父が逝った時も母の時も、位牌分けをしてもらった。
なので、小さいが仏壇を買い、
今も仏花を絶やさず、毎朝、ロウソクと線香、
そして、わずかな時間だが合掌する。
つい2か月ほど前になる。
1歳半の初孫が、大きな手術をすることになった、
と知らせがきた。
息子夫婦が愛情たっぷり、すくすくと育ててきた。
何としても、その手術が成功してほしいと思った。
遠く離れた私にできることは何だ。
毎日、百円玉を1個握りしめ、
10分ほど離れた神社に行った。
ただただ心静かに、手術の成功を願い、
神殿に二礼二拍手一礼をした。
10日程して、手術回避のメールが届いたが、
あの時、私にできたのは祈ること。
校長職時代も同様だった。
あの頃、決して神社やお寺の前を素通りしなかった。
どんなに急いでいても、
立ち止まり、一礼だけは欠かさなかった。
それで、学校事故がセロになるとは思わなかった。
でも、いつもそれを続けた。
そんな私である。
だから強い宗教心や信仰心があるのか、と問われたら、
きっぱりと「それはない。」と言い切った。
と言いつつも、どの宗教宗派に関わらず、
『人とは、生きるとは、命とは』と言った教えには、心が動き、
素直に耳を傾け、生きる糧にしたいと思った。
もう10数年も前になるだろうか。
行きつけの書店で、当てもなく書架を巡った。
『ほっとする禅語』、『続ほっとする禅語』と題する本が、
目に留まり、買い求めた。
今も、時折、そのページをめくる。
目を通す度に、心打たれたり、癒されたりする言葉がある。
それだけ深いと言うのだろうか、不思議な感じがする。
さて、私が、『喫茶去』(きっさこ)と言う禅語を知ったのは、
この書からである。
禅語『喫茶去』には、次のような話がある。
中国は唐の時代だ。
禅の巨匠である趙州禅師のところに、2人の修行僧がやってきた。
師は、尋ねた。「前にもここに来たことがあるか。」
「来たことがありません。」と、僧は言う。
すると師は、「喫茶去」と言い、お茶を勧めた。
そして、もう1人の僧にも、
「前にもここに来たことがあるか。」
「来たことがあります。」と答えた。
すると師は、再び「喫茶去」と、お茶を勧めた。
次に、その様子を見ていた院主が師に尋ねた。
「前に来たことのない者に『喫茶去』とおっしゃり、
前に来たことのある者にも『喫茶去』とおっしゃる。
なぜですか?」
すると師は、その院主にも、
「喫茶去」と、お茶を勧めたのだ。
趙州禅師が繰り返した『喫茶去』、
その意には、諸説あるようだ。
「喫茶」はお茶を飲むの意で、「去」は意味を強める助字。
従って、「お茶を飲もうよ。」の意味とする説。
また、「喫茶し去れ」、
つまり、「お茶を飲んでから出直してこい」
と、いう説などである。
どれをとっても意味深い。
前出した私の愛読書は、冒頭に
「嫌いな人にも一杯のお茶を差し出す余裕」
と記してから、『喫茶去』をこう解説している。
『よくいらっしゃいました。
まずはお茶でも召し上がれ。
日常のあたりまえの光景ですが、
お茶を差し出すことほど、
私たちの心を映し出すものはありません。
あなたは嫌いな人が来ても、
お茶を召し上がれと言えますか。
到着したとたんあわてて言い訳しようとする人に、
ご苦労さん、まずは一杯、
と相手の呼吸を整えてあげることを考えますか。
よく来たね、という気持ちも一杯のお茶が表わし、
寒かったろう、というねぎらいの気持ちも一杯のお茶が表します。
「喫茶去」とは、お茶を召し上がれ、
というただそれだけの言葉。
抹茶を立てても番茶でも、
理屈抜きに一杯を差し出すことこそ禅の心に通じます。
儀式でもなく、
健康や喉の乾きのためともこだわらず、
ただ「さあ、お茶をどうぞ」。』
<その1>
年に数回、稀なことだが、
私の校長室に、何の前触れもなく突然の来室者がある。
最多は私の腹心である副校長だが、
続いて教員、主事、子ども達、
さらには、保護者、近隣住民、地域の方々、
時には、通行人までいる。
その時、どの人も、
心穏やかではなく、ノックをし忙しく入室する。
その歩調と表情を、
私は、まず静かに受け止めるよう心がけた。
「校長先生、お話があります。聞いてください!」
その尖った声に、椅子を勧めながら、
私は、こう応じることにしていた。
「ちょっとお待ちください。
今、お茶を入れますから。」
少しの時間を使いテーブルにお茶を置く。
それに口をつけるのを待ってから、
