ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

学校の事件簿 <3>

2019-01-26 21:19:06 | 教育
 ひと冬に1,2度の大雪が降った。
そうは言っても、20センチ弱だ。
 道内の豪雪地帯に比べれば、大ごととは言えない。

 それでも、我が家では雪かきに、
いつもの3倍近い時間を要した。
 玄関から通りまでの通路、駐車場、
そして通りの歩道と車道の一部、
さらに隣接するゴミ置き場の雪を、花壇へ積み上げる。

 積み上げた雪は、冬期間ほどんど解けることはない。 
好天の日に、時々その山を崩し雪融けを促すこともあるが、
山積みの雪は、高くなるばかり。
 これ以上大雪にならないことを願うだけだ。

 そんな冬の一大事の、雪かきだが、
どこの家々でも、欠かすことができない。
 共働きや子育て真っ最中の家庭も、
その忙しさの合間を縫って、取り組む。
 北国ならではだが、
その作業風景に連帯感を覚えるのは、私だけではないだろう。

 さて、雪かきとは全く無関係だが、本題に入りたい。
1年以上も前になる。
 このブログで『学校の事件簿』<1>と<2>として、
20年も前、教頭時代の出来事を4つ程記した。
 今回は、その続編だ。
教頭時代と校長時代から1ずつ、学校にまつわるちょっとした出来事だ。


 ⑤
 教頭職を2つの学校で、計6年間務めた。
批判めいた、迷惑めいた声が時折聞こえたが、
そんな声を無視し、
毎朝、校舎の廊下側窓を全て開けて回った。
 そして、帰りにはその窓が閉じているか確認して歩いた。

 教頭の職務の1つは、学校施設の管理だ。
そのため、校内巡視を欠くことはできない。
 私は、出勤と退勤時の校内点検のついでに、
廊下窓の開閉をしていた。
 それが、その日の学校の始まりと終わりの合図と、
勝手に決めていた。

 その朝は、快晴だった。
窓を開けると、晩秋の心地いい風が廊下に流れてきた。
 3階からは、周辺住宅の屋根が一望できた。
ちょっと立ち止まって、青い空と瓦屋根を見た。

 その時、2階の窓から煙が漏れている家が目に止まった。
学校からはそう遠くない。
 住宅が密集している一角だった。
気になったが、そのまま校内巡視を続け、職員室に戻った。

 すでに校長先生と数人の教員が出勤していた。
遠くからサイレンが聞こえてきた。
 ふと気になり、校長室へ行った。
「先ほど3階の窓から煙の出ている家を見たのですが・・。」

 すかさず校長先生が言った。
「念のために、見に行ってきてください。」
 教頭にとって校長先生の指示は絶対だ。

 見に行くって、何をどう見てくるのか。
もし本当の火事なら、どうしたらいいのか。
 腑に落ちないまま、
廊下の窓から見た家の方向へ、自転車を走らせた。

 路地を抜け、窓から煙が出ている家に着いた。
周りには人の気配がなく、静かだった。
 知らない表札だったが、インターホンを押してみた。
何度押しても反応がない。

 意を決して、玄関扉を開けた。
「きな臭い!」。
 煙の匂いがする。
「すみません。大丈夫ですか。」 
 
 すぐに、2階から女性の声が叫んだ。
「今、火、消してます。」
 玄関脇に階段がある。
そこから、何かを叩きつける物音が聞こえた。
 
 私は動転した。
「エッ、矢っ張り、火事。」
 サイレンが徐々に大きくなっていた。
どうやら今この場にいるのは、私と2階の女性だけのようだ。

 私は、ネクタイにスーツ姿だった。
このまま2階へ上がり、火消しに加わるべきなのだろうか。
 それより、大声を張り上げ、
近くに助けを求めるべきなのだろうか。
 このまま学校に戻り、校長先生に報告すべき・・・。
 
 一瞬、その場でぼう然とした。
でも、次に意を決した。
 2階へ上がろうとした。

 その時だ。
もの凄い勢いで階段を降りてくる足音がした。
 「もうダメです。逃げます。」
女性は、私に体当たりでもするように、
玄関から素足で逃げ出した。

 私も玄関を跳びだし、外へ出た。
もの凄い煙が、2階の窓から出ていた。
 近所の方々も路地に出てきていた。

 すぐに消防車が到着した。
凄い速さで放水を始めた。
 大火にならずに済みそうだった。
ほっとしたが、胸の鼓動はすぐには収まらなかった。

 学校へ急ぐことを忘れ、
自転車を引きながら戻った。
 「もし2階へ駆け上がっていたら、
どうなっていたのだろう。」
 青ざめた顔のまま、校長先生に状況を報告した。


 ⑥
 春先、よく樹の芽時と言うが、この季節は、不審者情報が多い。
学校からは、しばしば保護者宛に注意喚起の印刷物を出す。
 今は、印刷物より一斉メール配信になっているようだ。
そんな情報も、その季節が過ぎると少なくなっていった。
 不思議だった。

 ところが、校長職に就いていたある年、
記憶では秋になってからだった。

 保護者から、不審者情報が相次いだ。
「夕方、塾からの帰り、後ろからついてくる人がいた。」
 「マンションの入り口までついてきて、通り過ぎていった。」
「近づいてきて、何か言った。」
 そんな情報だった。

 そんな知らせを受けるたびに、
子供にも保護者にも注意を促した。
 学級指導と印刷物が頻繁になった。
大きな被害に至らないことを願いながらも、
その内に収まるだろうと期待していた。

 しかし、1ヶ月が過ぎても、不審者の出現が続いた。
電話依頼だけではと思い、
警察まで出向いてパトロール強化をお願いした。

 その後も、たびたび保護者から不安の声が届いた。
加えて、不審者の行動も徐々にエスカレートしているように思えた。
 「マンションの中までついてきた。」
「一緒にエレベーターに乗り込もうとした。」

 大きな事件を予感し、私は自分の無策ぶりに苛立った。
何かしなければと悩んだ。
 突然、思いついた。
「防犯ベルだ。」

 今でこそ、小学生の登下校時に防犯ベルは、
必要アイテムになっている。
 だが、当時はまだ全く普及していなかった。

 私は、防犯ベルの斡旋に乗り出した。
「不審者から子供を守るため、
防犯ベルの携帯を」と、保護者に呼びかけた。
 そのために、学校が希望者への一括購入をすることとした。

 予想以上の反響があった。
約7割の子供が購入した。
 私は、登下校時だけでなく、塾や習い事をはじめ、
あらゆる外出時に携帯するよう呼びかけた。

 数日が過ぎた。
夕暮れが早くなっていた。
 6時を少し回った頃だったろうか。
警察から私に電話がきた。
 「今しがた、不審者を1人、逮捕しました。」

 その日、不審な行動をする者がいたので、
警察が尾行を続けていた。
 一瞬、その姿を見失った時、
マンションの入り口付近から、防犯ベルの音が鳴った。
 
 駆けつけると、不審者が本校児童を、
強引にエレベーターに引き込もうとしているところだった。
 警察は、その場で不審者を取り押さえたと言う。

 その夜のうちに、その児童と保護者が学校へ来てくれた。
その時の様子を話してくれた。
 警察からのと変わりなかった。
大事に至らず、胸をなで下ろした。

 その不審者が、情報のあった不審の全てかどうかはわからない。
しかし、それ以降、そんなことは一切聞こえてこなくなった。

 蛇足だが、その2年後、
区教委より区内の全児童へ防犯ベルが貸与されるようになった。





   この樹木が緑になるのはまだまだ先 

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