秋の収穫期を迎えた。
畑には、カボチャがゴロゴロしている。
朝、ジョギングする私のそばで、
トラクターが、ジャガイモ堀にエンジン音を轟かせていた。
そろそろトウモロコシが終わり、
間もなく稲刈りが始まる。
そんな実りの秋真っ盛りの時、
台風18号が、私の街を通過していった。
伊達に移住してから、
台風は、昨年8月30日の10号に続いて2回目になる。
昨年は、強風で伊達の歴史を目撃してきた樹木が、
次々となぎ倒された。
我が家からすぐの高校の大木も、
『だて歴史の杜』の樹齢100年を越える木々も、
次々と根こそぎ横倒しになった。
栗やオニグルミの小さな実が吹き飛び、散乱した。
街の景観も随分変わった。
ゴルフのホームグランドになっている『伊達カントリー』は、
倒木が100本を越え、停電の復旧に3日も要した。
ビニルハウスは、ほうぼうで鉄骨だけになった。
芽吹き始めたばかりの秋まき小麦の新芽が、
無残に流された。
農作物の被害は、伊達だけでも億の単位と聞いた。
私でさえ、台風の爪痕に怒り、
そして胸が詰まるような悲しみにおそわれた。
「自然には、逆らえないから・・・。
また来年、頑張るわ。」
マイクを向けられ、淡々と応える農家の方の声に、
涙が湧いた。
1年が過ぎ、市街と周辺地から被害が、
ようやく姿を消そうとしていた。
いや、失った大木の寂しさに慣れ始めた。
そんな時の、台風18号である。
天気予報が、18号の日本列島縦断を伝え始めた。
何とか北海道への上陸だけは、
避けて欲しいと願っていた。
ところが、18日深夜、
ゴゥーゴゥーという地鳴りを伴った風の音と、
それに合わせ、屋根を打つ猛烈な雨音に目がさめた。
ただただ、昨年のような被害がないことを祈り、
朝を迎えた。
朝食前、電話が鳴った。
4月から自治会の役員を受けた私に、
自治会長さんからだった。
「市が、防災センターに避難所を開設しました。
住民から問い合わせがあったら、そう応じて下さい。」
そんな内容だった。
早速、各役員さんと班長さんへ、電話連絡を入れた。
緊張が走った。
嵐は、一向に衰えを見せない。
とうとうテレビは、
伊達を流れる2級河川『長流川(おさるがわ)』も、
危険水位に達したと伝え始めた。
そして、思いも及ばなかった、あの穏やかな気門別川も、
危険だと言う。
急ぎ市のホームページを見た。
驚いた。
2つの川の河口付近の地域に『避難勧告』である。
我が家からは、かなり距離があった。
でも、朝のジョギングコースになっている場所である。
走る度に、広々とした景観が心地よさを教えてくれた。
2つの川とも、この時期から鮭が遡上し、
例年、大自然の壮大なロマンに、胸を熱くしていた。
長流川は、これから白鳥が飛来し、越冬する拠点である。
その川が、今、住民に被害をもたらそうとしていた。
恐怖となっている。
「押し寄せる濁流に、逃げるしかない道はないのだろうか。」
「何とか堤防決壊や氾濫だけは避けて欲しい。」
そんな思いで、嵐が過ぎ去る時を待った。
11時を回った頃だろうか。
風も雨も、回復のきざしを見せた。
静けさが戻った。
その時だった。
1台の消防車が、カーンカーンと鐘を鳴らしながら、
何かを告げて通り過ぎた。
家を飛び出し、聞き耳をたてた。
自分の耳を疑った。
「アヤメ川が氾濫しています。
自主避難をお願いします。」
消防車は、くり返し告げた。
アヤメ川は、散策路のある自然公園を流れる、
細い小川である。
木々に囲まれたその川沿いは、
四季折々の変化を楽しめる素敵な散歩道だ。
早朝に限らず、何人もの方と、
いつもこの道で挨拶を交わしてきた。
東京から、友人・知人が来ると、必ず案内した。
私の気に入りの『伊達』である。
その小川が「氾濫!」
消防車の広報に、半信半疑だった。
でも、ここ数年、