「どうしましたか?」
私は、ゆっくりと身を乗り出すことにしていた。
決まって、尖った声が少しだけ和らぎ、
用件を話しはじめた。
『喫茶去』の意味を実感する場面である。
<その2>
平成22年の年賀状に記した詩である。
首都高をぬけ
甲府盆地をかける
中央道の右手に八ヶ岳をのぞみ
決まって諏訪湖SAで
信州そばと野沢菜のおやきをほおばる
もう一息伊那ICから中山道へ
権兵衛トンネルをぬけて奈良井宿
そして木曽から開田高原
道の両側には白樺の林たち
いつも快晴の日
木曽御嶽山が迎えてくれ
青空にみごとな雄姿
ただ時間を忘れ眺望
ここは私の定宿「風里」
一面のそば畑と
たくさんの野菜が収穫を待つ風景
湯につつまれ
色とりどりの料理に満面の笑み
ライトアップされた水車小屋
遠くで響く鹿威し
木立ちの中で止まった時間
この詩の題を「喫茶去」とした。
実は、定宿は若干言い過ぎである。
年に1、2回、しかも毎回1泊だけ。それが、10年近く続いた。
大自然の中に、ぽつりと佇む温泉宿だ。
正確な部屋数は知らないが、20室程度かと思う。
宿の前にある駐車場に車を止めると、
すぐにオルゴールの音色が流れるサロンに案内される。
見慣れた顔のスタッフさんが、
口数少なく、席を勧めてくれる。
ほっとくつろぐ私を見て、一杯のお茶を持ってくる。
その瞬間から、翌日「またのお越しをお待ちしてます。」まで、
全ての押し付けを排除した、静寂の時を私は過ごす。
片道4時間をかけてでも、そこへ行こうと思いたつ日。
それは、私自身の何かが、煮詰まってしまいそうな、
そんな想いの時だ。
しかし、宿までの長い道に流れる景色もいい。
高原の穏やかな緑色もいい。
『風が佇むふる里』と詠む温泉宿の湯煙もいい。
いつだって、その全てが、私を迎え入れてくれる。
逆なでされたような心が、少しずつ潤っていくのだ。
だから、「よし明日から」。
帰路のハンドルはそう語ってくれる。
『喫茶去』に込められた思いを実感する場がある。
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雪が降った、ジューンベリーももうすぐ落葉
なので、小さいが仏壇を買い、
今も仏花を絶やさず、毎朝、ロウソクと線香、
そして、わずかな時間だが合掌する。
つい2か月ほど前になる。
1歳半の初孫が、大きな手術をすることになった、
と知らせがきた。
息子夫婦が愛情たっぷり、すくすくと育ててきた。
何としても、その手術が成功してほしいと思った。
遠く離れた私にできることは何だ。
毎日、百円玉を1個握りしめ、
10分ほど離れた神社に行った。
ただただ心静かに、手術の成功を願い、
神殿に二礼二拍手一礼をした。
10日程して、手術回避のメールが届いたが、
あの時、私にできたのは祈ること。
校長職時代も同様だった。
あの頃、決して神社やお寺の前を素通りしなかった。
どんなに急いでいても、
立ち止まり、一礼だけは欠かさなかった。
それで、学校事故がセロになるとは思わなかった。
でも、いつもそれを続けた。
そんな私である。
だから強い宗教心や信仰心があるのか、と問われたら、
きっぱりと「それはない。」と言い切った。
と言いつつも、どの宗教宗派に関わらず、
『人とは、生きるとは、命とは』と言った教えには、心が動き、
素直に耳を傾け、生きる糧にしたいと思った。
もう10数年も前になるだろうか。
行きつけの書店で、当てもなく書架を巡った。
『ほっとする禅語』、『続ほっとする禅語』と題する本が、
目に留まり、買い求めた。
今も、時折、そのページをめくる。
目を通す度に、心打たれたり、癒されたりする言葉がある。
それだけ深いと言うのだろうか、不思議な感じがする。
さて、私が、『喫茶去』(きっさこ)と言う禅語を知ったのは、
この書からである。
禅語『喫茶去』には、次のような話がある。
中国は唐の時代だ。
禅の巨匠である趙州禅師のところに、2人の修行僧がやってきた。
師は、尋ねた。「前にもここに来たことがあるか。」
「来たことがありません。」と、僧は言う。
すると師は、「喫茶去」と言い、お茶を勧めた。
そして、もう1人の僧にも、
「前にもここに来たことがあるか。」
「来たことがあります。」と答えた。
すると師は、再び「喫茶去」と、お茶を勧めた。
次に、その様子を見ていた院主が師に尋ねた。
「前に来たことのない者に『喫茶去』とおっしゃり、
