愛猫・ネアルコが逝ってから、もう6年半になる。
「あんな悲しい想いをするのは、もう懲り懲り!」。
だから、どんな猫にも目を止めようとしなかった。
だが、月日はそんな感情も徐々に薄めさせる。
最近は、テレビに映る愛らしい仕草や表情の子猫を見ると、
気持ちがなごみ、つい笑顔にもなる。
とうとう先日、家内に言ってみた。
「・・・、猫、飼わない?」。
即答だった。
「いらない!」。
めげずに二の矢を発するほど強い意志も信念もなかった。
それ以上に、今から猫を飼うことに、いつもためらいがある。
ネアルコと同じなら、20年先までを考えなければならない。
その頃には、2人とも自分の身の回りのことで、
精いっぱいになっているのではなかろうか。
90歳の年寄りに、飼い猫などは「大変なことになる」に違いない。
今は、「高齢者でも猫と一緒の暮らしができるように!」と、
支援するNPO法人による仕組みがあるらしい。
しかし、そこまで踏み込む気持ちにはなれない。
やはり、猫を飼うにはそれなりのタイミングや、
きっかけが必要なのではなかろうか。
もう25年も前になるが、その年の12月25日に、
生まれたばかりの子猫を飼うことになった校長先生がいた。
その日は、2学期の終業式だった。
登校してくる子供の声が、
いつになく校門のあたりでやけに賑やかだった。
教頭の私は、職員室を飛び出し、校門へ急いだ。
門扉のそばで、20人程の子が何かを囲んでいた。
私はその輪をかき分けた。
そこに、段ボールの小箱があった。
箱の中にはバスタオルが敷いてあり、
その上に生まれて間もない子猫がかがんでいた。
そばには、少しの子猫用キャットフードと、
「この子を助けてください」と、記された紙片があった。
私が、箱を抱え上げると、子猫はか細い声で鳴いた。
「先生、どうするのこの猫?」。
「誰か、飼ってくれる人がいるの?」。
「これから、飼ってくれる人を探すんだよね?」。
「この猫、学校のペットにするの?」。
子供たちは箱を抱えて職員室へむかう私を囲み、
質問攻めにした。
「心配しないでいいよ。
助けてあげられるよう、何とかするから・・。
大丈夫だよ。さあ、教室へ行きましょう」。
私は、興味津々の子供たちを教室へ行かせ、
職員室へと向かった。
子猫はか細く何度も何度も鳴いていた。
愛らしさが、切なかった。
職員室の前で、
校長先生が心配そうに私を待っていた。
箱の中をのぞくと、
子猫はタイミングよく「にゃー」と鳴いた。
「なにこれ! かわいい!」
校長先生の第一声だった。
そして、私に訊いた。
「教頭さん、どうするの? この猫」。
小声で冷静に言った。
「捨て猫ですから、
保健所に連絡して引き取ってもらいます」。
「引き取られた後は、どうなるの?」
子供のような校長先生の質問に呆れて、
「飼手がいなければ、処分するすることになるんでしょうね」。
終業式が終わり、保健所との連絡がつくまでの間、
子猫のいる段ボール箱は校長室で預かることになった。
では、保健所に電話しようとした矢先だった。
校長室に呼ばれた。
「教頭さんの家には猫がいたね。」
私の返事を待たずに、次から次と質問が飛んできた。
餌はどうするのか。
飼うのに必要な道具は何か。
餌や道具は、どこで買うのか。
どんなことに注意して飼えばいいのか。
トイレはすぐできるようになるのか。
校長先生の問いには、熱がこもっていた。
思い切って、私は訊いた。
「猫の飼い方を知って、どうなさるんですか?」。
校長先生は、顔中を笑顔にして、
「かわいいんだよ、この猫。
飼おうかと思ってさ」。
「ここでですか?」。
私は、驚きの声になっていた。
「違う違う。我が家でだよ」。
私は急に手のひらを返した。
子猫を保健所に引き渡すためらいから解かれた。
嬉しかった。
「それはいいですね。
この子猫を置いていった方も喜びます」。
そして、勤務時間を終えてすぐ、
校長先生からお金を預かり、
近所のペットショップへ走った。
猫の飼育に必要な物を一式買いそろえた。
そして、急ぎ一度自宅に帰り、
マイカーで学校にまい戻った。
校長先生と子猫、飼育道具を乗せ、
校長先生宅へ送った。
その日から、子猫は校長先生の猫になった。
クリスマスの日にやってきたので、
『サンタ』と名付けられた。
丁度、奥様は、友達と旅行中だった。
それは、子猫にも校長先生にも幸いしたらしい。
反対するかも知れない人が留守の間に、
子猫は住人になってしまったのだ。
数日して、校長先生が出勤している間に、
奥様は旅行から帰宅した。
自宅に、子猫がいることに驚いた。
同時に、そのかわいらしさについ表情がゆるんだ。
校長先生が戻ると、
奥様は、
「猫のトイレは、居間に置かないでくださいね!」
とだけ言ったそうだ。
洞爺湖畔の冬に
「あんな悲しい想いをするのは、もう懲り懲り!」。
