平成30年(2018年)の新年を迎えた。
元日、伊達は1日雨が降り続いた。
すっかり雪が消えてしまった。
春と間違って、庭の宿根草が芽を出したりしないか、
ふと心配したりしている。
さて、昨年の年の瀬、
私が愛読する朝日新聞の2つのコラムに、
連日、心が揺れた。
『折々のことば』の鷲田清一さんも、
『天声人語』の執筆者も、
この1年の総括として、想いを記したのだろう。
そんな受け止め方と同時に、2つのことを心にきざんだ。
その1
まず、27日『折々のことば』である。
中野翠さんは『この世は落語』に記した。
『「ためになる」とか「役に立つ」以外のものは
存在しちゃいけないような風潮がある…どうにも不快なんです』。
次にコラムの解説が続く。
『落語のいいところは、…「存在を楽しく許している」ところ。
ものごとには表と裏、底と天井、さらには抜け穴すらあって…、
損得より大事な物差しがあることを教えてくれる』
そして、28日『天声人語』である。
まず初めに、福沢諭吉が、
子ども達に渡した桃太郎の教訓が紹介されている。
『英雄のはずの桃太郎が、
もしかしたら強盗殺人犯かもしれない』と言うのだ。
そのような事例等通して、コラムはこう結ぶ。
『相手の側に立ってみれば、見える風景ががらりと変わる。
ものごとの複雑さも分かる。
…自分にとって正義でも、
別の人からすれば理不尽な振るまいかもしれない。
忘れてはいけない視点であろう。
身近な人との関係でも、歴史や国際関係を考えるときも。』
さらに、29日『折々のことば』が続く。
お笑いコンビ・カラテカの矢部太郎が、
年老いた大家さんと手をつないで、散歩に出た。
その時、『年だからもう転べないのです
矢部さんはいいわね まだまだ何度でも転べて』
しかし、コラムは力説する。
『やり直しできるのは若者の特権。
なのに、一度躓いて無能との烙印を押されればそこで終わり。
やり直しを許してくれない社会はむごい。』
※『「ためになる」とか「役に立つ」以外のものは
存在しちゃいけない』。
『別の人からすれば理不尽な振るまい』。
そして『やり直しをゆるしてくれない』。
確かにそんな風潮が蔓延している現代と言える。
だから、『損得より大事な物差し』が重要なのだと思う。
おそらくその物差しは、『相手の側に立ってみ』ることができる、
『何度でも転べて…やり直しができる』ものだと思う。
格差が広がり、生きにくさばかりが目につく。
なぜか、胸が詰まることをよく目の当たりにする。
だからこそ、誰もが、もっと「豊かに」、もっと「やわらかく」、
もっと「ゆったり」と生きることを大切にしたい。
その2
1つ目は、29日『天声人語』である。
12月11日に起きた、
新幹線のぞみの台車が破断寸前だった事故を取り上げ、
『無責任体制の同乗はご免こうむりたい。』とコラムは結んでいる。
さて冒頭、
『衆人環視のなかで、誰からも止められないまま犯罪が行われる。
…そんな事態が時折起きるのを説明する概念』として、
「責任感の拡散」という言葉を紹介している。
『どうも人間は、「自分がしなくても誰かが手を貸すだろう」と
考えがちな生き物らしい。
人が大勢いるのに誰も何もしないのではなく、
人が大勢いるから何もしない、という見方である』
と、説明している
2つ目は、30日『天声人語』である。
冒頭に、故・宮沢喜一さんが、
部下の役人に語った言葉を紹介し、こう述べている。
『「君たち、何があっても、戦争だけはしてはいけない」。
… 20年ほど前に耳にした時には、ぴんと来なかった。
平和を当たり前だと思っていたからだろう。
いまは違う。』
コラムは続く。
『この1年、戦争の2文字がちらつく…。
北朝鮮が核とミサイルの開発を進め、挑発を続けている…。
不幸なのは「小さなロケットマン」などど挑発をし返すような人物が、
米国大統領だということだ。』
そして、最後にこう強調する。
『不可解なのは、万が一の時、
…被害想定すら政府が示さないことだ。
どこかひとごとのような奇妙な危機意識が広がっている。
間違っても核戦争が起きることなく、来年の年末を迎えたい。
切にそう願う。』
※ 誰しも、読後の重たさは半端でないだろう。
私も同じだ。
第一線のジャーナリストが、『切にそう願う』と書くまで、
危機は迫っている。
昨年9月15日朝7時過ぎ、Jアラートが鳴った。
