ入ラムトスル時、月又雲ヲ追ヒ来テ向ノ峰ニ隠レナムトスルヨソホヒ、人知レズ月ノ我ニトモナフカト見ユレバ、二首
雲ヲ出デテ我ニトモナフ冬ノ月風ヤ身ニシム雪ヤツメタキ
  山ノ端ニ傾クヲ見オキテ、峰ノ禅堂ニ至ル時
山ノ端ニ我モ入リナム月モ入レヨナヨナゴトニマタ友トセム
(明恵上人歌集~明治書院・和歌文学大系)

冬残月
春ちかき廿日の月の望の夜になかはは消えて氷のこれる
(草根集~日文研HPより)

 師走のもちごろ、月いとあかきに、物語しけるを、人見て、「誰ぞ。あな、すさまじ。師走の月夜ともあるかな」と言ひければ、
  春を待つ冬のかぎりと思ふにはかの月しもぞあはれなりける
返し、(略)
(篁物語~岩波・旧日本古典文学大系77)

はての月の十六日ばかりなり。しばしありて、にはかにかい曇りて雨になりぬ。倒(たふ)るゝかたならんかしと思ひ出でてながむるに、暮れゆくけしきなり。いといたく降れば障(さは)らむにもことわりなれば、昔はと許おぼゆるに、涙の浮かびてあはれにもののおぼゆれば、念じがたくて人いだし立つ。
 かなしくもおもひ絶ゆるか石上(いそのかみ)さはらぬものとならひしものを
と書きて、いまぞ行くらんと思ふほどに南面の格子も上げぬ外(と)に、人の気(け)おぼゆ。人はえ知らず、われのみぞあやしとおぼゆるに、妻戸おしあけてふとはひ入りたり。いみじき雨のさかりなれば、音もえ聞こえぬなりけり。今ぞ「御車とくさし入れよ」などのゝしるも聞こゆる。「年月の勘事(かうじ)なりとも、今日のまゐりには許されなんとぞおぼゆるかし。なほ明日はあなたふたがる、あさてよりは物忌などすべかめれば」など、いと言(こと)よし。やりつる人は違(ちが)ひぬらんと思ふに、いとめやすし。夜(よ)のまに雨やみにためれば「さらば暮に」などて、帰りぬ。
 方(かた)ふたがりたれば、むべもなく、待つに見えずなりぬ。
(蜻蛉日記~岩波文庫)


「吹き遣る」用例

2015年12月12日 | 日本国語大辞典-は行

 「吹き遣(や)る」という単語の意味は「風が吹いて物を他の所へ運ぶ。」という意味で、日本国語大辞典・第二版では、『日葡辞書』(1603-04年)の例を早い用例としてあげていますが、もっとさかのぼる用例が複数あります。

おきつ風ふきやるかたにさそはれてゆきもとわたるものにぞ有りける
(29・為忠家後度百首、冬、海辺雪、480)
『新編国歌大観 第四巻 私家集編2 定数歌編 歌集』角川書店、1986年、277ページ

たひころも-またひとへなる-ゆふきりに-けふりふきやる-すまのうらかせ
(建保名所百首、秋、387、定家)~日文研の和歌データベースより

山風の吹きやる空の白雲をはるかになしていつる月かけ
(宝治百首、秋、01596、少将内侍)~日文研の和歌データベースより

もしほひの-けふりふきやる-うらかせに-くもりくもらぬ-すまのつきかけ
(沙玉集、68、貞成親王)~日文研の和歌データベースより


「風冴ゆ」用例

2015年12月11日 | 日本国語大辞典-か行

 「風(かぜ)冴(さ)ゆ」という用語は日本国語大辞典・第二版では、1205年の新古今集用例を古い用例としてあげていますが、100年ほどさかのぼる用例があります。

 しなかとりゐなのふしはら風寒てこやの池水氷しにけり
(巻第百六十七・堀川院御時百首和歌、冬十五首、凍)
『群書類従・第十一輯(訂正三版)』続群書類従完成会、1993年、166ページ


「笹舟」用例

2015年12月09日 | 日本国語大辞典-さ行

 「笹舟」という単語には、「軽い、小さな船」という意味の語釈があり、日本国語大辞典・第2版では、『日葡辞書』(1603-04年)からの例が早いのですが、さかのぼる用例があります。
 表記は「笹」の字をあてないで、語素「ささ(細・小)」+「船・舟」のような気もします。

海辺冬 霜をへて松に汐かせさやく日の海のおもてはさゝ舟もなし
(草根集、巻十二)
早川純三郎編『丹鶴叢書 草根集下・萬代和歌集』国書刊行会、1473年、85ページ

思ひと戀(こひ)を笹舟(さゝふね)に乗せて、思ひは沈む、戀は浮く。
(「寛永十二年跳記」)
高野辰之編『日本歌謡集成 巻六 近世編』東京堂、1960年、71ページ