4月16日 第30回春一番伊達ハーフマラソンがあった。
昨年に引き続き、ハーフの部に挑戦した。
その大会にまつわるエピソードを2つ記す。
(1)
4月11日、69歳の誕生日を迎えた。
60代最後の1年である。
力む程のことではないが、特別な1年と思えば、
それなりの年になるような気がする。
とにかく、何か新しいことができれば、
それはそれで嬉しい。
さて、同じ日である。
北海道新聞室蘭胆振版に、
『「30年」市民の力で定着 伊達ハーフマラソン』の表題で、
半ページの特集があった。
そのトップに、『地元ランナー』として以下の文面と、
『本番と同じコースで練習する
「スマイル ジョグ ダテ」のメンバー』として、
私を含め5人のランニング姿の写真が載った。
* * *
例年、道内外から多数のマラソン愛好者が集う
春一番伊達ハーフマラソン。
伊達市のランナーも全体の1割弱を占め、
グループをつくるなどして走りを楽しんでいる。
30年目の大会を控えた地元ランナーたちの横顔を紹介する。
愛好団体「スマイル ジョグ ダテ」は、
市温水プール・トレーニング室を運営する道南スコーレが
呼びかけ3年前に結成した。
現在、20人のメンバーがおり、
当日は応援を含め全員が参加する。
メンバーで元小学校校長の塚原渉さん(69)は、
千葉市から移住した翌年の2013年に5キロに初出場。
その後、順調に距離を伸ばし、今回は2度目のハーフに挑む。
マラソンは伊達に来て始めたといい、
「身近な場所で大会をやっているのがいい」と語る。
≪後略≫
* * *
珍しく朝から電話が鳴った。メールも届いた。
「新聞、読んだよ。」
「ビックリした。」
地元の方々からの温かい声だった。
実は、仲間に加えてもらっている「スマイル ジョグ ダテ」は、
3月中旬から3回練習を計画していた。
その2回目の時、新聞記者さんが取材に来ていた。
たまたまそこに居合わせたメンバーで、
ハーフに挑戦するのは私だけだった。
それで取材の求めに応じた。
記者さんに問われるまま、気軽に答えた。
ところが、この記事に、思いのほか反響があった。
中には、「校長先生だったんですか。」と、
上から下までまじまじと見る方まで現れた。
伊達に移り住んで5年。そろそろ前職を知られてもいい。
「そうなんです。これからもよろしく。」と、
頭を下げた。
この記事の反響に限ったことではないが、
地元には、随分と多くの顔見知りができた。
だから、今年のハーフマラソン大会は、
昨年まで皆無だった沿道からの応援に、何度も励まされた。
給水所のボランティアさんに、2人も知り合いがいた。
水分補給と共に、その顔を見ただけで、新しい力が湧いた。
家内のコーラス仲間の方からも声が飛んできた。
自然にスマイルになっていた。
ベースダウンの終盤には、
予想より遅い通過に気をもんでいた同じ自治会の方々がいた。
私の姿を見るなり、安堵したのが分かった。
その表情に、走り抜けながら、癒やされている私がいた。
そして、ゴールまで後200メートルのコース脇、
「スマイル ジョグ ダテ」の真っ黄色のTシャツ姿10数人が、
私に声をそろえてエールを送ってくれた。
「すごく、うれしい!」
思わず私も声を張り上げた。
ついゴールまで全力走になってしまった。
新聞記事と沿道の応援。
今年の『伊達ハーフマラソン』は、
地元開催ならではのよさを、初めて感じた大会になった。
(2)
あれは、2月末のことだ。風の強い日だった。
外でのジョギングを断念した。
代わりにと、トレーニング室へ出かけた。
人が多い早い時間帯を避け、お昼時をねらった。
案の定、ランニングマシンの利用者も少なく、
私ともう一方だけだ。
予定の速さと時間で走り切り、十分に汗を流した。
小さな達成感があった。
その時、新顔の男性インストラクターが寄ってきた。
「いい走りですよ。」
