昨日の昼下がり、家内と一緒に花壇に立っていたところ、
ご近所の奥さんが仕事帰りのような出で立ちで通りかかった。
雨上がりの天気だったので、
「いい天気になりましたね。」
と、声をかけた。
「そうですね。」と明るい返事の後、
「きゅうりあるよ。いつもどうしてるの?買ってるの?少しあげるね。」
と、おもむろにエコバックのような袋から、
4,5本のきゅうりを取り出し渡してくれた。
伊達に来てから、よく野菜や魚をご近所からいただくが、
それにしても私が驚いたのは、
「いつもどうしてる?買ってるの?」
の言葉である。
今までの私の基準は、
食べ物は当然買う物であり、きゅうりだって買い求めるものである。
それが、いつも買うのか?の問いなのである。
私にとって驚きの一場面だった。
40年の首都圏での生活に馴染んでいた私にとって、
北の大地での暮らしは、
時として、新鮮な驚きにめぐり合わせてくれる。
それは私にとって新しい刺激になっている。
今年春先の出来事もその一つだった。
今年5月12日、
JR北海道の江差線の木古内と江差の間42、1キロが廃線になった。
長年、その線を利用してきた地元の人にとっては前日11日は、
最後の列車が通る日となった。
その日、北海道のメディアは、
江差線との別れを惜しむ人々の様子を数多く報道した。
その一場面を私は鮮明に覚えている。
お別れ列車が通った後、マイクを向けられた地元の女性が、
「蛍の光、流れたしょ。涙、出たわ。」
と、言ったのである。
この声を聞いた当初、私は思わず苦笑していた。
最後の列車が通り過ぎ、様々な思いが蘇り涙する。
それが一般的な感覚ではないのか。
それなのに『蛍の光』を聞いて、初めて涙が出る。
あまりにもデリカシーがないのでは・・・、
と、思い若干苦々しく思ったのである。
しかし、私は何故かこのワンシーンが忘れられなかった。
そして、最近気づいたのである。笑わないでほしい。
廃線という事実をしっかりと受け止め、
変わっていくこれから暮らしを力強く歩もうとする人にとって、
この日、涙は不要だった。
なのに予期しなかった『蛍の光』だった。
悲しみがこみ上げ、涙がこぼれてしまった。
それが、あの言葉だったのだ。
そこに、極寒の地で生き抜いている女性の逞しさを垣間見た。
また一つ私はつぶやく、『かなわない!』と
伊達のビュースポット<有珠山と昭和新山>
ご近所の奥さんが仕事帰りのような出で立ちで通りかかった。
雨上がりの天気だったので、
「いい天気になりましたね。」
と、声をかけた。
「そうですね。」と明るい返事の後、
「きゅうりあるよ。いつもどうしてるの?買ってるの?少しあげるね。」
と、おもむろにエコバックのような袋から、
4,5本のきゅうりを取り出し渡してくれた。
伊達に来てから、よく野菜や魚をご近所からいただくが、
それにしても私が驚いたのは、
「いつもどうしてる?買ってるの?」
の言葉である。
今までの私の基準は、
食べ物は当然買う物であり、きゅうりだって買い求めるものである。
それが、いつも買うのか?の問いなのである。
私にとって驚きの一場面だった。
40年の首都圏での生活に馴染んでいた私にとって、
北の大地での暮らしは、
時として、新鮮な驚きにめぐり合わせてくれる。
それは私にとって新しい刺激になっている。
今年春先の出来事もその一つだった。
今年5月12日、
JR北海道の江差線の木古内と江差の間42、1キロが廃線になった。
長年、その線を利用してきた地元の人にとっては前日11日は、
最後の列車が通る日となった。
その日、北海道のメディアは、
江差線との別れを惜しむ人々の様子を数多く報道した。
その一場面を私は鮮明に覚えている。
お別れ列車が通った後、マイクを向けられた地元の女性が、
「蛍の光、流れたしょ。涙、出たわ。」
と、言ったのである。
この声を聞いた当初、私は思わず苦笑していた。
最後の列車が通り過ぎ、様々な思いが蘇り涙する。
それが一般的な感覚ではないのか。
それなのに『蛍の光』を聞いて、初めて涙が出る。
あまりにもデリカシーがないのでは・・・、
と、思い若干苦々しく思ったのである。
しかし、私は何故かこのワンシーンが忘れられなかった。
そして、最近気づいたのである。笑わないでほしい。
廃線という事実をしっかりと受け止め、
変わっていくこれから暮らしを力強く歩もうとする人にとって、
この日、涙は不要だった。
なのに予期しなかった『蛍の光』だった。
悲しみがこみ上げ、涙がこぼれてしまった。
それが、あの言葉だったのだ。
そこに、極寒の地で生き抜いている女性の逞しさを垣間見た。
また一つ私はつぶやく、『かなわない!』と
伊達のビュースポット<有珠山と昭和新山>
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