▼ T君は、幼なじみの上、
中学3年からは仲良し5人組の1人だった。
30歳を過ぎて間もなく、全くの偶然だが、
同じ団地のしかも隣の棟に、彼と私は住み始めた。
北海道室蘭で18歳まで過ごし、
別々の道を歩んでいた2人が、
遠く千葉市の一角で再び出会ったのだ。
自動車関係の仕事をしていた彼には、
マイカーの購入から点検整備まで、
何かと便宜を図ってもらった。
丁度バブル景気が始まった頃だったろうか。
お客さんが、彼の仕事ぶりを見て、
ヘッドハンティングをした。
そして、起業したばかりのカーリース会社の、
営業マンとして、毎日、都心にある営業所へ通勤していた。
「ワタル、俺、ゴルフを始めたんだ。
最初は、仕事の接待で社命が出て、
クラブを買ったんだ。
やってみると、それが中々面白い。
ワタルもどうだ。一緒にゴルフ・・・」。
久しぶりに、少々酒を酌み交わしながらの近況報告で、
彼はそんなことを言いだした。
話は止まらなかった。
芝生の緑が広がるコースの綺麗なこと、
洒落たクラブハウスのこと、
そして、白球がカップインした時の嬉しさ等々。
中学、高校を通して、文化系だった彼が、
夢中でゴルフを語ることが不思議だった。
最後には、
「とにかく、練習場に行こうよ。
クラブを振ってみようよ!」。
そうくり返し、とうとう誘いに同意することになってしまった。
次の日曜日、彼と2人で国道沿いの、
打ちっ放しのゴルフ練習場へ初めて行った。
1階と2階に、100席余りの練習席があった。
大勢の人がクラブを振っていた。
『ゴルフは金持ちの道楽!』。
そんな先入観があったが、
熱心に練習している人たちの顔ぶれは、
彼や私と大差を感じなかった。
どの人も乾いた打球音で、
遠くへボールを飛ばしていた。
2階席を1つ借りて、2人で使うことにした。
彼は、マイクラブの入ったキャディーバッグを持ってきた。
私は、彼に言われるまま、受付でクラブを3本借りた。
最初は、彼が打つのを見た。
乾いた音と一緒にボールが空へと飛んだ。
やや方向が違うことがあっても、
白球は高く、遠く飛んでいった。
途中で違うクラブを握った。
これも、心地よい音といっしょにボールが飛んだ。
彼の打ちっぷりと一緒に、近くの席で練習する様子も見た。
みんな変わりなく、次々とボールは空へと向かった。
そこで、私はとんでもない誤解をした。
文化系の彼ができる。
私とさほど変わりない人たちも、
周りでポンポンと打っている。
だから、「簡単にできる!」と思い込んだ。
「ワタル、やってみるか?」。
彼に、クラブの握り方を教えてもらい、
一番短いクラブを持って、練習席に立った。
彼や周りと同じように、2,3回素振りをして、
緑色の人口芝シートにあるゴルフボールに向かった。
クラブを振りきると、「ボールは遠くへ飛んでいく・・」
はずだった。
ところが、打球音も打感もない。
予想していた方向にボールが飛んでない。
急いで、緑色のシートを見た。
白球が、そのまま残っていた。
「カラ・・フ・リ!」
誰にでもなく、小さく言った。
その日、くり返しくり返し彼から、
スイングのアドバイスを受けた。
しかし、白球が乾いた打球音で、
遠くへ飛んでいくことはなかった。
2階席から打ったボールが力なく地面に落ちるのを、
何度も何度もくり返した。
数週間後、再び練習場へ誘われた。
今日こそはと、アドバイスを受けながら、
時には彼のクラブも借りて、スイングした。
結果は前回と大差なく、
2階席からぽとりとボールが落ちた。
以来、彼と練習場に行くことも、
ゴルフを話題にすることもなくなった。
▼ それから、40年が過ぎた某日。
いつもより1時間も早い昼食を済ませると、
ゴルフ用のポロシャツとズボンに着替える。
玄関でゴルフシューズを履き、
キャディーバッグを愛車のトランクに積み込む。
そして、通い慣れた道を有珠山の麓へ向かう。
農道のような十字路の脇にある『熊出没注意』の看板を、
見ながら右折すると、まもなく伊達カントリー倶楽部に着く。
自宅から15分で、クラブハウスでの受け付けが終わる。
キャディーバッグをゴルフ場のスタッフに預けると、
持ち物は財布とスマホだけ。
ロッカーも使わない。着替えもしない、
レストランで食事もしない。
マスター室へ直行すると、
「クラブは、31番カーに積んであります。
いつでも出発できます。
用意ができたら、どうぞ!」。
常連さんのような振る舞いには、できるだけ気をつけ、
家内と二人乗りカートで、静かに1番ホールへ向かう。
予約は、12時30分スタート。
でも、それより15分も早い時間にティーグラントへ。
70を過ぎた夫婦のラウンドへの気配りか、