ジョギング中のスマホも鳴った。
逃げるところも、隠れるところもない。
そのまま走り続けた。
でも、「まるで戦時中の空襲警報みたい・・!」
不快と不安を強くした。
政府からは、北朝鮮への抗議声明はあったものの、
国民をこんな国際情勢下に置いていることの政治責任や、
謝罪の弁など一切ない。
『天声人語』にあった
『自分がしなくても誰かが』と言った『責任感の拡散』、
『どこかひとごとのような奇妙な危機意識』の言葉が、
胸に刺さる。
せめて、『自分がしなくても』や『ひとごと』にするのは、
止めにしたい。心にきざんだ。
* * * * * *
◎引用したコラムを添付する。
① 27日『折々のことば』
いまは「ためになる」とか「役に立つ」以外のものは
存在しちゃいけないような風潮があるけれど、
私はそれがどうにも不快なんです
中野 翠
落語のいいところは、損得と関係なしに
「存在を楽しく許している」ところ。
ものごとには表と裏、底と天井、
さらには抜け穴すらあって、
それを覗かせながら笑いに転化させる落語は、
心の機微の分かるオトナになるための格好の教材。
損得より大事な物差しがあることを教えてくれると
コラムニストは言う。 『この世は落語』から。
② 28日『天声人語』
福沢諭吉は毎朝の食事の後、
幼い子どもたちを書斎に呼び、教訓を書いて渡していた。
ある日の教えは、桃太郎についてだった。
「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、
たからをとりにゆくといへり、けしかならぬことならうや」
▼鬼ヶ島にある宝は、鬼の所有物である。
それを理由もなく取り上げるとすれば、
むしろ桃太郎は盗人ともいうべき悪者であると福沢は書いた。
子どもたちはどんな顔をしただろう。
英雄のはずの桃太郎が、もしかしたら強盗殺人犯かもしれないのだ
▼まるで福沢の発想を前に進めたかのようである。
桃太郎の故郷を任ずる岡山県で、
鬼の側から考える授業があると
先日の本紙夕刊(東京本社版など)が伝えている
▼退治された鬼に、もしも子どもがいたらどうだろう。
「鬼太郎」というキャラクターを作り、中学生に投げかける。
それでも桃太郎は退治をしたのかどうか、議論が発展する。
そもそも鬼退治を思い立ったのは
「鬼を悪者と決めつけてしまったから」
という意見も出たという
▼相手の側に立ってみれば、見える風景ががらりと変わる。
ものごとの複雑さも分かる。
今年引退した最年長棋士、加藤一二三さんも、
それを肝に銘じていたのかもしれない。
対局中に相手の側に回り込み、盤面を眺めることがよくあった
▼自分にとって正義でも、
別の人からすれば理不尽な振るまいかもしれない。
忘れてはいけない視点であろう。
身近な人との関係でも、そして歴史や国際関係を考えるときも。
③ 29日『折々のことば』
年だからもう転べないのです 矢部さんはいいわね
まだまだ何度でも転べて
矢部太郎の大家さん
お笑いコンビ・カラテカのボケ役は、
おっとり上品な物腰の大家さんと仲良し。
手をつないで散歩に出た時、
年老いた彼女が覚束ない足どりを詫びてこう言った。
年がいくと悔いがあってももうやり直せない。
やり直しできるのは若者の特権。
なのに、一度躓いて無能との烙印を押されればそこで終わり。
やり直しを許してくれない社会はむごい。
矢部の漫画『大家さんと僕』から。
④ 29日『天声人語』
社会心理学の本を読んでいて
「責任感の拡散」という言葉を目にした。
衆人環視のなかで、誰からも止められないまま犯罪が行われる。
通報すらなされずに。
そんな事態が時折起きるのを説明する概念である
▼どうも人間は、
「自分がしなくても誰かが手を貸すだろう」
と考えがちな生き物らしい。
人が大勢いるのに誰も何もしないのではなく、
人が大勢いるから何もしない、という見方である
(岡本浩一著『社会心理学ショート・ショート』)
▼そんな心理が働いたのかもしれない。
今月11日、新幹線のぞみの台車が破断寸前にまで陥った。
車内にいた乗務員や保守点検担当者ら11人全員が、
音やにおいなどの異常を感じていたが、
停止の判断に至らなかった
▼東京の司令員ともやり取りしていたが、
お互いに判断を譲り合った。
車内の担当者は、どの駅で停止すべきか
東京が決めてくれると考えた。
東京側は、必要なら車内から
