ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

昔むかし ほろ苦い

2019-02-02 16:07:17 | あの頃
 冬真っ盛りの今だから、「冬を満喫しよう!」。
どうもそんな気にはなれない。
 寒さには、やはり勝てない!

 せめてこんな時季だから、春を待ち望み、待ち望み、
昔むかしのほろ苦い想いを、振り返るのもいいかも・・・。


    初 恋
        島崎 藤村

 まだあげ初めし前髪の
 林檎のもとに見えしとき
 前にさしたる花櫛の
 花ある君と思ひけり

  やさしき白き手をのべて
  林檎をわれにあたへしは
  薄紅の秋の実に
  人こひ初めしはじめなり

 わがこころなきためいきの
 その髪の毛にかかるとき
 たのしき恋の盃を
 君が情に酌みしかな

  林檎畑の樹の下に
  おのづからなる細道は
  誰が踏みそめしかたみぞと
  問いたまふこそこひしけれ


 詩の内容は、ほどんど理解できなかった。
なのに、暗唱できるまでになったのは、
中学1,2年の頃だったと思う。

 国語の先生が授業で取り上げた。
黒板に書いてくれた詩を目で追いながら、
こんなフレーズに、ひとり顔を赤らめた。

『まだあげ初めし前髪の/林檎のもとに見えしとき』
『やさしき白き手をのべて/林檎をわれにあたへしは』
『誰が踏みそめしかたみぞと/問いたまふこそこひしけれ』

 未知の世界だが、一気に憧れた。
そんな恋を、いつかはしてみたい。
 だから、せめてこの詩だけは忘れないようにしよう。
すぐにノートに書き写した。

 あの年齢だ。
覚えるまでに、そんなに時間を要しなかった。

 登下校など1人のときにぶつぶつと、
「まだあげ初めし・・・」とつぶやきながら歩いた。

 そんなある日の道々、なんの前ぶれもなかった。
「僕の初恋は、Eチャンだ!!」
 はっと気づいて、胸が熱くなった。

 思えば、ずっとEチャンを気にしていた。
でも、それが恋と言うものとは・・・。
 あの『初恋』に登場する「君」のイメージが、
少しずつEチャンと重なっていった。

 Eチャン以外に、「君」をイメージできる人なんていなかった。
「初恋に、間違いない」。
 そう確信した。

 Eチャンは、4歳の頃から知っている。
私が通っていた保育所に入ってきた。
 前髪をきれいに切りそろえたおかっぱ頭。
それだけが、記憶にある。
 背格好が同じくらいだったからか、並ぶ時はよく隣になった。

 小学校の入学式の日もそうだ。
受付の後、教室に行き名札の貼ってある席に座った。
 まだ隣に座っている子がいなかった。
その席の名札を読んだ。
 Eチャンだった。嬉しかった。

 しばらくしてEチャンが教室に入ってきた。
私は、その時の喜び、そのままに声を張り上げた。
 「Eチャン、ここ。僕のとなり。」
Eチャンは、明るい顔で隣の椅子に座った。

 その日からだと思う。
いつもEチャンを気にした。
 3年生でクラス替えがあった。違う学級になった。
でも、5、6年生でまた同じ組になった。

 席替えやグループ学習の抽選では、よく一緒になった。
それだけで、嬉しかった。満足だった。

 中学1年では、違うクラスだったが、
2年3年は、また同じ教室で過ごした。
 3年生の時には、
Eチャンを特別な想いで見るようになっていた。

 幼い頃からのEチャンへの視線を、
『初恋』の詩に重ね、勝手に心を熱くしていた。
 まさに初恋の人になった。

 あの頃、男子5人が仲良くなった。
そのメンバーと、Eチャンの女子グループが、
同一行動を取ることが多くなった。

 修学旅行などでも、行動を共にした。
学級でも、何かと一緒に行動していた。
 グルーブの中で、遠慮なく言葉を交わした。
それだけで毎日が楽しかった。

 しかし、卒業後の進路は違った。
男子5人もそれぞれだったが、Eチャンとも別になった。
 私は、普通科の高校へ進んだ。
Eチャンは、看護婦さんを目指し、その養成学校へ行った。