だから、どんな猫にも目を止めようとしなかった。
だが、月日はそんな感情も徐々に薄めさせる。
最近は、テレビに映る愛らしい仕草や表情の子猫を見ると、
気持ちがなごみ、つい笑顔にもなる。
とうとう先日、家内に言ってみた。
「・・・、猫、飼わない?」。
即答だった。
「いらない!」。
めげずに二の矢を発するほど強い意志も信念もなかった。
それ以上に、今から猫を飼うことに、いつもためらいがある。
ネアルコと同じなら、20年先までを考えなければならない。
その頃には、2人とも自分の身の回りのことで、
精いっぱいになっているのではなかろうか。
90歳の年寄りに、飼い猫などは「大変なことになる」に違いない。
今は、「高齢者でも猫と一緒の暮らしができるように!」と、
支援するNPO法人による仕組みがあるらしい。
しかし、そこまで踏み込む気持ちにはなれない。
やはり、猫を飼うにはそれなりのタイミングや、
きっかけが必要なのではなかろうか。
もう25年も前になるが、その年の12月25日に、
生まれたばかりの子猫を飼うことになった校長先生がいた。
その日は、2学期の終業式だった。
登校してくる子供の声が、
いつになく校門のあたりでやけに賑やかだった。
教頭の私は、職員室を飛び出し、校門へ急いだ。
門扉のそばで、20人程の子が何かを囲んでいた。
私はその輪をかき分けた。
そこに、段ボールの小箱があった。
箱の中にはバスタオルが敷いてあり、
その上に生まれて間もない子猫がかがんでいた。
そばには、少しの子猫用キャットフードと、
「この子を助けてください」と、記された紙片があった。
私が、箱を抱え上げると、子猫はか細い声で鳴いた。
「先生、どうするのこの猫?」。
「誰か、飼ってくれる人がいるの?」。
「これから、飼ってくれる人を探すんだよね?」。
「この猫、学校のペットにするの?」。
子供たちは箱を抱えて職員室へむかう私を囲み、
質問攻めにした。
「心配しないでいいよ。
助けてあげられるよう、何とかするから・・。
大丈夫だよ。さあ、教室へ行きましょう」。
私は、興味津々の子供たちを教室へ行かせ、
職員室へと向かった。
子猫はか細く何度も何度も鳴いていた。
愛らしさが、切なかった。
職員室の前で、
校長先生が心配そうに私を待っていた。
箱の中をのぞくと、
子猫はタイミングよく「にゃー」と鳴いた。
「なにこれ! かわいい!」
校長先生の第一声だった。
そして、私に訊いた。
「教頭さん、どうするの? この猫」。
小声で冷静に言った。
「捨て猫ですから、
保健所に連絡して引き取ってもらいます」。
「引き取られた後は、どうなるの?」
子供のような校長先生の質問に呆れて、
「飼手がいなければ、処分するすることになるんでしょうね」。
終業式が終わり、保健所との連絡がつくまでの間、
子猫のいる段ボール箱は校長室で預かることになった。
では、保健所に電話しようとした矢先だった。
校長室に呼ばれた。
「教頭さんの家には猫がいたね。」
私の返事を待たずに、次から次と質問が飛んできた。
餌はどうするのか。
飼うのに必要な道具は何か。
餌や道具は、どこで買うのか。
どんなことに注意して飼えばいいのか。
トイレはすぐできるようになるのか。
校長先生の問いには、熱がこもっていた。
思い切って、私は訊いた。
「猫の飼い方を知って、どうなさるんですか?」。
校長先生は、顔中を笑顔にして、
「かわいいんだよ、この猫。
飼おうかと思ってさ」。
「ここでですか?」。
私は、驚きの声になっていた。
「違う違う。我が家でだよ」。
私は急に手のひらを返した。
子猫を保健所に引き渡すためらいから解かれた。
嬉しかった。
「それはいいですね。
この子猫を置いていった方も喜びます」。
そして、勤務時間を終えてすぐ、
校長先生からお金を預かり、
近所のペットショップへ走った。
猫の飼育に必要な物を一式買いそろえた。
そして、急ぎ一度自宅に帰り、
マイカーで学校にまい戻った。
校長先生と子猫、飼育道具を乗せ、
校長先生宅へ送った。
その日から、子猫は校長先生の猫になった。
クリスマスの日にやってきたので、
『サンタ』と名付けられた。
丁度、奥様は、友達と旅行中だった。
それは、子猫にも校長先生にも幸いしたらしい。
反対するかも知れない人が留守の間に、
子猫は住人になってしまったのだ。
数日して、校長先生が出勤している間に、
奥様は旅行から帰宅した。
自宅に、子猫がいることに驚いた。
同時に、そのかわいらしさについ表情がゆるんだ。
校長先生が戻ると、
奥様は、
「猫のトイレは、居間に置かないでくださいね!」
とだけ言ったそうだ。
洞爺湖畔の冬に
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