はっきり意思表示があるだろうと思っていた。
連絡の聞き漏らしもあり、そのまま3時間走り続けた
▼野球で言えば、みすみすポテンヒットを許すようなものだ。
大声を出し、迷ったら自分が前に出て球を捕る。
そんな当たり前のことができなかった。
もしも脱線していたらと思うと背筋が寒くなる
▼国鉄時代には下駄代わりの気軽な交通手段として
「下駄電」と呼ばれる電車があった。
旅行、出張、そして帰省の足として、
新幹線も今や下駄電なみの身近さだろう。
無責任体制の同乗はご免こうむりたい。
⑤ 30日『天声人語』
「君たち、何があっても、戦争だけはしてはいけない」。
多くの大臣を経験した故・宮沢喜一さんが折にふれ、
部下の役員たちに語っていた言葉である。
20年ほど前に耳にした時には、ぴんと来なかった。
平和を当たり前だと思っていたからだろう。
いまは違う。
▼起きるはずがないと思っても、戦争は起きる。
宮沢さんは、そう言いたかったのだろう。
言葉の重みを感じるのは、
この1年、戦争の2文字がちらつくようになったからだ。
北朝鮮が核とミサイルの開発を進め、挑発を続けている
▼現在の危機は、長い年月の結果である。
不幸なのは「小さなロケットマン」などと
挑発をし返すような人物が、
米国大統領だということだ。
外交を担う国務省幹部の任命も遅れ、
機能の低下が危ぶまれている
▼先月の紙面で、
元米国国防長官ウィリアム・ペリーさんが
もどかしそうに語った。
「私が驚くのは、
実に多くの人が戦争がもたらす甚大な結果に
目を向けていないことです」。
もしも核戦争になれば、韓国は朝鮮戦争の10倍、
日本も第2次大戦並みの犠牲者が出るかもしれない。
だからもっと真剣に外交を、との訴えである
▼「国難」なる言葉で北朝鮮を前面に出した選挙があった。
不可解なのは、万が一の時、
人間の肉体がどれだけ破壊される危険があるのか、
被害想定すら政府が示さないことだ。
どこかひとごとのような奇妙な危機意識が広がっている
▼間違っても核戦争が起きることなく、来年の年末を迎えたい。
切にそう願う。
三が日もフル操業 製糖工場
元日、伊達は1日雨が降り続いた。
すっかり雪が消えてしまった。
春と間違って、庭の宿根草が芽を出したりしないか、
ふと心配したりしている。
さて、昨年の年の瀬、
私が愛読する朝日新聞の2つのコラムに、
連日、心が揺れた。
『折々のことば』の鷲田清一さんも、
『天声人語』の執筆者も、
この1年の総括として、想いを記したのだろう。
そんな受け止め方と同時に、2つのことを心にきざんだ。
その1
まず、27日『折々のことば』である。
中野翠さんは『この世は落語』に記した。
『「ためになる」とか「役に立つ」以外のものは
存在しちゃいけないような風潮がある…どうにも不快なんです』。
次にコラムの解説が続く。
『落語のいいところは、…「存在を楽しく許している」ところ。
ものごとには表と裏、底と天井、さらには抜け穴すらあって…、
損得より大事な物差しがあることを教えてくれる』
そして、28日『天声人語』である。
まず初めに、福沢諭吉が、
子ども達に渡した桃太郎の教訓が紹介されている。
『英雄のはずの桃太郎が、
もしかしたら強盗殺人犯かもしれない』と言うのだ。
そのような事例等通して、コラムはこう結ぶ。
『相手の側に立ってみれば、見える風景ががらりと変わる。
ものごとの複雑さも分かる。
…自分にとって正義でも、
別の人からすれば理不尽な振るまいかもしれない。
忘れてはいけない視点であろう。
身近な人との関係でも、歴史や国際関係を考えるときも。』
さらに、29日『折々のことば』が続く。
お笑いコンビ・カラテカの矢部太郎が、
年老いた大家さんと手をつないで、散歩に出た。
その時、『年だからもう転べないのです
矢部さんはいいわね まだまだ何度でも転べて』
しかし、コラムは力説する。
『やり直しできるのは若者の特権。
なのに、一度躓いて無能との烙印を押されればそこで終わり。
やり直しを許してくれない社会はむごい。』
※『「ためになる」とか「役に立つ」以外のものは
存在しちゃいけない』。
『別の人からすれば理不尽な振るまい』。
そして『やり直しをゆるしてくれない』。
確かにそんな風潮が蔓延している現代と言える。
だから、『損得より大事な物差し』が重要なのだと思う。
