▼ 先週土曜日『室蘭民報』の「大手門」にあった随筆を、
転記する。
* * * * *
遠 く 感 ず る
南部 忠夫
日々介助に明け暮れている。
近頃、どこへ行くにも遠く感ずるようになった。
つい最近、息子夫婦が札幌からやって来た。
高齢の両親がどのように暮らしているのか、
ずっと気に掛けていてくれるのだ。
まん延防止策が取られている中を、
両方ともワクチン接種が終わっているのを言い訳にして、
強行突破して来たのだ。
コロナ流行以来2年ぶりの再会だった。
2時間ちょっとの滞在で、
慌てて札幌へ戻って行った。
私は強く距離感の違いを感じた。
札幌はいやに遠く感じられるのだ。
物理的距離は同じでも、
高齢になると心理的距離が遠く遠く感じられるのだ。
札幌往復なんて何の苦もなくできたものが、
今では札幌へ行くのでさえ、遠くて億劫になる。
息子の転勤先によって、いろんな市を走り回ったが、
遠いと思ったことがなかった。
函館の親戚や、長沼町の実家などへ行くのに
遠いなど思った事はなかった。
今はどうだろう。
苫小牧が遠くなり、支笏湖、洞爺湖が遠くなり、
白老牛を食べに行くのが遠くなった。
登別・室蘭などは通勤距離くらいにしか思っていなかったのに、
胆振は広いと思ってしまうのだ。
恐ろしいのは市内の善光寺が遠く思われ、
伊達駅までもが遠く思われるのだ。
何しろ高齢による体力の低下は
距離感の相違に現れる事を知った。
(楽書きの会、伊達市元町)
* * * * *
筆者の南部忠夫先生は、
私を『楽書きの会』へ誘ってくださった方だ。
長年にわたり、会の主宰をされている。
きっと80歳は超えているように思う。
随筆を読みながら、『高齢による体力の低下』は、
どうすることもできないことと思いつつも、
身につまされた。
でも、私はまだまだと思い直した。
一方、心理的距離感には、
思い至る節が「無きにしも非ず」・・かも!?
▼ 私にもあった20歳代のころだ。
大学で彫刻を学んでいたA氏が、
高名な彫刻家であるT・H氏のアトリエを訪ねた時のことを、
教えてくれた。
終戦後もパリに在住し、文化芸術活動に関わり、
帰国後は、彫刻創作のかたわら、
後進の指導にあたっていたT氏だった。
学生のA氏は、初めて鎌倉・稲村ヶ崎のT氏のアトリエに、
友人と2人招かれた。
T氏は、もうかなりの年齢だった。
緊張する学生を、アトリエで迎えたT氏は、
すぐに2人に椅子を勧めた。
そして、部屋の片隅で、自ら急須に湯を注ぎ、
お茶を煎れてくれた。
「塚ちゃん、あのT・H先生がだよ。
極々あたり前のように、
俺たちにお茶を煎れてくれたんだよ。
本物の芸術家って、こうなんだよ。
凄いよね」。
そして、A氏からこんな話も、
「それからも、アトリエには何度か行ったけど、
お茶だけじゃないんだ。
とにかくまめによく動く。
アトリエなので創作の場だから、
いつもかたわらに粘土があるんだけど、
彫刻と向き合っているときだけでなく、
俺たちに椅子を勧めておいて、
先生は、ずっと立っているんだ。
ずっと立って、何かしら立ち仕事をし、
動きながら、俺たちに話しかけるんだよ。
疲れなんて、知らない人みたいにさ。
年寄りなのに・・」。
50年も前の話だが、ずっと心にあった。
真似できないと思いつつも、それを聞いてからは、
ちょっとだけ真似してきた。
授業中は、どんな場面でも椅子に腰掛けないようにした。
管理職になってからは、
来客には、できるだけ私自身がお茶を煎れるようにした。
▼ 『毎日がサンデー』になってからの私はどうか。
この暮らしも10年目になる。
しかも、コロナ禍がもう2年も・・・。
いつからだったろうか、
1つのキーワードを課してきた。