各地で想定外の災害が報道されている。
まさかと思いつつ、すっかり雨の上がった道を、
マイカーでアヤメ川へ向かった。
出発してすぐ、その異常さに一瞬、全てを疑った。
車が立ち往生しかねないほど、
車道も歩道も冠水し、茶色に覆われていた。
アヤメ川からあふれた濁流が、
我が家とは反対方向の道を伝い、
勢いよく流れ出ていた。
想像したこともない異様さに、息を飲んだ。
道が冠水している地域には、何人かの顔見知りがいた。
1時間ほど時間をおいて、
家内と一緒に様子を見に行った。
濁流は引いていたが、たい積した泥を、
スコップ等でかき集める人たちがいた。
「大変でしたね。家の中はどうですか。」
「もう少しでしたが、家は大丈夫です。」
「・・・・。」
「ビックリですよ。あのアヤメ川が、
こんなことになるなんて、信じられません。」
「・・・・。」
「ここで25年も暮らしているけど、こんなの初めて。」
作業の手を止め、語ってくれた。
あの日から4日が過ぎた。
冠水で汚れた市街地の道路も駐車場も、泥が片付き、
いつもに戻っている。
でも、新たに倒れた木が、何本も目に止まる。
通行止めが続く道路もある。
昨年、今年と想像を越える自然の猛威に言葉がない。
現職の頃、保護者から、
現在もNHKテレビで気象予報士をしている平井信行さんを、
紹介して頂いた。
それが縁で、校長らの研修会で、講演をお願いした。
大学では、天気予報士とともに、教職を目指していた彼が、
その講演で強調したのは、
地球の温暖化への危機感だった。
「子どもの未来、人類の未来のために、
今、何ができるか。」と、問いかけられた。
その時、彼が示した異常気象が実際になっている。
あれから10年である。
「今、何ができるか。」
大自然と平井さんから
あらためて、問われているように思う。
ハマナスも真っ赤な実をつけた
畑には、カボチャがゴロゴロしている。
朝、ジョギングする私のそばで、
トラクターが、ジャガイモ堀にエンジン音を轟かせていた。
そろそろトウモロコシが終わり、
間もなく稲刈りが始まる。
そんな実りの秋真っ盛りの時、
台風18号が、私の街を通過していった。
伊達に移住してから、
台風は、昨年8月30日の10号に続いて2回目になる。
昨年は、強風で伊達の歴史を目撃してきた樹木が、
次々となぎ倒された。
我が家からすぐの高校の大木も、
『だて歴史の杜』の樹齢100年を越える木々も、
次々と根こそぎ横倒しになった。
栗やオニグルミの小さな実が吹き飛び、散乱した。
街の景観も随分変わった。
ゴルフのホームグランドになっている『伊達カントリー』は、
倒木が100本を越え、停電の復旧に3日も要した。
ビニルハウスは、ほうぼうで鉄骨だけになった。
芽吹き始めたばかりの秋まき小麦の新芽が、
無残に流された。
農作物の被害は、伊達だけでも億の単位と聞いた。
私でさえ、台風の爪痕に怒り、
そして胸が詰まるような悲しみにおそわれた。
「自然には、逆らえないから・・・。
また来年、頑張るわ。」
マイクを向けられ、淡々と応える農家の方の声に、
涙が湧いた。
1年が過ぎ、市街と周辺地から被害が、
ようやく姿を消そうとしていた。
いや、失った大木の寂しさに慣れ始めた。
そんな時の、台風18号である。
天気予報が、18号の日本列島縦断を伝え始めた。
何とか北海道への上陸だけは、
避けて欲しいと願っていた。
ところが、18日深夜、
ゴゥーゴゥーという地鳴りを伴った風の音と、
それに合わせ、屋根を打つ猛烈な雨音に目がさめた。
ただただ、昨年のような被害がないことを祈り、
朝を迎えた。
朝食前、電話が鳴った。
4月から自治会の役員を受けた私に、
自治会長さんからだった。
「市が、防災センターに避難所を開設しました。
住民から問い合わせがあったら、そう応じて下さい。」
