今年の正月は、能登半島大地震の、
悲惨な映像を見ながら過ぎた。
「誰も皆、同じ!」だったと思う。
一瞬にして崩壊した家屋、
家中に散乱した家財道具。
そして、避難所の冷えと、
不安に耐える孤立地区の人々。
どれも胸を締め付け、耐えがたい。
「今できることは?」と問い、
買い物で渡された釣り銭の5百円硬貨を、
コツコツとへそくりしていた袋を、
丸ごと募金箱に入れてはみたが・・・。
そんな七草がゆまでの日々だったが、
例年通り、沢山の年賀状が届いた。
その時だけはテレビを切り、
年に1度の便りに、ゆっくりと目を通した。
1人1人の近況と共に、その人らしい筆跡が、
私に精気を届けてくれた。
しかし、最近は「年賀状じまい」という用語が一般化した。
私にも「今年限りで年賀状を失礼させてもらいます」の
添え書きが増えた。
併せて、他界した方々も・・・。
だから、当地で暮らし始めた年は、
300枚を越えていたものが、
12年が過ぎた今年は、250枚にも満たなくなった。
今年の賀状に、重い気持ちになったものが2枚あった。
いずれも、教職に就いてすぐの頃から、
賀状を交換していた方である。
1人は、私より5歳上の先輩で、人当たりがよく、
見習う所の多い人柄の方だった。
宛名にはいつも私たち2人の名が併記され、
彼らしいオリジナルの賀状には、
欠かさず温かなひと言が添えられていた。
しかし、今年は違った。
手書きされた宛名は、私の氏名だけ。
しかも、「様」がなかった。
その上、既製の年賀はがきで、どこにも彼の言葉はなかった。
差し出し人の氏名だけが、片隅に小さくあった。
別人からの賀状かと見間違いそうだった。
認知症を予感させた。
もう1人の賀状は、
お年玉年賀はがきの抽選番号発表後に届いた。
そこには、新年の言葉と共に、
こんな近況が書かれていた。
「最近、認知症の症状が出始めました。
でも、今のところ普通に生活できます」
どんなに遅くても、私の年賀状は5日までには届いているはず。
それからの返礼賀状にしては、あまりにも遅い。
確か、彼はひとり暮らし。
認知症の発症と共に『普通に生活できます』が、
不安を増幅させた。
さて、2通の年賀状もそうだが、
老いとともに気がかりなのが「認知症」である。
私の日常にあった2つを記しておく。
≪その1≫
8週おきだが、眼科に通院している。
2種類の点眼薬を、1日3回さすことが日課である。
先日も予約時間に、残った薬を持って、
早くて2時間を要する医院へ行った。
待合室は、検査と診察を待つ人でいっぱいだった。
2回に分けた検査と診察、
その後会計と処方箋がいつものパターンだ。
とにかく、待って待ってが続く。
じっと耐える時間が続く。
「致し方ない!」。
私の前の長椅子に、
杖を持った老人と付き添いらしい女性が座っていた。
私より一足早く検査に呼ばれ、その後が私の順番だった。
長い待ち時間が続いた。
前の2人が、いつも視野に入っていた。
2人は全く言葉を交わさず、ジッとしていた。
ようやく指名があり、2人は診察室へ行った。
間もなく、私は診察室前の中待合室に呼ばれ移動した。
席に着くと、診察室のやりとりが漏れてきた。
まず驚いたのは、
言葉を交わさない女性は奥さんだったこと。
そして、医師は前回処方した4本の点眼薬が、
全然使われてなかったことにビックリし、
問いただしていた。
ご主人は「忘れていた」と弱々しく言うだけ。
そして、奥さんは
「この人の薬なんて私は知りません」
と、何度もくり返した。
医師は、薬を使わないと目は良くならない。
だから「毎日、目薬をさして下さい」と説明する。
2人は無言のまま・・・。
堂々巡りが何度かあり時間が過ぎ、
とうとう医師は、
「もうこの4本は古いから、これは捨てます。
新しいのを出しますから、
それを朝と晩、使ってください。
そうしないと治りませんからね」。
無言のまま2人は、
看護師に付き添われて診察室を出た。
その後、どうやって会計を済ませ、薬を貰ったのか。
そして、どうやってどこへ帰宅したのか。
診察を受けていた私には全く分からない。
ただ、帰宅後何度もため息が出た。
認知症かも知れない夫婦に、
ずっと気持ちは沈んだままだった。
≪その2≫
自治会長になってからは人目が気になり、
2人でスーパーへ行くことが減った。
その日は、午後の買い物客が少ない時間に
久しぶりに私も行った。
醤油や天ぷら油、お酒など重たい物も買い、
ワゴンいっぱいに買い込み、レジに並んだ。
私たちの前に、同世代の女性がいた。
買い物カゴの半分くらいに品物が入ってた。
その女性の番になった。
買い物カゴをレジのカウンターに置いて、
女性が言った最初のひと言に驚いた。
レジの店員さんに、
カゴに入っていたお菓子の小袋を指さし、
「これ、要らない!」
「エッ、要らないって!
