ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

新しい刺激

2014-07-24 23:05:52 | 北の大地
 昨日の昼下がり、家内と一緒に花壇に立っていたところ、
ご近所の奥さんが仕事帰りのような出で立ちで通りかかった。
 雨上がりの天気だったので、
「いい天気になりましたね。」
と、声をかけた。
 「そうですね。」と明るい返事の後、
「きゅうりあるよ。いつもどうしてるの?買ってるの?少しあげるね。」
と、おもむろにエコバックのような袋から、
4,5本のきゅうりを取り出し渡してくれた。

 伊達に来てから、よく野菜や魚をご近所からいただくが、
それにしても私が驚いたのは、
「いつもどうしてる?買ってるの?」
の言葉である。
 今までの私の基準は、
食べ物は当然買う物であり、きゅうりだって買い求めるものである。
それが、いつも買うのか?の問いなのである。
私にとって驚きの一場面だった。

 40年の首都圏での生活に馴染んでいた私にとって、
北の大地での暮らしは、
時として、新鮮な驚きにめぐり合わせてくれる。
それは私にとって新しい刺激になっている。

 今年春先の出来事もその一つだった。

 今年5月12日、
JR北海道の江差線の木古内と江差の間42、1キロが廃線になった。
 長年、その線を利用してきた地元の人にとっては前日11日は、
最後の列車が通る日となった。
 その日、北海道のメディアは、
江差線との別れを惜しむ人々の様子を数多く報道した。

 その一場面を私は鮮明に覚えている。
 お別れ列車が通った後、マイクを向けられた地元の女性が、
 「蛍の光、流れたしょ。涙、出たわ。」
と、言ったのである。

 この声を聞いた当初、私は思わず苦笑していた。
 最後の列車が通り過ぎ、様々な思いが蘇り涙する。
それが一般的な感覚ではないのか。
それなのに『蛍の光』を聞いて、初めて涙が出る。
あまりにもデリカシーがないのでは・・・、
と、思い若干苦々しく思ったのである。

 しかし、私は何故かこのワンシーンが忘れられなかった。

 そして、最近気づいたのである。笑わないでほしい。

 廃線という事実をしっかりと受け止め、
変わっていくこれから暮らしを力強く歩もうとする人にとって、
この日、涙は不要だった。
なのに予期しなかった『蛍の光』だった。
悲しみがこみ上げ、涙がこぼれてしまった。
それが、あの言葉だったのだ。

 そこに、極寒の地で生き抜いている女性の逞しさを垣間見た。
 また一つ私はつぶやく、『かなわない!』と



伊達のビュースポット<有珠山と昭和新山>

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