おそらくその物差しは、『相手の側に立ってみ』ることができる、
『何度でも転べて…やり直しができる』ものだと思う。
格差が広がり、生きにくさばかりが目につく。
なぜか、胸が詰まることをよく目の当たりにする。
だからこそ、誰もが、もっと「豊かに」、もっと「やわらかく」、
もっと「ゆったり」と生きることを大切にしたい。
その2
1つ目は、29日『天声人語』である。
12月11日に起きた、
新幹線のぞみの台車が破断寸前だった事故を取り上げ、
『無責任体制の同乗はご免こうむりたい。』とコラムは結んでいる。
さて冒頭、
『衆人環視のなかで、誰からも止められないまま犯罪が行われる。
…そんな事態が時折起きるのを説明する概念』として、
「責任感の拡散」という言葉を紹介している。
『どうも人間は、「自分がしなくても誰かが手を貸すだろう」と
考えがちな生き物らしい。
人が大勢いるのに誰も何もしないのではなく、
人が大勢いるから何もしない、という見方である』
と、説明している
2つ目は、30日『天声人語』である。
冒頭に、故・宮沢喜一さんが、
部下の役人に語った言葉を紹介し、こう述べている。
『「君たち、何があっても、戦争だけはしてはいけない」。
… 20年ほど前に耳にした時には、ぴんと来なかった。
平和を当たり前だと思っていたからだろう。
いまは違う。』
コラムは続く。
『この1年、戦争の2文字がちらつく…。
北朝鮮が核とミサイルの開発を進め、挑発を続けている…。
不幸なのは「小さなロケットマン」などど挑発をし返すような人物が、
米国大統領だということだ。』
そして、最後にこう強調する。
『不可解なのは、万が一の時、
…被害想定すら政府が示さないことだ。
どこかひとごとのような奇妙な危機意識が広がっている。
間違っても核戦争が起きることなく、来年の年末を迎えたい。
切にそう願う。』
※ 誰しも、読後の重たさは半端でないだろう。
私も同じだ。
第一線のジャーナリストが、『切にそう願う』と書くまで、
危機は迫っている。
昨年9月15日朝7時過ぎ、Jアラートが鳴った。
ジョギング中のスマホも鳴った。
逃げるところも、隠れるところもない。
そのまま走り続けた。
でも、「まるで戦時中の空襲警報みたい・・!」
不快と不安を強くした。
政府からは、北朝鮮への抗議声明はあったものの、
国民をこんな国際情勢下に置いていることの政治責任や、
謝罪の弁など一切ない。
『天声人語』にあった
『自分がしなくても誰かが』と言った『責任感の拡散』、
『どこかひとごとのような奇妙な危機意識』の言葉が、
胸に刺さる。
せめて、『自分がしなくても』や『ひとごと』にするのは、
止めにしたい。心にきざんだ。
* * * * * *
◎引用したコラムを添付する。
① 27日『折々のことば』
いまは「ためになる」とか「役に立つ」以外のものは
存在しちゃいけないような風潮があるけれど、
私はそれがどうにも不快なんです
中野 翠
落語のいいところは、損得と関係なしに
「存在を楽しく許している」ところ。
ものごとには表と裏、底と天井、
さらには抜け穴すらあって、
それを覗かせながら笑いに転化させる落語は、
心の機微の分かるオトナになるための格好の教材。
損得より大事な物差しがあることを教えてくれると
コラムニストは言う。 『この世は落語』から。
② 28日『天声人語』
福沢諭吉は毎朝の食事の後、
幼い子どもたちを書斎に呼び、教訓を書いて渡していた。
ある日の教えは、桃太郎についてだった。
「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、
たからをとりにゆくといへり、けしかならぬことならうや」
▼鬼ヶ島にある宝は、鬼の所有物である。
それを理由もなく取り上げるとすれば、
むしろ桃太郎は盗人ともいうべき悪者であると福沢は書いた。
子どもたちはどんな顔をしただろう。
英雄のはずの桃太郎が、もしかしたら強盗殺人犯かもしれないのだ
▼まるで福沢の発想を前に進めたかのようである。
桃太郎の故郷を任ずる岡山県で、
鬼の側から考える授業があると
先日の本紙夕刊(東京本社版など)が伝えている
▼退治された鬼に、もしも子どもがいたらどうだろう。
「鬼太郎」というキャラクターを作り、中学生に投げかける。
それでも桃太郎は退治をしたのかどうか、議論が発展する。