キャンセルですか?」
店員さんは、目を丸くして訊いた。
「そう、要らない!」
店員さんは、不機嫌な顔で、
カゴからお菓子の小袋を取り出し、別の棚へ置いた。
すると
「これも、要らない」
次は、ソーセージの小袋を指した。
黙ったまま店員さんは、それも別の棚に置き、
レジをすすめた。
今度は『R-1ヨーグルト』の空き瓶が
カゴから出てきた。
「これ、ゴミですか?」
店員さんは、空き瓶を女性の前で振って見せた。
「そう、ゴミ!」
「どうしたんですか?」
「飲んだ!」
「お店のですよね」
「そう、お金払うから!」
店員さんは、もうあきれ顔。
でも、気を取りなおし、空き瓶を読み取り機に通した。
「これからは、支払いを済ませてから飲んでくださいね」。
女性は、表情を変えることもなく、
会計の金額を店員さんに渡し、レジを後にした。
経験のない事態に、あっけにとられた。
しばらく思考が停止したまま、押し黙った。
だんだんと女性の行動が、尋常でないことだけは分かった。
「認知症なのかなぁ?」
私の問いに家内も同意した。
お気に入りの散歩道 冬
※次回のブログ更新予定は2月24日(土)です
悲惨な映像を見ながら過ぎた。
「誰も皆、同じ!」だったと思う。
一瞬にして崩壊した家屋、
家中に散乱した家財道具。
そして、避難所の冷えと、
不安に耐える孤立地区の人々。
どれも胸を締め付け、耐えがたい。
「今できることは?」と問い、
買い物で渡された釣り銭の5百円硬貨を、
コツコツとへそくりしていた袋を、
丸ごと募金箱に入れてはみたが・・・。
そんな七草がゆまでの日々だったが、
例年通り、沢山の年賀状が届いた。
その時だけはテレビを切り、
年に1度の便りに、ゆっくりと目を通した。
1人1人の近況と共に、その人らしい筆跡が、
私に精気を届けてくれた。
しかし、最近は「年賀状じまい」という用語が一般化した。
私にも「今年限りで年賀状を失礼させてもらいます」の
添え書きが増えた。
併せて、他界した方々も・・・。
だから、当地で暮らし始めた年は、
300枚を越えていたものが、
12年が過ぎた今年は、250枚にも満たなくなった。
今年の賀状に、重い気持ちになったものが2枚あった。
いずれも、教職に就いてすぐの頃から、
賀状を交換していた方である。
1人は、私より5歳上の先輩で、人当たりがよく、
見習う所の多い人柄の方だった。
宛名にはいつも私たち2人の名が併記され、
彼らしいオリジナルの賀状には、
欠かさず温かなひと言が添えられていた。
しかし、今年は違った。
手書きされた宛名は、私の氏名だけ。
しかも、「様」がなかった。
その上、既製の年賀はがきで、どこにも彼の言葉はなかった。
差し出し人の氏名だけが、片隅に小さくあった。
別人からの賀状かと見間違いそうだった。
認知症を予感させた。
もう1人の賀状は、
お年玉年賀はがきの抽選番号発表後に届いた。
そこには、新年の言葉と共に、
こんな近況が書かれていた。
「最近、認知症の症状が出始めました。
でも、今のところ普通に生活できます」
どんなに遅くても、私の年賀状は5日までには届いているはず。
それからの返礼賀状にしては、あまりにも遅い。
確か、彼はひとり暮らし。
認知症の発症と共に『普通に生活できます』が、
不安を増幅させた。
さて、2通の年賀状もそうだが、
老いとともに気がかりなのが「認知症」である。
私の日常にあった2つを記しておく。
≪その1≫
8週おきだが、眼科に通院している。
2種類の点眼薬を、1日3回さすことが日課である。
先日も予約時間に、残った薬を持って、
