元々さほど多くの記載はないが、
3月、4月のスケジュール表に斜線が引かれ、
空欄ばかりになった。
伊達では、総合体育館もトレーニング室も、
図書館も閉鎖だ。
全国より早く、小中学校の休校が、
27日から始まっている。
また全道では、感染者が拡大し続けている。
ついに『緊急事態宣言』まで出た。
感染症の専門医が
「今回の新型コロナウイルスについては、
まだ分からないことが多い。」
と、口をそろえる。
中国で発症してから2ヶ月になる。
しかし、今の医学をもってしてもなお、
この事態である。
尋常ではない『流行病』に、
多くの人が、人ごとではない危機感、
恐怖感を持っている。
言うまでもないが、私もその一人である。
思い起こせば、2009年だったろうか。
当時は、新型インフルエンザが大流行した。
その年は、再任用校長としてまだ小学校に勤務していた。
全学級の出欠状況の集計報告がある午前9時を、
毎日緊張感をもって待った。
多数の欠席者が出た学級や学年に対し、
翌日からの閉鎖の判断をするのが、私の役目だった。
あの時は、最長でも1週間程度でよかった。
それでも先生たちからは、学習の遅れや、
休み中の過ごし方への不安な声が上がり、
判断に迷う場面も少なくなかった。
最も私が迷ったのは、運動会だ。
10月中旬だった。
流行が下火になりつつあった頃だったのに、
運動会実施の3日前になり、学年の違う3つの学級で、
インフルエンザによる欠席が一気に増えた。
学級閉鎖を即決した。
その上、翌日以降の推移は予測できなかったが、
病み上がり直後の運動会は避けた方がいいと考え、
運動会も延期することにした。
問題はいつまで延期するかだった。
私は2週間後に実施するにした。
それは10月末の日曜日である。
明らかにシーズン遅れだ。
それでも、全校児童、全学年、全学級で、
運動会を実施したかった。
もし、そこでも流行が治まらなければ、
運動会は中止にするしかない。
それもやむなしと密かに気持ちを固めていた。
学校へは1つも苦情もなかった。
そして、幸いなことにその後に学級閉鎖等はなく、
運動会は実施の運びとなった。
まだまだ流行の不安は大きかった。
秋晴れの青空のもと、校庭に並んだ全校児童、全職員は
マスク姿だった。
短距離走も、応援合戦も、すべての競技でマスクをした。
保護者にも来賓にもマスクをお願いした。
それでも実施できた運動会に胸をなで下ろした。
さて、今回の事態だ。
春休みを前倒しにした1ヶ月に及ぶ、全国規模の休校である。
私が10年前に経験した新型インフルエンザへの対応とは、
規模が全然違う。
だが、まずは基本に立ち帰りたい。
当時、『学校の危機管理』について、
職員に伝えたメモを転記する。
* * * * *
1.二つの危機管理
・ 危機管理には「リスクマネージメント」と
「クライシスマネージメント」の2つの意味がある。
前者は危機をおこさないための管理のことであり、
後者は危機発生後の適切な対応のことである。
学校では前者への対応に重きをおく。
2.危機への対応
① 日常の些細なことでも曖昧にしないで、
「報告・連絡・相談」を常に心がけ、情報を共有する。
② 「危機意識をもつ」ということは、『危機』を恐れることではなく、
「危機」を認識し、危機を防ぎ、危機が発生した場合には、
それに的確に対応する姿勢をもつことである。
③ 1人で悩むことなく、課題や迷いは、
多くの人と共有することによって解決の糸口が見つかる。
従って、教師間のコミュニケーションを大切にする。
④ 実際の危機に近い状態での訓練を繰り返すことによって、
冷静な判断ができないといった危険性は低くなる。
⑤ 危機は往々にしてゆっくりと発展していく。
危機の初期に前兆を捉えることができれば、
それだけ問題解決の可能性が高くなる。
* * * * *
こん日の学校の危機管理は、すでに「リスクマネジメント」から
『クライシスマネージメント」へと移行し、深刻な状況である。
今は、長期休校中の対応が学校に求められている。
こんな大規模で、しかも感染症拡大を防ぐための休校など、
誰も経験がないだろう。
多くの子どもが感染し、病に伏せている訳ではない。