前に来たことのある者にも『喫茶去』とおっしゃる。
なぜですか?」
すると師は、その院主にも、
「喫茶去」と、お茶を勧めたのだ。
趙州禅師が繰り返した『喫茶去』、
その意には、諸説あるようだ。
「喫茶」はお茶を飲むの意で、「去」は意味を強める助字。
従って、「お茶を飲もうよ。」の意味とする説。
また、「喫茶し去れ」、
つまり、「お茶を飲んでから出直してこい」
と、いう説などである。
どれをとっても意味深い。
前出した私の愛読書は、冒頭に
「嫌いな人にも一杯のお茶を差し出す余裕」
と記してから、『喫茶去』をこう解説している。
『よくいらっしゃいました。
まずはお茶でも召し上がれ。
日常のあたりまえの光景ですが、
お茶を差し出すことほど、
私たちの心を映し出すものはありません。
あなたは嫌いな人が来ても、
お茶を召し上がれと言えますか。
到着したとたんあわてて言い訳しようとする人に、
ご苦労さん、まずは一杯、
と相手の呼吸を整えてあげることを考えますか。
よく来たね、という気持ちも一杯のお茶が表わし、
寒かったろう、というねぎらいの気持ちも一杯のお茶が表します。
「喫茶去」とは、お茶を召し上がれ、
というただそれだけの言葉。
抹茶を立てても番茶でも、
理屈抜きに一杯を差し出すことこそ禅の心に通じます。
儀式でもなく、
健康や喉の乾きのためともこだわらず、
ただ「さあ、お茶をどうぞ」。』
<その1>
年に数回、稀なことだが、
私の校長室に、何の前触れもなく突然の来室者がある。
最多は私の腹心である副校長だが、
続いて教員、主事、子ども達、
さらには、保護者、近隣住民、地域の方々、
時には、通行人までいる。
その時、どの人も、
心穏やかではなく、ノックをし忙しく入室する。
その歩調と表情を、
私は、まず静かに受け止めるよう心がけた。
「校長先生、お話があります。聞いてください!」
その尖った声に、椅子を勧めながら、
私は、こう応じることにしていた。
「ちょっとお待ちください。
今、お茶を入れますから。」
少しの時間を使いテーブルにお茶を置く。
それに口をつけるのを待ってから、
「どうしましたか?」
私は、ゆっくりと身を乗り出すことにしていた。
決まって、尖った声が少しだけ和らぎ、
用件を話しはじめた。
『喫茶去』の意味を実感する場面である。
<その2>
平成22年の年賀状に記した詩である。
首都高をぬけ
甲府盆地をかける
中央道の右手に八ヶ岳をのぞみ
決まって諏訪湖SAで
信州そばと野沢菜のおやきをほおばる
もう一息伊那ICから中山道へ
権兵衛トンネルをぬけて奈良井宿
そして木曽から開田高原
道の両側には白樺の林たち
いつも快晴の日
木曽御嶽山が迎えてくれ
青空にみごとな雄姿
ただ時間を忘れ眺望
ここは私の定宿「風里」
一面のそば畑と
たくさんの野菜が収穫を待つ風景
湯につつまれ
色とりどりの料理に満面の笑み
ライトアップされた水車小屋
遠くで響く鹿威し
木立ちの中で止まった時間
この詩の題を「喫茶去」とした。
実は、定宿は若干言い過ぎである。
年に1、2回、しかも毎回1泊だけ。それが、10年近く続いた。
大自然の中に、ぽつりと佇む温泉宿だ。
正確な部屋数は知らないが、20室程度かと思う。
宿の前にある駐車場に車を止めると、
すぐにオルゴールの音色が流れるサロンに案内される。
見慣れた顔のスタッフさんが、
口数少なく、席を勧めてくれる。
ほっとくつろぐ私を見て、一杯のお茶を持ってくる。
その瞬間から、翌日「またのお越しをお待ちしてます。」まで、
全ての押し付けを排除した、静寂の時を私は過ごす。
片道4時間をかけてでも、そこへ行こうと思いたつ日。
それは、私自身の何かが、煮詰まってしまいそうな、
そんな想いの時だ。
しかし、宿までの長い道に流れる景色もいい。
高原の穏やかな緑色もいい。
『風が佇むふる里』と詠む温泉宿の湯煙もいい。
いつだって、その全てが、私を迎え入れてくれる。
逆なでされたような心が、少しずつ潤っていくのだ。
だから、「よし明日から」。
帰路のハンドルはそう語ってくれる。
『喫茶去』に込められた思いを実感する場がある。
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雪が降った、ジューンベリーももうすぐ落葉
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