突然の言葉に、私は汗をふきふき若干戸惑った。
「ずっと陸上をやってたので、走り方は分かるんです。
いいフォームですね。」
すっかり明るい顔に変わった。
「若い頃から、走っていたんですか?」
「いいえ、5年程前から…、初心者です。」
「じゃ、小さい頃、足速かったんじゃないですか。」
「まあ、いちおう・・。」
「しっかりと地面に力が伝わる走り方になっています。
なかなかです。」
この年齢になって、こんなにも真っ直ぐな誉め言葉は久しぶりだった。
素直に嬉しかった。
帰宅するとすぐに、家内に胸張って教えた。
翌日からは、ランニングマシンでの走り方をイメージして走った。
ますます走ることが楽しくなった。
ところが、それから2週間後、
10数年ぶりにインフルエンザで寝込んだ。
体調の戻らない日が続いた。
久しぶりに年齢を感じ、弱気にもなった。
ようやく10日後に、ジョギングを再開できた。
そこから、異変が始まった。
それまでと変わらない距離を走っても、疲れ方がひどかった。
走る速度も、比べものにならないくらい遅かった。
ピッチが上がらないのだ。
だからと、2、3日休んで、
それからまた走っても同じ結果だった。
きっとインフルで体調が回復していないからと、
自分を納得させる日をくり返した。
しかし、いつまでも変わらないまま、
伊達ハーフマラソンまで、残り1週間の土曜日がきた。
雨模様だったので、久しぶりに総合体育館の2階にある、
1周200mの周回コースで走ることにした。
25周で5キロ、50周で10キロになる。
家内と一緒に5キロを走った後、
私一人でもう5キロと走り始めた。
すると、このコースでよく見かける同世代の方が、
私の後を走り出した。
3周程してから、今度は並走した。
そして、走りながら、3つの注意が飛んできた。
① 腿が上がりすぎ、足音をたてず、ふぁっと足をつく!
② 前かがみになりすぎ、腰を高くし、胸を張る!
③ 腕のふりがバラバラ、右手と同じように左手をふり、左右バランスよく!
ビックリした。一度も話したことのない方だ。
その方からの、前触れさえない指摘だ。
しかも、2月に「フォームがいい!」と、
あんなに誉められていたのに・・・である。
ためらいはあったが、後ろから私の走りをチェックし、
その上並走までしての、自信満々のアドバイスなのである。
無視できなかった。
私は、3つの指摘を気にかけながら走った。
不思議なことがおきた。
走りが軽くなった。
呼吸も窮屈ではなくなった。
それまでよりスイスイと足が前に出た。
走り終えると疲労感が違っていた。
いっぱいお礼を言った。
翌日から、アドバイスを反すうしながら走った。
明らかに違った。
大会の3日前、もう一度総合体育館に行ってみた。
運よく、その方がいた。
私が走り出すと、すぐに後ろを走ってくれた。
「だいぶ、よくなった。」と何度も言って頂いた。
しかし、走り続けると、足音も大きくなった。
腰も落ちた。腕ふりもバランスが悪くなった。
すぐ後ろから注意が飛んだ。
まだまだフォームが安定していないことが分かった。
きっと、あの時、身に余る褒め言葉をもらい、
慢心したのだろう。
慢心は、過去にも似たような失敗があった。
私の欠点である。
それが原因で、本来の走り方を崩したのだろう。
それを、突然のコーチ出現で、指摘された。
好運だった。
だが、その修正は十分ではなかった。
不安は的中した。
大会当日、10キロを過ぎた辺りから悪い走り方になった。
疲れが増すにつれ、それを直せないまま走った。
イライラしながらゴールに向かった。
当然、目標タイムには届かず、
疲労感いっぱいのゴールだった。
次は、5月の洞爺湖のフルマラソンだ。
それまでに、正しいフォームを固めよう。
課題が明確になった。
だから、やる気になっている。
エゾエンゴサク ≪だて歴史の杜・野草園≫
昨年に引き続き、ハーフの部に挑戦した。