「何事も、億劫には思わないこと!」。
ところが、・・・・。
先日、深夜に長い夢を見た。
早く覚めてほしいと願っても、
いつまでも夢は続いた。
あら筋は思い出せない。
伊達に来てから知った人もいた。
若い頃に仲よくしていた人、
職員室で机を並べていた人、
酒の席で一緒だった人、
校長の頃の町の人、次々と現れた。
そして、口々に私に聞こえないところで、
眉を寄せ、「あいつはダメだ」「あの人はダメよ」と言う。
聞こえないはずの声が、次々と聞こえてくる。
同じトーンの「あいつ・あの人」は、私のことに間違いない。
夢の中で、ダメな私の言動を必死で探した。
心当たりがないままでいる。
すると、また知った顔の人が現れ、何かが始まる。
最後には厳しい表情で、
「あの人はダメ」とささやく。
「ダメ」の声だけが、ハッキリと私まで聞こえる。
やっと夢が終わり、目覚めると、
枕には汗のシミが大きく残っていた。
夢と知りつつも、無性に心が沈んだ。
その後、何度も何度も寝返りし、
これまた長い夜を過ごした。
ため息ばかりのまま、朝を迎えた。
でも、・・・。
予定していた通り、
5キロの朝ランに出る。
「億劫に思うな!」
うつむき加減の私を励ました。
そして、1キロ過ぎの急坂を何とか上り終え、
下り坂に差しかかった先の空を見た。
朝日で私の前が、真っ赤に染まっていた。
まぶしさに目を細めたが、
その陽差しが心まで届いたよう・・。
急に、沈んでいたものが、浮上した。
心がパッと変わった。
「これからも、心沈むことに出会うだろう。
年齢とともに、心も体も衰えるに決まっている。
でも、あの彫刻家のように振る舞いたい。
そして、今朝のように、
『何事も、億劫には思わない』私でいよう。」
気づくと、いつもより軽快な足どりで走っていた。
気持ちのいい汗が、ふき出してきた。
秋 の 落 日 ~イン伊達
転記する。
* * * * *
遠 く 感 ず る
南部 忠夫
日々介助に明け暮れている。
近頃、どこへ行くにも遠く感ずるようになった。
つい最近、息子夫婦が札幌からやって来た。
高齢の両親がどのように暮らしているのか、
ずっと気に掛けていてくれるのだ。
まん延防止策が取られている中を、
両方ともワクチン接種が終わっているのを言い訳にして、
強行突破して来たのだ。
コロナ流行以来2年ぶりの再会だった。
2時間ちょっとの滞在で、
慌てて札幌へ戻って行った。
私は強く距離感の違いを感じた。
札幌はいやに遠く感じられるのだ。
物理的距離は同じでも、
高齢になると心理的距離が遠く遠く感じられるのだ。
札幌往復なんて何の苦もなくできたものが、
今では札幌へ行くのでさえ、遠くて億劫になる。
息子の転勤先によって、いろんな市を走り回ったが、
遠いと思ったことがなかった。
函館の親戚や、長沼町の実家などへ行くのに
遠いなど思った事はなかった。
今はどうだろう。
苫小牧が遠くなり、支笏湖、洞爺湖が遠くなり、
白老牛を食べに行くのが遠くなった。
登別・室蘭などは通勤距離くらいにしか思っていなかったのに、
胆振は広いと思ってしまうのだ。
恐ろしいのは市内の善光寺が遠く思われ、
伊達駅までもが遠く思われるのだ。
何しろ高齢による体力の低下は
距離感の相違に現れる事を知った。
(楽書きの会、伊達市元町)
* * * * *
筆者の南部忠夫先生は、
私を『楽書きの会』へ誘ってくださった方だ。
長年にわたり、会の主宰をされている。
きっと80歳は超えているように思う。
随筆を読みながら、『高齢による体力の低下』は、
どうすることもできないことと思いつつも、
身につまされた。
でも、私はまだまだと思い直した。
一方、心理的距離感には、
思い至る節が「無きにしも非ず」・・かも!?
