▼ シャミチセ川は、自宅から5分程の所にある。
案内表示では、2級河川になっているが、
小さな川で巾は、2メートルもない。
その川原も狭いが、葦が茂り、
朝の散歩では、そこからよく野鳥の鳴き声が聞こえる。
残念なことに、野鳥の名前を全く知らない。
葦の先に止まっている小さな鳥の名が分かれば、
もっと心が動く気がする。
「なんか、小鳥が鳴いている」。
今は、それだけだ。
もし、その小鳥の種名を知ったら、
姿がなくても、今以上の想いが生まれるだろう。
▼ 数年前、春先のアヤメ川散策路で、
通りがかった方に、路傍に咲いていた3種類の野草の名を、
教えてもらった。
自宅まで20分の帰り道、
「キクザキイチゲ、キバナノアマナ、アズマイチゲ」
と、つぶやき続けた。
私にとって、名もない花だったが、
翌春からは、その開花を見ると、
「ほら、キクザキイチゲが咲いている。
アズマイチゲも・・」。
と、なった。
以来、努めて花の名を覚えようとしている。
四季折々に咲く野草に、それまでとは違う感情が芽生えてくる。
▼ 名を知るだけで、小鳥や野草への想いは変わる。
距離が縮む。
人名になると、その比ではない。
①
入学した中学校は、2つの小学校から生徒が来た。
1年生は8学級もあった。
しかも、確か1学級55人だった気がする。
私の特異性もあっただろうが、
入学当初、同じクラスで名前が分かったのは数名だった。
4月は、毎日心細い気持ちで教室にいた。
担任は、体育を教える男の先生だった。
毎朝、朝のあいさつと出席確認に教室へ来た。
いつも、出席簿順に呼名した。
1人ずつ返事をした。
なのに、担任は声のする方へ顔を上げようとしなかった。
みんな、残念な気持ちになっていた。
せめて担任にだけは、1日も早く名前を知って欲しい。
誰もがそう思っていた。
なのに顔を見てもらえない。
連休前のことだ。
国語の授業があった。
その先生は、背が低かった。
その頃、人気の軽三輪トラックを『ミゼット』と言い、
すぐに先生には、「ミゼット」のあだ名がついた。
そのミゼットが、私たちに作文を書かせた。
どんなテーマだったが、覚えがない。
私は、何とか原稿用紙を埋め、授業内に提出をした。
そして、連休があけた。
『5月病』だったのか、2,3日、学校を休んだ。
その間に、ミゼットは1年生の各学級で、
私の作文を読み上げた。
予想もしていなかったが、
素晴らしい作文と評価してのものだったらしい。
病気が癒え、登校するとミゼットに呼ばれ、
職員室へ行った。
「ワタル君、いい作文だったので、
みんなに紹介したからね。」
ミゼットの言葉にどう返事したのか、記憶は無い。
だが、その時、私を「ワタル君」と呼んでくれた。
その嬉しさだけは、何十年が過ぎても忘れない。
②
30歳代半ばから勤務した小学校は、
研究が盛んだった。
毎月のように、誰かが研究授業をした。
研究授業には、協議会がセットだった。
ここでは、その授業の評価をし、
主に日々の授業に生かせることを整理した。
授業を参観した先生たちによる意見交換の後、
講師として招いた先生の『指導講評』が行われ、
授業の成果と課題を明らかにするのだ。
ある研究授業で、大変評判のいい先生を、
講師としてお招きした。
その指導講評は、期待通りだった。
実は、内容は全く記憶にない。
しかし、先生の指導講評の一部だけは、
衝撃的で忘れられない。
それは、出席した教員の名前を、
至るところで上げてのお話だったからだ。
「Y先生も指摘しましたが・・・」。
「このことは、B先生も同意見のようで・・・」。
「F先生、G先生の発言に、賛成で・・」。
協議会の始めに、出席者は自己紹介をした。
しかし、講師とは、みんな初対面だった。
なのに,講師は私たちの名前を挙げるたびに、
その先生の顔を見た。
そして、話を続けた。
私を含め、意見を述べた先生方は、
自分の名前を一度は呼ばれ、コメントされた。
名前を言ってもらうことで、誰もが、
自分の見方や考え方がしっかり受け止められたと感じた。
指導講評を聞き終え、協議会で発言したことに、
有用感を持った。
発言してよかったと実感した。
それは、私だけではなかったと思う。
③
まだ校長になったばかりの頃だ。
近くの小学校で会議があった。
会議が始まるまで、校長室に案内された。
その時、そこの校長先生とはじめてお話をした。
校長キャリアの長い先生だった。
室内の掲示物には、子供らの作品がいくつもあった。
素敵な先生だと直感した。
校長用机の近くにあった掲示板が気になった。
そこには、全学級の集合写真があった。
そして、写真の横には、
子供の氏名が書かれた同じ大きさの紙が張ってあった。
「毎日、10分間、それを見て、顔と名前を覚えています。
うちは、600人以上だから、全員となるとなかなか・・。
でも、私が名前を言って話しかけると、どの子も嬉しそうなので・・。
だから・・、ずっと続けています。」
その後、私も長いこと校長職を務めた。
先輩校長のようにと、一時期、頑張ってみた。
残念ながら、私にはできなかった。
私は、もっぱら子供の胸にある名札を見て、
その子の名前を言った。
それでも、子ども達は嬉しそうな顔をしてくれた。
その都度、心が少し痛んだ。
ジューンベリーも 色づく
案内表示では、2級河川になっているが、
