しなしなの記録

 しなしなの趣味の記録です。洋楽カラオケ、郵便局訪問、川、猫など

2017年9月の洋楽カラオケ 初めて歌った曲が4曲有ります。2時間半で26曲歌いました

2017-09-09 10:49:07 | Weblog

 9月6日(水)は、今月の洋楽カラオケの日としました。いつものように2時間半ほどで、26曲歌いました。今回は、初めて歌った曲が4曲と多めです。


 ランニング(コンピューター・マジック)
  テクノ曲だと思います。レクサスのCMで流れていた曲です。繰り返しの多い曲です。

 ローズ(ベッド・ミドラー)
  歌詞がいいです。私程度の英語力でも理解できます。初めて歌いました。

 オネスティ(ビリー・ジョエル)
  先日、若い人と話していて、「ビリー・ジョエルが好き、オネスティとかピアノ・マンとか」と聞かされ、久々に歌いました。

 ピアノ・マン(ビリー・ジョエル)
  上の話の続きで、初めて歌いました。なかなかシャウトすると気持ち良いです。

 ユー・レイズ・ミー・アップ(ケルティック・ウーマン)
  この曲も歌詞が良いし、結構、後半に盛り上げて、おじさんソングにできます。初めて歌いました。

 スカイ・フォール(アデル)
  毎回のおなじみになってしまいました。まだまだ、毎回、歌うと思います。

 シェイク・イット・オフ~気にしてなんかいられないっ!!(テイラー・スウィフト)
  2014年の曲だったのですね。年月が過ぎるのが早い!!

 恋は二人のハーモニー(グラス・ルーツ)
  この頃のグラス・ルーツは、イントロが、皆、似ていたような気がします。

 今日を生きよう(グラス・ルーツ)
  「シャーラーラララー」というのが、懐かしい感じです。グループサウンズを思い出させます。

 風のマジック(アメリカ)
  お洒落なフォークロック曲だと思います。

 名前のない馬(アメリカ)
  フォーク調の曲ですが、流れるようなメロディーが好きです。

 ヴァケイション(コニー・フランシス)
  日本でも弘田美枝子さんでお馴染みの曲です。

 ボーイ・ハント(コニー・フランシス)
  この曲は初めて歌いました。こちらも弘田美枝子さんや伊東ゆかりさんが歌っていたそうです。

 キッス・オブ・ファイア(ジョージア・ギブス)
  タンゴの名曲、エルチョクロは1903年に作られたそうです。それに英語歌詞をつけたものです。

 モスラの歌(ザ・ピーナッツ)
  日本の曲ですが、インドネシア語なので、OKです。

 モスラ(水曜日のカンパネラ)
  脱線しています。日本語です。でも、プログレ調の面白い曲なので。

 明日に架ける橋(サイモン&ガーファンクル)
  この曲を歌う度に、アート・ガーファンクルのコンサートに仕事で行けなかったと書いています。悔しい!

 アメリカ(サイモン&ガーファンクル)
  アメリカを捜して、旅に出る。気持ちは解ります。

 アイ・ミー・マイン(ビートルズ)
  久しぶりにビートルズを歌いました。やっぱり良いです。

 ミッシェル(ビートルズ)
  素敵な曲です。言うことが有りません。

 ダズント・リアリー・マターズ(ジェネット・ジャクソン)
  日本では、島谷ひとみさんが「パピヨン」でカバーしていました。早いので、歌が追い付けなくなります。

 フライディ・ナイト(アラベスク)
  この頃のディスコ・ソングは単純ですが、聴きやすく、覚えやすいです。

 ハロー・ミスター・モンキー(アラベスク)
  昔、この曲で踊った記憶が有ります。

 L・O・V・E(ナット・キング・コール)
  先日、神戸港で「BE KOBE」を見たので、この曲を思い出しました。

 恋の売り込み(エディ・ホッジス)
  最後の繰り返しが懐かしさを醸し出していると思います。

 シャウト(ティアーズ・フォー・フィアーズ)
  最後は、重たい曲での締め括りとなりました。出だしで、自分の音階を信じて、自信を持って歌うことが必要な曲だと気づきました。


 トップの写真は、いつものようにカラオケとも洋楽とも関係の無い、北海道室蘭市にある室蘭本線の輪西駅の駅名表示です。輪西駅を出て、栄養本線スタミナ駅「ふじとり」の駅名表示も見つけました。下の写真です。なかなかレトロなお店です。

 

 

 
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第九代藩主の水戸斉昭公によって造園された、日本三大名園の偕楽園に行ってみました

2017-09-07 20:18:59 | Weblog
 
 このブログで、既に後楽園と兼六園は紹介しています。三大名園で残っている偕楽園に8月6日(日)に行きました。

 偕楽園は、第九代藩主の水戸斉昭公によって造園されたものだそうです。

 偕楽園駅から行くと坂道の途中に「大日本史完成の地」との碑が有りました。

 