子ども達は元気なのだ。
でも、学校が、感染拡大の源になる恐れがあるから、
「子どもは家にいなさい!」なのだ。
報道は、子どもを預けられない保護者の戸惑いを、
大きく伝えている。
しかし、一番たまったもんじゃないのは、
子ども達なのだ。
昨日の昼下がり、子ども達の様子が気になり、
散歩を兼ねて近隣の住宅地を歩いてみた。
家の前で、縄跳びをする姉妹がいたが、
長続きはせず、家へ入っていった。
他に子どもを見ることはなかった。
子ども達のこれからに、不安が大きく膨らんだ。
今、子ども達がいない学校で、
先生たちは何をしているのだろうか。
まさか、好機とばかり指導要録の記載や、
年度末の事務処理に時間をあててはいないだろう。
長期にわたり子どもが学校に来れないのだ。
そんな学校教育の大きな危機をどうするのか。
その前代未聞の難題に、
各学校は、必死に取り組んでいるに違いない。
もう一度、私のメモをくり返す。
『些細なことでも曖昧にしない』
『危機に的確に対応する姿勢をもつ』
『課題や迷いは…共有することによって解決の糸口を見つける』
『前兆を捉えることができれば、…解決の可能性が高くなる』。
あの3、11の夜、私の学校は帰宅困難者の避難所になった。
初めてのことで、職員室は混乱した。
その時、私からの提案を受け止めた職員からは、
「じゃ、私は名簿を作ります。」
「僕たち3人は、備蓄品の数を確認してきます。」
「校内への誘導をします。」
こんな声が次々と上がった。
『危機に的確に対応する姿勢をもつ』。
そんな事例だが、今は前例のない危機だ。
だからこそ強調したい。
「知恵を出し合おう。」
「英知を集めよう。」
「頑張れ、先生方!、子ども達の力になろう!」。
結びになる。
すっかりスケジュールがなくなった私だ。
だからこそ、老兵だが力を貸したい。
私にでもできることが、きっとあると信じている。
「じゃ、私はこれを」
そう声を上げることができるものはないか・・・・。
花壇の小さな針葉樹 もうすぐ春
3月、4月のスケジュール表に斜線が引かれ、
空欄ばかりになった。
伊達では、総合体育館もトレーニング室も、
図書館も閉鎖だ。
全国より早く、小中学校の休校が、
27日から始まっている。
また全道では、感染者が拡大し続けている。
ついに『緊急事態宣言』まで出た。
感染症の専門医が
「今回の新型コロナウイルスについては、
まだ分からないことが多い。」
と、口をそろえる。
中国で発症してから2ヶ月になる。
しかし、今の医学をもってしてもなお、
この事態である。
尋常ではない『流行病』に、
多くの人が、人ごとではない危機感、
恐怖感を持っている。
言うまでもないが、私もその一人である。
思い起こせば、2009年だったろうか。
当時は、新型インフルエンザが大流行した。
その年は、再任用校長としてまだ小学校に勤務していた。
全学級の出欠状況の集計報告がある午前9時を、
毎日緊張感をもって待った。
多数の欠席者が出た学級や学年に対し、
翌日からの閉鎖の判断をするのが、私の役目だった。
あの時は、最長でも1週間程度でよかった。
それでも先生たちからは、学習の遅れや、
休み中の過ごし方への不安な声が上がり、
判断に迷う場面も少なくなかった。
最も私が迷ったのは、運動会だ。
10月中旬だった。
流行が下火になりつつあった頃だったのに、
運動会実施の3日前になり、学年の違う3つの学級で、
インフルエンザによる欠席が一気に増えた。
学級閉鎖を即決した。
その上、翌日以降の推移は予測できなかったが、
病み上がり直後の運動会は避けた方がいいと考え、
運動会も延期することにした。
問題はいつまで延期するかだった。
私は2週間後に実施するにした。
それは10月末の日曜日である。
明らかにシーズン遅れだ。
それでも、全校児童、全学年、全学級で、
運動会を実施したかった。
もし、そこでも流行が治まらなければ、
運動会は中止にするしかない。
それもやむなしと密かに気持ちを固めていた。
学校へは1つも苦情もなかった。
そして、幸いなことにその後に学級閉鎖等はなく、
運動会は実施の運びとなった。
まだまだ流行の不安は大きかった。