その大会にまつわるエピソードを2つ記す。
(1)
4月11日、69歳の誕生日を迎えた。
60代最後の1年である。
力む程のことではないが、特別な1年と思えば、
それなりの年になるような気がする。
とにかく、何か新しいことができれば、
それはそれで嬉しい。
さて、同じ日である。
北海道新聞室蘭胆振版に、
『「30年」市民の力で定着 伊達ハーフマラソン』の表題で、
半ページの特集があった。
そのトップに、『地元ランナー』として以下の文面と、
『本番と同じコースで練習する
「スマイル ジョグ ダテ」のメンバー』として、
私を含め5人のランニング姿の写真が載った。
* * *
例年、道内外から多数のマラソン愛好者が集う
春一番伊達ハーフマラソン。
伊達市のランナーも全体の1割弱を占め、
グループをつくるなどして走りを楽しんでいる。
30年目の大会を控えた地元ランナーたちの横顔を紹介する。
愛好団体「スマイル ジョグ ダテ」は、
市温水プール・トレーニング室を運営する道南スコーレが
呼びかけ3年前に結成した。
現在、20人のメンバーがおり、
当日は応援を含め全員が参加する。
メンバーで元小学校校長の塚原渉さん(69)は、
千葉市から移住した翌年の2013年に5キロに初出場。
その後、順調に距離を伸ばし、今回は2度目のハーフに挑む。
マラソンは伊達に来て始めたといい、
「身近な場所で大会をやっているのがいい」と語る。
≪後略≫
* * *
珍しく朝から電話が鳴った。メールも届いた。
「新聞、読んだよ。」
「ビックリした。」
地元の方々からの温かい声だった。
実は、仲間に加えてもらっている「スマイル ジョグ ダテ」は、
3月中旬から3回練習を計画していた。
その2回目の時、新聞記者さんが取材に来ていた。
たまたまそこに居合わせたメンバーで、
ハーフに挑戦するのは私だけだった。
それで取材の求めに応じた。
記者さんに問われるまま、気軽に答えた。
ところが、この記事に、思いのほか反響があった。
中には、「校長先生だったんですか。」と、
上から下までまじまじと見る方まで現れた。
伊達に移り住んで5年。そろそろ前職を知られてもいい。
「そうなんです。これからもよろしく。」と、
頭を下げた。
この記事の反響に限ったことではないが、
地元には、随分と多くの顔見知りができた。
だから、今年のハーフマラソン大会は、
昨年まで皆無だった沿道からの応援に、何度も励まされた。
給水所のボランティアさんに、2人も知り合いがいた。
水分補給と共に、その顔を見ただけで、新しい力が湧いた。
家内のコーラス仲間の方からも声が飛んできた。
自然にスマイルになっていた。
ベースダウンの終盤には、
予想より遅い通過に気をもんでいた同じ自治会の方々がいた。
私の姿を見るなり、安堵したのが分かった。
その表情に、走り抜けながら、癒やされている私がいた。
そして、ゴールまで後200メートルのコース脇、
「スマイル ジョグ ダテ」の真っ黄色のTシャツ姿10数人が、
私に声をそろえてエールを送ってくれた。
「すごく、うれしい!」
思わず私も声を張り上げた。
ついゴールまで全力走になってしまった。
新聞記事と沿道の応援。
今年の『伊達ハーフマラソン』は、
地元開催ならではのよさを、初めて感じた大会になった。
(2)
あれは、2月末のことだ。風の強い日だった。
外でのジョギングを断念した。
代わりにと、トレーニング室へ出かけた。
人が多い早い時間帯を避け、お昼時をねらった。
案の定、ランニングマシンの利用者も少なく、
私ともう一方だけだ。
予定の速さと時間で走り切り、十分に汗を流した。
小さな達成感があった。
その時、新顔の男性インストラクターが寄ってきた。
「いい走りですよ。」
突然の言葉に、私は汗をふきふき若干戸惑った。
「ずっと陸上をやってたので、走り方は分かるんです。