 第二代藩主の水戸光圀公が編纂を命じた歴史書が「大日本史」です。1657年(明暦3年)のことだそうです。それから約250年後の1906年(明治39年)に397巻が完成したそうです。驚きです。

 坂を登ると神社が有ります。水戸光圀公を祀る常磐神社です。能舞台が有りました。

 

 戦災で唯一残った建物である神楽殿を1991年(平成3年)に能舞台に改修したのだそうです。

 常磐神社に併設されて、東湖神社が有ります。藩政改革や兵器軍艦製造などで力を発揮した、水戸斉昭公の片腕の藤田東湖を祀る神社だそうです。日本酒が献上されていました。

 

 日本酒類販売㈱が献上したようです。献上された酒は、その子会社の八重壽銘醸㈱の「八重壽」です。秋田県大仙市で醸造している会社です。


 御成門から中に入りました。

 

 梅林の中です。トップと下の写真です。

 

 

 トップの写真の「満月」という梅は2.5cm程度の中輪の白色の花が咲くそうです。梅の咲く頃の風景はきっと素晴らしいことでしょう。しかし、今は夏です。


 好文亭表門が現れました。

 

 この門をくぐると景色が一変します。左が孟宗竹林、右が大杉森となります。美しいです。

 


 好文亭に向かう途中に「吐玉泉」が有ります。

 

 

 もともと湧水のある場所に設置されています。石は大理石で、常陸太田市の真弓山の産だそうです。1987年(昭和62年)に設置された、四代目だそうです。1日約100tの水が湧出するそうです。

 こうして、私は好文亭に近づいて行きました。
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5月に行った東広島市では、珍しくはないが、懐かしい多くの琺瑯看板を見ることができました

2017-09-05 21:09:08 | Weblog

 今年の5月21日(日)に私は郵便局訪問のため、東広島市に行きました。郵便局訪問は翌日ですので、この日は、西条の酒蔵巡りをしていました。多くの琺瑯看板を見ることができました。

 トップの写真では、スプライトのボツボツのある壜が懐かしかったです。キリンレモンのクレールもオロナイン(南口キクノさん)、由美かおるさんのアース渦巻も懐かしいです。パント錠は知りませんでしたが、今も300錠で第一三共ヘルスケア㈱から販売されています。滋養強壮、肉体疲労等に効果があるようです。コマツ味噌醤油は、福島県郡山市のコマツ醤油㈱さんのものでしょうか。

 下の写真も特に珍しいものではないですが、コカコーラの壜(今でも有りますが)、ファンタの壜など懐かしいものです。

 

 

 マツダランプは㈱東芝のランプです。1911年(明治44年)からゼネラルエレクトリック社からタングステンフィラメントの技術を導入し、「マツダ」ブランドで販売しています。1962年(昭和37年)に東芝ランプになるまで、この名前で販売されています。

 
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宮城県郵便局訪問 NO.6 大河原町・白石市 一目千本桜、甲冑堂などを見つけました。しかし、白石うーめんを味わうのを忘れました

2017-09-03 19:49:58 | Weblog

 8月10日(木)は、6回目となる宮城県の郵便局訪問でした。今回は、大河原町と白石市です。
 訪問したのは、次の14局です。

 大河原幸町、大河原桜町、大河原、金ケ瀬(以上、大河原町)、北白川、白石駅前、白石南、白石、白石北簡易、白石東簡易、大鷹沢、白石大平、斎川、越河駅前(以上、白石市)

 この訪問で、大河原町の4局は完訪です。北白川から白石駅前までは、列車を利用しました。他は、歩いての訪問です。かなり長い距離を歩いたところも有ります。
 トップの写真は、私がもの凄い汗をかいていたからでしょうか、タオルをいただいた、7491局目の斎川郵便局です。ありがとうございました。旧街道沿いなので、歩く人が多いようです。


 大河原駅を出て進むと、白石川を渡ります。河川敷では夏祭りの準備がされていました。

 

 今年の「第45回おおがわら夏まつり」は、8月12日(土)に開催されたようです。5000発の打ち上げ花火と300mのナイアガラ大瀑布が見られたようです。


 白石川沿いの道を歩いていると、一目千本桜と書かれた所に着きました。

 

 

 大正12年(1923年)に高山開治郎氏の寄贈で、千本余の桜が植樹されたそうです。4月の桜まつりは、そうとう綺麗なようです。


 白石市に入りました。マークは城です。

 

 白石市は伊達正宗の家臣、片倉小十郎が治めた地です。城は白石城でしょう。



 白石駅前には、鐘があります。

 

 「鐘響都」と書かれています。「しょうきょうと」と読むのでしょうか。1992年(平成4年)に白石青年会議所の20周年を記念して建設されたものだそうです。8時、正午、5時に鐘が鳴るそうです。