 Eチャンの学校は同じ市内にあったが、全寮制だった。
中学卒業後、Eチャンは自宅を離れ、その寮に入った。
 自宅に戻れるのは、月に2回程だった。

 学校で、毎日顔を合わせ、声をかけ合っていたのに、
中学卒業と同時に、会えなくなった。

 ところが、どんな経緯があったのか、思い出せないが、
Eチャンが自宅へ戻る日に、
待ち合わせ場所を決めて、
家の近くまで一緒に帰るようになった。

 私は、その日をワクワクしながら待った。
毎回、Eチャンより早くその場所へ行った。
 そして、緩い下り坂を小走りで近づいてくるEチャンを待った。

 一緒にバスに乗り、互いの学校生活のことを語り合った。
わずか1時間にも満たないで、別れた。
 でも、その時間が楽しかった。

 そんなことが半年以上も続いた頃だったろうか、
次第に会話が弾まなくなった。
 それより何より、
Eチャンがどんどん大人になっていくように感じた。

 「はじめて病室で患者さんの脈をとったんだ。」
「食事のお世話をしてあげたのよ。」
 想像がつかなかった。

 それだけでなかった。
会うごとに、服装がおしゃれになった。
 学生服の私とは、釣り合わなく思えた。
靴のヒールも、いつの間にか少し高くなった。

 高校2年になってからは、生徒会活動に熱が入った。
Eチャンと待ち合わせる回数が次第に減っていった。
 そして、いつしか特別な時だけになり、
やがて逢う約束が先送りのままになった。
 そうして待ち合わせは、立ち消えになった。

 振り返ると、私の初恋はそれで終わった。
あの頃、そのことを思い出し、
悔いたり、後ろ髪を引かれたり、そんなことは全くなかった。

 それより、多感な日々が待っていた。
高校での新鮮な毎日が、私を惹きつけた。
 だから、その後Eチャンと出逢う機会はなくなった。
 
 もの凄い時間が流れた。
50歳を過ぎてからだ。
 突然、K中学校3年4組クラス会の案内が届いた。
懐かしさに誘われ、出席をきめた。

 その日、空路を経由し、中学校近くの会場へ向かった。
30数年ぶりの再会に、緊張しながら受付へ行った。

 名前を言って、会費を出した。
同じ年格好の女性が2人、受け付けをしていた。
 「あら、渉ちゃん、久しぶり。」
会費を受け取りながら、明るい顔が応じてくれた。

 どこか見覚えのある顔だが、思い出せなかった。
「あれ、誰だっけ、分からないなあ。」
 「分からないの・・、教えない!」。
茶化された感じがした。
 「すみません。」
笑顔でそう切りかえしたが、その女性を気にしながら宴席へ座った。

 何人も懐かしい顔があった。
会話が弾んだ。
 やがて、自己紹介と近況報告が始まった。

 斜め前方の離れた席に、受付にいた女性がいた。
立ち上がって、旧姓を名乗って話し出した。
 どんな近況報告だったか、耳に入らなかった。
それは、その女性がEチャンだったと分かったからだ。

 確かに、表情や仕草は、
30数年前のEチャンを思い起こさせてくれた。
 でも、「あれ、誰だっけ・・」はない。
軽率な言葉を、悔いていた。

 とうとうEチャンの所へは、
飲み物をつぎにも、言葉を交わしにも行けず、
会は終わってしまった。
 またまた、そんな結末を悔いた。

 ところが、会場の帰り口に、
幹事の1人として、Eチャンが立っていた。
 見送ってくれる幹事一人一人にお礼を伝えた。

 そして、Eチャンの前に立った。
すっと右手が伸びてきた。
 柔らかな女性の手を想像しながら、握った。

 「これからも看護婦さんで、頑張るからね。」
「そうだね、頑張って。」

 固くて、少しごつごつとした手だった。
その手からは、強くしっかりとしたEチャンが伝わってきた。
 頼もしかった。

 再会した初恋の人が、そんな手をしていた。
それだけで、よかった。嬉しかった。


 遠い春を待ちながら、
とりとめのない話に筆が滑ってしまった。
 今も、窓の外は、雪が強風にのって視界を遮っている。
でも、こんな思い出を綴っているとき、
この部屋は、ほっこりと私を包んでくれる。


 
 

   凍てつく漁港 & 漁船
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 学校の事件簿 <3> | トップ | 『学童保育ルーム』での経験... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

あの頃」カテゴリの最新記事