▼ 私にもあった20歳代のころだ。
大学で彫刻を学んでいたA氏が、
高名な彫刻家であるT・H氏のアトリエを訪ねた時のことを、
教えてくれた。
終戦後もパリに在住し、文化芸術活動に関わり、
帰国後は、彫刻創作のかたわら、
後進の指導にあたっていたT氏だった。
学生のA氏は、初めて鎌倉・稲村ヶ崎のT氏のアトリエに、
友人と2人招かれた。
T氏は、もうかなりの年齢だった。
緊張する学生を、アトリエで迎えたT氏は、
すぐに2人に椅子を勧めた。
そして、部屋の片隅で、自ら急須に湯を注ぎ、
お茶を煎れてくれた。
「塚ちゃん、あのT・H先生がだよ。
極々あたり前のように、
俺たちにお茶を煎れてくれたんだよ。
本物の芸術家って、こうなんだよ。
凄いよね」。
そして、A氏からこんな話も、
「それからも、アトリエには何度か行ったけど、
お茶だけじゃないんだ。
とにかくまめによく動く。
アトリエなので創作の場だから、
いつもかたわらに粘土があるんだけど、
彫刻と向き合っているときだけでなく、
俺たちに椅子を勧めておいて、
先生は、ずっと立っているんだ。
ずっと立って、何かしら立ち仕事をし、
動きながら、俺たちに話しかけるんだよ。
疲れなんて、知らない人みたいにさ。
年寄りなのに・・」。
50年も前の話だが、ずっと心にあった。
真似できないと思いつつも、それを聞いてからは、
ちょっとだけ真似してきた。
授業中は、どんな場面でも椅子に腰掛けないようにした。
管理職になってからは、
来客には、できるだけ私自身がお茶を煎れるようにした。
▼ 『毎日がサンデー』になってからの私はどうか。
この暮らしも10年目になる。
しかも、コロナ禍がもう2年も・・・。
いつからだったろうか、
1つのキーワードを課してきた。
「何事も、億劫には思わないこと!」。
ところが、・・・・。
先日、深夜に長い夢を見た。
早く覚めてほしいと願っても、
いつまでも夢は続いた。
あら筋は思い出せない。
伊達に来てから知った人もいた。
若い頃に仲よくしていた人、
職員室で机を並べていた人、
酒の席で一緒だった人、
校長の頃の町の人、次々と現れた。
そして、口々に私に聞こえないところで、
眉を寄せ、「あいつはダメだ」「あの人はダメよ」と言う。
聞こえないはずの声が、次々と聞こえてくる。
同じトーンの「あいつ・あの人」は、私のことに間違いない。
夢の中で、ダメな私の言動を必死で探した。
心当たりがないままでいる。
すると、また知った顔の人が現れ、何かが始まる。
最後には厳しい表情で、
「あの人はダメ」とささやく。
「ダメ」の声だけが、ハッキリと私まで聞こえる。
やっと夢が終わり、目覚めると、
枕には汗のシミが大きく残っていた。
夢と知りつつも、無性に心が沈んだ。
その後、何度も何度も寝返りし、
これまた長い夜を過ごした。
ため息ばかりのまま、朝を迎えた。
でも、・・・。
予定していた通り、
5キロの朝ランに出る。
「億劫に思うな!」
うつむき加減の私を励ました。
そして、1キロ過ぎの急坂を何とか上り終え、
下り坂に差しかかった先の空を見た。
朝日で私の前が、真っ赤に染まっていた。
まぶしさに目を細めたが、
その陽差しが心まで届いたよう・・。
急に、沈んでいたものが、浮上した。
心がパッと変わった。
「これからも、心沈むことに出会うだろう。
年齢とともに、心も体も衰えるに決まっている。
でも、あの彫刻家のように振る舞いたい。
そして、今朝のように、
『何事も、億劫には思わない』私でいよう。」
気づくと、いつもより軽快な足どりで走っていた。
気持ちのいい汗が、ふき出してきた。
秋 の 落 日 ~イン伊達
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