早くて2時間を要する医院へ行った。
待合室は、検査と診察を待つ人でいっぱいだった。
2回に分けた検査と診察、
その後会計と処方箋がいつものパターンだ。
とにかく、待って待ってが続く。
じっと耐える時間が続く。
「致し方ない!」。
私の前の長椅子に、
杖を持った老人と付き添いらしい女性が座っていた。
私より一足早く検査に呼ばれ、その後が私の順番だった。
長い待ち時間が続いた。
前の2人が、いつも視野に入っていた。
2人は全く言葉を交わさず、ジッとしていた。
ようやく指名があり、2人は診察室へ行った。
間もなく、私は診察室前の中待合室に呼ばれ移動した。
席に着くと、診察室のやりとりが漏れてきた。
まず驚いたのは、
言葉を交わさない女性は奥さんだったこと。
そして、医師は前回処方した4本の点眼薬が、
全然使われてなかったことにビックリし、
問いただしていた。
ご主人は「忘れていた」と弱々しく言うだけ。
そして、奥さんは
「この人の薬なんて私は知りません」
と、何度もくり返した。
医師は、薬を使わないと目は良くならない。
だから「毎日、目薬をさして下さい」と説明する。
2人は無言のまま・・・。
堂々巡りが何度かあり時間が過ぎ、
とうとう医師は、
「もうこの4本は古いから、これは捨てます。
新しいのを出しますから、
それを朝と晩、使ってください。
そうしないと治りませんからね」。
無言のまま2人は、
看護師に付き添われて診察室を出た。
その後、どうやって会計を済ませ、薬を貰ったのか。
そして、どうやってどこへ帰宅したのか。
診察を受けていた私には全く分からない。
ただ、帰宅後何度もため息が出た。
認知症かも知れない夫婦に、
ずっと気持ちは沈んだままだった。
≪その2≫
自治会長になってからは人目が気になり、
2人でスーパーへ行くことが減った。
その日は、午後の買い物客が少ない時間に
久しぶりに私も行った。
醤油や天ぷら油、お酒など重たい物も買い、
ワゴンいっぱいに買い込み、レジに並んだ。
私たちの前に、同世代の女性がいた。
買い物カゴの半分くらいに品物が入ってた。
その女性の番になった。
買い物カゴをレジのカウンターに置いて、
女性が言った最初のひと言に驚いた。
レジの店員さんに、
カゴに入っていたお菓子の小袋を指さし、
「これ、要らない!」
「エッ、要らないって!
キャンセルですか?」
店員さんは、目を丸くして訊いた。
「そう、要らない!」
店員さんは、不機嫌な顔で、
カゴからお菓子の小袋を取り出し、別の棚へ置いた。
すると
「これも、要らない」
次は、ソーセージの小袋を指した。
黙ったまま店員さんは、それも別の棚に置き、
レジをすすめた。
今度は『R-1ヨーグルト』の空き瓶が
カゴから出てきた。
「これ、ゴミですか?」
店員さんは、空き瓶を女性の前で振って見せた。
「そう、ゴミ!」
「どうしたんですか?」
「飲んだ!」
「お店のですよね」
「そう、お金払うから!」
店員さんは、もうあきれ顔。
でも、気を取りなおし、空き瓶を読み取り機に通した。
「これからは、支払いを済ませてから飲んでくださいね」。
女性は、表情を変えることもなく、
会計の金額を店員さんに渡し、レジを後にした。
経験のない事態に、あっけにとられた。
しばらく思考が停止したまま、押し黙った。
だんだんと女性の行動が、尋常でないことだけは分かった。
「認知症なのかなぁ?」
私の問いに家内も同意した。
お気に入りの散歩道 冬
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