そもそも鬼退治を思い立ったのは
「鬼を悪者と決めつけてしまったから」
という意見も出たという
▼相手の側に立ってみれば、見える風景ががらりと変わる。
ものごとの複雑さも分かる。
今年引退した最年長棋士、加藤一二三さんも、
それを肝に銘じていたのかもしれない。
対局中に相手の側に回り込み、盤面を眺めることがよくあった
▼自分にとって正義でも、
別の人からすれば理不尽な振るまいかもしれない。
忘れてはいけない視点であろう。
身近な人との関係でも、そして歴史や国際関係を考えるときも。
③ 29日『折々のことば』
年だからもう転べないのです 矢部さんはいいわね
まだまだ何度でも転べて
矢部太郎の大家さん
お笑いコンビ・カラテカのボケ役は、
おっとり上品な物腰の大家さんと仲良し。
手をつないで散歩に出た時、
年老いた彼女が覚束ない足どりを詫びてこう言った。
年がいくと悔いがあってももうやり直せない。
やり直しできるのは若者の特権。
なのに、一度躓いて無能との烙印を押されればそこで終わり。
やり直しを許してくれない社会はむごい。
矢部の漫画『大家さんと僕』から。
④ 29日『天声人語』
社会心理学の本を読んでいて
「責任感の拡散」という言葉を目にした。
衆人環視のなかで、誰からも止められないまま犯罪が行われる。
通報すらなされずに。
そんな事態が時折起きるのを説明する概念である
▼どうも人間は、
「自分がしなくても誰かが手を貸すだろう」
と考えがちな生き物らしい。
人が大勢いるのに誰も何もしないのではなく、
人が大勢いるから何もしない、という見方である
(岡本浩一著『社会心理学ショート・ショート』)
▼そんな心理が働いたのかもしれない。
今月11日、新幹線のぞみの台車が破断寸前にまで陥った。
車内にいた乗務員や保守点検担当者ら11人全員が、
音やにおいなどの異常を感じていたが、
停止の判断に至らなかった
▼東京の司令員ともやり取りしていたが、
お互いに判断を譲り合った。
車内の担当者は、どの駅で停止すべきか
東京が決めてくれると考えた。
東京側は、必要なら車内から
はっきり意思表示があるだろうと思っていた。
連絡の聞き漏らしもあり、そのまま3時間走り続けた
▼野球で言えば、みすみすポテンヒットを許すようなものだ。
大声を出し、迷ったら自分が前に出て球を捕る。
そんな当たり前のことができなかった。
もしも脱線していたらと思うと背筋が寒くなる
▼国鉄時代には下駄代わりの気軽な交通手段として
「下駄電」と呼ばれる電車があった。
旅行、出張、そして帰省の足として、
新幹線も今や下駄電なみの身近さだろう。
無責任体制の同乗はご免こうむりたい。
⑤ 30日『天声人語』
「君たち、何があっても、戦争だけはしてはいけない」。
多くの大臣を経験した故・宮沢喜一さんが折にふれ、
部下の役員たちに語っていた言葉である。
20年ほど前に耳にした時には、ぴんと来なかった。
平和を当たり前だと思っていたからだろう。
いまは違う。
▼起きるはずがないと思っても、戦争は起きる。
宮沢さんは、そう言いたかったのだろう。
言葉の重みを感じるのは、
この1年、戦争の2文字がちらつくようになったからだ。
北朝鮮が核とミサイルの開発を進め、挑発を続けている
▼現在の危機は、長い年月の結果である。
不幸なのは「小さなロケットマン」などと
挑発をし返すような人物が、
米国大統領だということだ。
外交を担う国務省幹部の任命も遅れ、
機能の低下が危ぶまれている
▼先月の紙面で、
元米国国防長官ウィリアム・ペリーさんが
もどかしそうに語った。
「私が驚くのは、
実に多くの人が戦争がもたらす甚大な結果に
目を向けていないことです」。
もしも核戦争になれば、韓国は朝鮮戦争の10倍、
日本も第2次大戦並みの犠牲者が出るかもしれない。
だからもっと真剣に外交を、との訴えである
▼「国難」なる言葉で北朝鮮を前面に出した選挙があった。
不可解なのは、万が一の時、
人間の肉体がどれだけ破壊される危険があるのか、
被害想定すら政府が示さないことだ。
どこかひとごとのような奇妙な危機意識が広がっている
▼間違っても核戦争が起きることなく、来年の年末を迎えたい。
切にそう願う。
三が日もフル操業 製糖工場
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