いいフォームですね。」
すっかり明るい顔に変わった。
「若い頃から、走っていたんですか?」
「いいえ、5年程前から…、初心者です。」
「じゃ、小さい頃、足速かったんじゃないですか。」
「まあ、いちおう・・。」
「しっかりと地面に力が伝わる走り方になっています。
なかなかです。」
この年齢になって、こんなにも真っ直ぐな誉め言葉は久しぶりだった。
素直に嬉しかった。
帰宅するとすぐに、家内に胸張って教えた。
翌日からは、ランニングマシンでの走り方をイメージして走った。
ますます走ることが楽しくなった。
ところが、それから2週間後、
10数年ぶりにインフルエンザで寝込んだ。
体調の戻らない日が続いた。
久しぶりに年齢を感じ、弱気にもなった。
ようやく10日後に、ジョギングを再開できた。
そこから、異変が始まった。
それまでと変わらない距離を走っても、疲れ方がひどかった。
走る速度も、比べものにならないくらい遅かった。
ピッチが上がらないのだ。
だからと、2、3日休んで、
それからまた走っても同じ結果だった。
きっとインフルで体調が回復していないからと、
自分を納得させる日をくり返した。
しかし、いつまでも変わらないまま、
伊達ハーフマラソンまで、残り1週間の土曜日がきた。
雨模様だったので、久しぶりに総合体育館の2階にある、
1周200mの周回コースで走ることにした。
25周で5キロ、50周で10キロになる。
家内と一緒に5キロを走った後、
私一人でもう5キロと走り始めた。
すると、このコースでよく見かける同世代の方が、
私の後を走り出した。
3周程してから、今度は並走した。
そして、走りながら、3つの注意が飛んできた。
① 腿が上がりすぎ、足音をたてず、ふぁっと足をつく!
② 前かがみになりすぎ、腰を高くし、胸を張る!
③ 腕のふりがバラバラ、右手と同じように左手をふり、左右バランスよく!
ビックリした。一度も話したことのない方だ。
その方からの、前触れさえない指摘だ。
しかも、2月に「フォームがいい!」と、
あんなに誉められていたのに・・・である。
ためらいはあったが、後ろから私の走りをチェックし、
その上並走までしての、自信満々のアドバイスなのである。
無視できなかった。
私は、3つの指摘を気にかけながら走った。
不思議なことがおきた。
走りが軽くなった。
呼吸も窮屈ではなくなった。
それまでよりスイスイと足が前に出た。
走り終えると疲労感が違っていた。
いっぱいお礼を言った。
翌日から、アドバイスを反すうしながら走った。
明らかに違った。
大会の3日前、もう一度総合体育館に行ってみた。
運よく、その方がいた。
私が走り出すと、すぐに後ろを走ってくれた。
「だいぶ、よくなった。」と何度も言って頂いた。
しかし、走り続けると、足音も大きくなった。
腰も落ちた。腕ふりもバランスが悪くなった。
すぐ後ろから注意が飛んだ。
まだまだフォームが安定していないことが分かった。
きっと、あの時、身に余る褒め言葉をもらい、
慢心したのだろう。
慢心は、過去にも似たような失敗があった。
私の欠点である。
それが原因で、本来の走り方を崩したのだろう。
それを、突然のコーチ出現で、指摘された。
好運だった。
だが、その修正は十分ではなかった。
不安は的中した。
大会当日、10キロを過ぎた辺りから悪い走り方になった。
疲れが増すにつれ、それを直せないまま走った。
イライラしながらゴールに向かった。
当然、目標タイムには届かず、
疲労感いっぱいのゴールだった。
次は、5月の洞爺湖のフルマラソンだ。
それまでに、正しいフォームを固めよう。
課題が明確になった。
だから、やる気になっている。
エゾエンゴサク ≪だて歴史の杜・野草園≫
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