小さな川で巾は、2メートルもない。
その川原も狭いが、葦が茂り、
朝の散歩では、そこからよく野鳥の鳴き声が聞こえる。
残念なことに、野鳥の名前を全く知らない。
葦の先に止まっている小さな鳥の名が分かれば、
もっと心が動く気がする。
「なんか、小鳥が鳴いている」。
今は、それだけだ。
もし、その小鳥の種名を知ったら、
姿がなくても、今以上の想いが生まれるだろう。
▼ 数年前、春先のアヤメ川散策路で、
通りがかった方に、路傍に咲いていた3種類の野草の名を、
教えてもらった。
自宅まで20分の帰り道、
「キクザキイチゲ、キバナノアマナ、アズマイチゲ」
と、つぶやき続けた。
私にとって、名もない花だったが、
翌春からは、その開花を見ると、
「ほら、キクザキイチゲが咲いている。
アズマイチゲも・・」。
と、なった。
以来、努めて花の名を覚えようとしている。
四季折々に咲く野草に、それまでとは違う感情が芽生えてくる。
▼ 名を知るだけで、小鳥や野草への想いは変わる。
距離が縮む。
人名になると、その比ではない。
①
入学した中学校は、2つの小学校から生徒が来た。
1年生は8学級もあった。
しかも、確か1学級55人だった気がする。
私の特異性もあっただろうが、
入学当初、同じクラスで名前が分かったのは数名だった。
4月は、毎日心細い気持ちで教室にいた。
担任は、体育を教える男の先生だった。
毎朝、朝のあいさつと出席確認に教室へ来た。
いつも、出席簿順に呼名した。
1人ずつ返事をした。
なのに、担任は声のする方へ顔を上げようとしなかった。
みんな、残念な気持ちになっていた。
せめて担任にだけは、1日も早く名前を知って欲しい。
誰もがそう思っていた。
なのに顔を見てもらえない。
連休前のことだ。
国語の授業があった。
その先生は、背が低かった。
その頃、人気の軽三輪トラックを『ミゼット』と言い、
すぐに先生には、「ミゼット」のあだ名がついた。
そのミゼットが、私たちに作文を書かせた。
どんなテーマだったが、覚えがない。
私は、何とか原稿用紙を埋め、授業内に提出をした。
そして、連休があけた。
『5月病』だったのか、2,3日、学校を休んだ。
その間に、ミゼットは1年生の各学級で、
私の作文を読み上げた。
予想もしていなかったが、
素晴らしい作文と評価してのものだったらしい。
病気が癒え、登校するとミゼットに呼ばれ、
職員室へ行った。
「ワタル君、いい作文だったので、
みんなに紹介したからね。」
ミゼットの言葉にどう返事したのか、記憶は無い。
だが、その時、私を「ワタル君」と呼んでくれた。
その嬉しさだけは、何十年が過ぎても忘れない。
②
30歳代半ばから勤務した小学校は、
研究が盛んだった。
毎月のように、誰かが研究授業をした。
研究授業には、協議会がセットだった。
ここでは、その授業の評価をし、
主に日々の授業に生かせることを整理した。
授業を参観した先生たちによる意見交換の後、
講師として招いた先生の『指導講評』が行われ、
授業の成果と課題を明らかにするのだ。
ある研究授業で、大変評判のいい先生を、
講師としてお招きした。
その指導講評は、期待通りだった。
実は、内容は全く記憶にない。
しかし、先生の指導講評の一部だけは、
衝撃的で忘れられない。
それは、出席した教員の名前を、
至るところで上げてのお話だったからだ。
「Y先生も指摘しましたが・・・」。
「このことは、B先生も同意見のようで・・・」。
「F先生、G先生の発言に、賛成で・・」。
協議会の始めに、出席者は自己紹介をした。
しかし、講師とは、みんな初対面だった。
なのに,講師は私たちの名前を挙げるたびに、
その先生の顔を見た。
そして、話を続けた。
私を含め、意見を述べた先生方は、
自分の名前を一度は呼ばれ、コメントされた。
名前を言ってもらうことで、誰もが、
自分の見方や考え方がしっかり受け止められたと感じた。
指導講評を聞き終え、協議会で発言したことに、
有用感を持った。
発言してよかったと実感した。
それは、私だけではなかったと思う。
③
まだ校長になったばかりの頃だ。
近くの小学校で会議があった。
会議が始まるまで、校長室に案内された。
その時、そこの校長先生とはじめてお話をした。
校長キャリアの長い先生だった。
室内の掲示物には、子供らの作品がいくつもあった。
素敵な先生だと直感した。
校長用机の近くにあった掲示板が気になった。
そこには、全学級の集合写真があった。
そして、写真の横には、
子供の氏名が書かれた同じ大きさの紙が張ってあった。
「毎日、10分間、それを見て、顔と名前を覚えています。
うちは、600人以上だから、全員となるとなかなか・・。
でも、私が名前を言って話しかけると、どの子も嬉しそうなので・・。
だから・・、ずっと続けています。」
その後、私も長いこと校長職を務めた。
先輩校長のようにと、一時期、頑張ってみた。
残念ながら、私にはできなかった。
私は、もっぱら子供の胸にある名札を見て、
その子の名前を言った。
それでも、子ども達は嬉しそうな顔をしてくれた。
その都度、心が少し痛んだ。
ジューンベリーも 色づく
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