そんな内容だった。
早速、各役員さんと班長さんへ、電話連絡を入れた。
緊張が走った。
嵐は、一向に衰えを見せない。
とうとうテレビは、
伊達を流れる2級河川『長流川(おさるがわ)』も、
危険水位に達したと伝え始めた。
そして、思いも及ばなかった、あの穏やかな気門別川も、
危険だと言う。
急ぎ市のホームページを見た。
驚いた。
2つの川の河口付近の地域に『避難勧告』である。
我が家からは、かなり距離があった。
でも、朝のジョギングコースになっている場所である。
走る度に、広々とした景観が心地よさを教えてくれた。
2つの川とも、この時期から鮭が遡上し、
例年、大自然の壮大なロマンに、胸を熱くしていた。
長流川は、これから白鳥が飛来し、越冬する拠点である。
その川が、今、住民に被害をもたらそうとしていた。
恐怖となっている。
「押し寄せる濁流に、逃げるしかない道はないのだろうか。」
「何とか堤防決壊や氾濫だけは避けて欲しい。」
そんな思いで、嵐が過ぎ去る時を待った。
11時を回った頃だろうか。
風も雨も、回復のきざしを見せた。
静けさが戻った。
その時だった。
1台の消防車が、カーンカーンと鐘を鳴らしながら、
何かを告げて通り過ぎた。
家を飛び出し、聞き耳をたてた。
自分の耳を疑った。
「アヤメ川が氾濫しています。
自主避難をお願いします。」
消防車は、くり返し告げた。
アヤメ川は、散策路のある自然公園を流れる、
細い小川である。
木々に囲まれたその川沿いは、
四季折々の変化を楽しめる素敵な散歩道だ。
早朝に限らず、何人もの方と、
いつもこの道で挨拶を交わしてきた。
東京から、友人・知人が来ると、必ず案内した。
私の気に入りの『伊達』である。
その小川が「氾濫!」
消防車の広報に、半信半疑だった。
でも、ここ数年、
各地で想定外の災害が報道されている。
まさかと思いつつ、すっかり雨の上がった道を、
マイカーでアヤメ川へ向かった。
出発してすぐ、その異常さに一瞬、全てを疑った。
車が立ち往生しかねないほど、
車道も歩道も冠水し、茶色に覆われていた。
アヤメ川からあふれた濁流が、
我が家とは反対方向の道を伝い、
勢いよく流れ出ていた。
想像したこともない異様さに、息を飲んだ。
道が冠水している地域には、何人かの顔見知りがいた。
1時間ほど時間をおいて、
家内と一緒に様子を見に行った。
濁流は引いていたが、たい積した泥を、
スコップ等でかき集める人たちがいた。
「大変でしたね。家の中はどうですか。」
「もう少しでしたが、家は大丈夫です。」
「・・・・。」
「ビックリですよ。あのアヤメ川が、
こんなことになるなんて、信じられません。」
「・・・・。」
「ここで25年も暮らしているけど、こんなの初めて。」
作業の手を止め、語ってくれた。
あの日から4日が過ぎた。
冠水で汚れた市街地の道路も駐車場も、泥が片付き、
いつもに戻っている。
でも、新たに倒れた木が、何本も目に止まる。
通行止めが続く道路もある。
昨年、今年と想像を越える自然の猛威に言葉がない。
現職の頃、保護者から、
現在もNHKテレビで気象予報士をしている平井信行さんを、
紹介して頂いた。
それが縁で、校長らの研修会で、講演をお願いした。
大学では、天気予報士とともに、教職を目指していた彼が、
その講演で強調したのは、
地球の温暖化への危機感だった。
「子どもの未来、人類の未来のために、
今、何ができるか。」と、問いかけられた。
その時、彼が示した異常気象が実際になっている。
あれから10年である。
「今、何ができるか。」
大自然と平井さんから
あらためて、問われているように思う。
ハマナスも真っ赤な実をつけた
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