秋晴れの青空のもと、校庭に並んだ全校児童、全職員は
マスク姿だった。
短距離走も、応援合戦も、すべての競技でマスクをした。
保護者にも来賓にもマスクをお願いした。
それでも実施できた運動会に胸をなで下ろした。
さて、今回の事態だ。
春休みを前倒しにした1ヶ月に及ぶ、全国規模の休校である。
私が10年前に経験した新型インフルエンザへの対応とは、
規模が全然違う。
だが、まずは基本に立ち帰りたい。
当時、『学校の危機管理』について、
職員に伝えたメモを転記する。
* * * * *
1.二つの危機管理
・ 危機管理には「リスクマネージメント」と
「クライシスマネージメント」の2つの意味がある。
前者は危機をおこさないための管理のことであり、
後者は危機発生後の適切な対応のことである。
学校では前者への対応に重きをおく。
2.危機への対応
① 日常の些細なことでも曖昧にしないで、
「報告・連絡・相談」を常に心がけ、情報を共有する。
② 「危機意識をもつ」ということは、『危機』を恐れることではなく、
「危機」を認識し、危機を防ぎ、危機が発生した場合には、
それに的確に対応する姿勢をもつことである。
③ 1人で悩むことなく、課題や迷いは、
多くの人と共有することによって解決の糸口が見つかる。
従って、教師間のコミュニケーションを大切にする。
④ 実際の危機に近い状態での訓練を繰り返すことによって、
冷静な判断ができないといった危険性は低くなる。
⑤ 危機は往々にしてゆっくりと発展していく。
危機の初期に前兆を捉えることができれば、
それだけ問題解決の可能性が高くなる。
* * * * *
こん日の学校の危機管理は、すでに「リスクマネジメント」から
『クライシスマネージメント」へと移行し、深刻な状況である。
今は、長期休校中の対応が学校に求められている。
こんな大規模で、しかも感染症拡大を防ぐための休校など、
誰も経験がないだろう。
多くの子どもが感染し、病に伏せている訳ではない。
子ども達は元気なのだ。
でも、学校が、感染拡大の源になる恐れがあるから、
「子どもは家にいなさい!」なのだ。
報道は、子どもを預けられない保護者の戸惑いを、
大きく伝えている。
しかし、一番たまったもんじゃないのは、
子ども達なのだ。
昨日の昼下がり、子ども達の様子が気になり、
散歩を兼ねて近隣の住宅地を歩いてみた。
家の前で、縄跳びをする姉妹がいたが、
長続きはせず、家へ入っていった。
他に子どもを見ることはなかった。
子ども達のこれからに、不安が大きく膨らんだ。
今、子ども達がいない学校で、
先生たちは何をしているのだろうか。
まさか、好機とばかり指導要録の記載や、
年度末の事務処理に時間をあててはいないだろう。
長期にわたり子どもが学校に来れないのだ。
そんな学校教育の大きな危機をどうするのか。
その前代未聞の難題に、
各学校は、必死に取り組んでいるに違いない。
もう一度、私のメモをくり返す。
『些細なことでも曖昧にしない』
『危機に的確に対応する姿勢をもつ』
『課題や迷いは…共有することによって解決の糸口を見つける』
『前兆を捉えることができれば、…解決の可能性が高くなる』。
あの3、11の夜、私の学校は帰宅困難者の避難所になった。
初めてのことで、職員室は混乱した。
その時、私からの提案を受け止めた職員からは、
「じゃ、私は名簿を作ります。」
「僕たち3人は、備蓄品の数を確認してきます。」
「校内への誘導をします。」
こんな声が次々と上がった。
『危機に的確に対応する姿勢をもつ』。
そんな事例だが、今は前例のない危機だ。
だからこそ強調したい。
「知恵を出し合おう。」
「英知を集めよう。」
「頑張れ、先生方!、子ども達の力になろう!」。
結びになる。
すっかりスケジュールがなくなった私だ。
だからこそ、老兵だが力を貸したい。
私にでもできることが、きっとあると信じている。
「じゃ、私はこれを」
そう声を上げることができるものはないか・・・・。
花壇の小さな針葉樹 もうすぐ春
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