ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

続 ・ 学校の珍プレー

2020-11-07 17:42:33 | あの頃
 ▼ 先週土曜日のことだ。
珍しく、このブログにコメントが届いていた。

 私の教え子からで、
あまりの嬉しさに、込み上げるものがあった。
 30年以上も前の日々が、一気に蘇ってきた。

 本棚の一角にある何冊もの卒業アルバムから、
当時のものを探し出した。
 一人一人の子供の顔写真を見ながら、
しばらく幸せな時を過ごした。

 その後、ふと、
学校の番外編である『学校の珍プレー』の続編が、
書きたくなった。

 ▼ まずは、卒業アルバムのことから・・。
私の場合、小・中・高校の卒業アルバムはずっと大切に持っている。

 だから、生涯の宝物になるに違いない。
そう思って、6年生の担任になると、
写真と作文が一冊になったアルバムづくりに、
力が入った。

 異動した学校で初めて高学年を受け持った時だ。
アルバム作りの時期が迫り、
いくつもの業者からサンプルが届いた。
 
 引き続き、前年度までの業者に委託するのが通例だが、
ある業者からのサンプルに惹かれた。

 装丁も「生涯の宝物」に相応しく、しっかりとしていた。
顔写真の子供の表情が豊かで、
工夫のある集合写真にも斬新さがあった。
 価格も手ごろだった。

 ところが、その業者は横浜市内に拠点があった。
原稿のやりとりや写真構成の打ち合わせなどが、
手軽にできる距離ではなかった。

 30年も前のことだ。
今とは、伝達手段が違う。
 電話と郵送だけである。
多くは、業者が頻繁に来校し、対面で連絡調整をした。
 学校と業者が遠距離なのは、致命的な問題だった。

 ところが、駆けつけた業者から提案があった。
業者が費用負担をして、
職員室にファクシミリを置くというのだ。

 不確かだが、電話回線を使って、
文書や写真のやり取りができるものがあると、聞いてはいた。
 しかし、それを実際に見たことがなかった。

 まだ普及していなかったファックスが繋がれば、
横浜市内からでも、支障なく、
アルバム作りができると業者は力説した。

 私たちは、その提案を信じ、
アルバム作りを委託することにした。

 やや日にちをおいてから、
見たことのなかったファックス機が、
職員室の一角に設置された。

 先生方みんなで、その機械を囲んだ。
横浜の業者から、
試運転としてサンプルの写真が送られてくることになっていた。
 興味津々だ。

 「ピー」の音が鳴り終わると、置かれた機械の下から、
ゆっくりと印刷された写真が現れた。

 「へぇ~、すごいね。」
「これが、横浜から届いたのか!。」
 「便利なもんだなぁ。」 

 送られた上質紙の写真を、交互に手に取って見た。
顔の表情がしっかりと分かる写真に、私も驚いた。

 その時だ。
「だけど、この写真、どうやってあの電線を通ってきたんだ。
この紙が送られてきたんだよな。」
 写真を手にした先生が、
不思議そうに窓から見える電線に目をやった。

 私も、言われるまま、校庭の向こうにある電線を見て、
同じように不思議な気持ちになった。
 何人もの先生が、外をジッと見た。

 「紙が電線を通って、送られてくるはずがないでしょ。
紙はここ。
 電気信号が送られてくるんだよ。」

 メカに強い先生が、
紙の置かれた引き出しを指しながら言い出すまで、
私たちは、不思議な現象にぼう然としていた。

 ▼ その学校のプールは、
片側2車線の道路をはさんだ向こう側にあった。

 そこへは、いったん正門を出てから、
迂回し、信号機のある横断歩道を渡って行くのだ。

 夏のプールは、多くの子どもが楽しみにしている時間だ。
校舎内で着替えを済ませ、校庭で準備体操をする。
 その後は、水着のままバスタオルをもって、
ガヤガヤとプールに向かう。
 当然、信号で止められることもある。

 幸い人通りは少ない。
一般の通行人へ、迷惑をかける気遣いは、
さほどいらない。

 水泳の授業を終わった後も、迂回して、
信号機のある横断歩道を渡って、学校へ戻る。

 このプールが、先生方にとって一大事なのだ。
子ども達と一緒での、プールへの往来は平気だ。

 しかし、当番になった先生は一人で、
一足早くプールへ行き、プール入り口の解錠、
薬剤の投入、濾過器の点検等々を行うのだ。

 プールを終えた後にも、一人だけ残り、
シャワーや濾過器の最終点検をし、施錠するのだ。

 プールには、更衣室がない。
子ども達同様、先生方も校内で水着に着替え指導に臨む。
 当番の先生も水着に着替えて、その仕事をするのだ。

 水着の上からTシャツと短パン、ビーチサンダル姿で、
救急セットと毛布などを抱え、
一人で4車線を横断して、プールを行き来する。

 車も人も,決して多くはない。
それでも、都内である。
 いつも誰かに見られていた。
当番の先生は、その恥ずかしさに耐え、
学校とプールを往復した。

 そんな中でも、最悪の場面があった。
プールの入口前には、1時間に2,3本のバスが止まる停留所があった。
 間が悪いと、プールの解錠や施錠が、
バスの乗降と一致する。

 そのバス停を利用する方の多くは、
プールがあることも、
教員が入口の開閉をしていることも知っている。

 だから、先生方のスタイルにもさほど奇異な目を向けない。
しかし、バスの乗客は違う。
 ましてや、それが水着の女の先生なら、
車内から一斉に、鋭い視線が向けられるのだ。

 私は、その奇異な視線に対し、
「なに、見てるんだよ!」
と、強気の目力で応じた。

 しかし、タオルで涙をおさえながら、
職員室へ戻ってくる女の先生を何度も見た。 




秋のイチョウに 青い空

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