 蔵王酒造㈱を見つけました。

 

 1873年(明治6年)創業だそうです。1931年(昭和6年)より、酒銘を「蔵王」としているそうです。


 道路に輪が置かれています。

 

 工事中であることに注意を促すためでしょう。なかなかいいアイデアだと思いました。


 斎川は、奥州街道の宿場でした。越河宿、斎川宿、白石城下となっていたそうです。斎川宿の看板が建っています。

 

 古い街並みも有ります。廃墟のような門がありました。

 

 検校屋敷と出ています。中を覗きましたが、かなり手が入っていないようです。荒れている感じです。島貫家が検校として、この宿場の伝馬人足を取り仕切っていたそうです。その屋敷は、大名の宿泊、休憩所として使用されていたとのことです。明治天王の東北行啓に際しては、休憩所として利用されたそうです。

 斎川宿のはずれに、甲冑堂が有ります。

 

 坂上田村麻呂を祀る田村神社に有ります。「奥の細道」にも登場するそうです。甲冑堂は、1875年(明治8年)に焼失し、1939年(昭和14年)に再建されました。中には、源義家の家臣、佐藤継信、忠信が使用したと伝えられる甲冑が有るそうです。
 北海道とは歴史が違うと思いました。


 斎川から越河までは、峠を越え、歩きました。馬牛沼が有りました。鯉供養の碑が池の中に建っていました。

 


 歴史を感じる、郵便局訪問でした。でも、白石うーめん(素麺の一種)を食べるのを忘れました。今度、札幌市白石区役所に行くことがあれば、食堂で食べたいと思います。宮城県白石市の方が移住したのが、札幌市の白石です。
 

 
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福島県郵便局訪問 NO.5 会津若松市 白虎隊、赤べこ、会津漆器、糀と特徴のある街でした

2017-09-01 21:24:56 | Weblog

 8月9日(水)は、前日のいわき市に続いて、福島県会津若松市の郵便局訪問でした。会津若松市には、過去に市内のホテルに父親と止まったという印象しか有りません。再建された藩校日新館も見たはずですが、印象が残っていません。どのような街か楽しみに歩きました。

 訪問したのは、次の21局です。

 会津アピオ、町北町簡易、若松居合、若松一箕町、飯盛山簡易、若松千石町、若松旭町、若松駅前、会津若松、若松上町、若松東栄町、若松栄町、若松七日町、若松橋本、若松材木町、若松本町、若松山鹿町、若松南町、若松小田垣、東山、若松黒岩

 予定より少なかったですが、かなり寄り道もしましたので、仕方ありません。

 トップの写真は、7472局目の若松材木町郵便局です。


 会津若松市といえば、やはり白虎隊です。駅前にも像が有ります。

 

 そして、飯盛山には資料館が有ります。

 

 藩校日新館で学んでいた16~17歳で構成されたのが白虎隊だそうです。士中一番隊から二番隊50名、寄合一番隊から二番隊50名、足軽一番隊から二番隊50名の構成だったそうです。飯盛山で自決したのは、士中二番隊だそうです。戸ノ口原の戦いに敗れ、飯盛山で炎に包まれた鶴ヶ城を見て、自決したそうです。20名のうち、一人だけ生き残った、飯沼貞吉により、知られるようになったそうです。


 そして、赤べこです。会津の民芸玩具です。こちらも会津若松駅にあります。

 

 また、「粟」というお店の前にも、大きなものが有りました。

 

 磐越西線の列車にもいます。

 

 天正年間にこの地を治めた蒲生氏郷が殖産振興のため招いた技術者から伝わったものだそうです。平安時代に蔓延した疫病を払った赤い牛が由来だそうです。


 街を歩いていて多いのは漆器店です。鈴善漆器店を撮影し、以降、漆器店を見つける度に写真を撮りました。

 

 関漆器店です。

 

 布屋漆器店です。

 

 大塚漆器店です。

 

 コサカ漆器店です。

 

 あっという間に5店も見つけてしまいました。会津若松市には、会津漆器協同組合が有ります。商業部会42社、工業部会12社、生産部会7社、蒔絵沈金部会28社、板物木地部会11社、丸物木工部会4社、塗装部会9社、合成樹脂部会4社も加盟しています。すごい漆器の街です。

 天正18年(1859年)に、これも蒲生氏郷が奨励したことから、漆工芸が根付いたそうです。


 若松居合郵便局から、若松一箕町へは、墓地の中を通りました。墓には家紋を入れているのが多いなと思いました。

 


 金川屋糀店というのを見つけました。

 

 糀は、米糀のことだそうです。「会津若松 糀」で検索したところ、市内に8件も出てきました。糀造りが盛んと言えるのでしょうか。


 最後は鶴ヶ城です。

 

 残念ながら、ここに寄り道する時間は有りませんでした。前を通り過ぎただけとなりました。

 
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