次にスタートする組との間隔が空いている。
だから、ゆったりとした気持ちでプレーする。
中々パーは取れないが、
ドライバーもフェアーウエイウッドもアイアンも、
乾いた打球音で飛んでいくことが多い。
白球が、イメージ通りの弧を描いて緑の中を飛ぶ。
その爽快感の虜になって、
次へ次へとカートを走らせ、コースを進む。
珍しく17番ホールまで好成績で進んだ。
谷越えのパー3だった。
ワンオンねらいで、ショートアイアンを振った。
思いもしない、ミスショット。
ボールは谷へぽとりと落ち、「OB!」。
突然、40年前の練習場の私を思い出した。
T君は、10年以上にわたる闘病生活の末、3年前に他界した。
一緒にラウンドすることはなかった。
「あの時、君が語っていたゴルフの楽しさを、
今、満喫している!」。
その日の日記に、そう記した。
薄紅色のコスモスが 町中に
※次回のブログ更新予定は、9月25日(土)です
中学3年からは仲良し5人組の1人だった。
30歳を過ぎて間もなく、全くの偶然だが、
同じ団地のしかも隣の棟に、彼と私は住み始めた。
北海道室蘭で18歳まで過ごし、
別々の道を歩んでいた2人が、
遠く千葉市の一角で再び出会ったのだ。
自動車関係の仕事をしていた彼には、
マイカーの購入から点検整備まで、
何かと便宜を図ってもらった。
丁度バブル景気が始まった頃だったろうか。
お客さんが、彼の仕事ぶりを見て、
ヘッドハンティングをした。
そして、起業したばかりのカーリース会社の、
営業マンとして、毎日、都心にある営業所へ通勤していた。
「ワタル、俺、ゴルフを始めたんだ。
最初は、仕事の接待で社命が出て、
クラブを買ったんだ。
やってみると、それが中々面白い。
ワタルもどうだ。一緒にゴルフ・・・」。
久しぶりに、少々酒を酌み交わしながらの近況報告で、
彼はそんなことを言いだした。
話は止まらなかった。
芝生の緑が広がるコースの綺麗なこと、
洒落たクラブハウスのこと、
そして、白球がカップインした時の嬉しさ等々。
中学、高校を通して、文化系だった彼が、
夢中でゴルフを語ることが不思議だった。
最後には、
「とにかく、練習場に行こうよ。
クラブを振ってみようよ!」。
そうくり返し、とうとう誘いに同意することになってしまった。
次の日曜日、彼と2人で国道沿いの、
打ちっ放しのゴルフ練習場へ初めて行った。
1階と2階に、100席余りの練習席があった。
大勢の人がクラブを振っていた。
『ゴルフは金持ちの道楽!』。
そんな先入観があったが、
熱心に練習している人たちの顔ぶれは、
彼や私と大差を感じなかった。
どの人も乾いた打球音で、
遠くへボールを飛ばしていた。
2階席を1つ借りて、2人で使うことにした。
彼は、マイクラブの入ったキャディーバッグを持ってきた。
私は、彼に言われるまま、受付でクラブを3本借りた。
最初は、彼が打つのを見た。
乾いた音と一緒にボールが空へと飛んだ。
やや方向が違うことがあっても、
白球は高く、遠く飛んでいった。
途中で違うクラブを握った。
これも、心地よい音といっしょにボールが飛んだ。
彼の打ちっぷりと一緒に、近くの席で練習する様子も見た。
みんな変わりなく、次々とボールは空へと向かった。
そこで、私はとんでもない誤解をした。
文化系の彼ができる。
私とさほど変わりない人たちも、
周りでポンポンと打っている。
だから、「簡単にできる!」と思い込んだ。
「ワタル、やってみるか?」。
彼に、クラブの握り方を教えてもらい、
一番短いクラブを持って、練習席に立った。
彼や周りと同じように、2,3回素振りをして、
緑色の人口芝シートにあるゴルフボールに向かった。
クラブを振りきると、「ボールは遠くへ飛んでいく・・」
はずだった。
ところが、打球音も打感もない。
予想していた方向にボールが飛んでない。
急いで、緑色のシートを見た。
白球が、そのまま残っていた。
「カラ・・フ・リ!」
誰にでもなく、小さく言った。
その日、くり返しくり返し彼から、
スイングのアドバイスを受けた。
しかし、白球が乾いた打球音で、
遠くへ飛んでいくことはなかった。
2階席から打ったボールが力なく地面に落ちるのを、
何度も何度もくり返した。
数週間後、再び練習場へ誘われた。
今日こそはと、アドバイスを受けながら、
時には彼のクラブも借りて、スイングした。
結果は前回と大差なく、
2階席からぽとりとボールが落ちた。
以来、彼と練習場に行くことも、
ゴルフを話題にすることもなくなった。
▼ それから、40年が過ぎた某日。
いつもより1時間も早い昼食を済ませると、
ゴルフ用のポロシャツとズボンに着替える。
玄関でゴルフシューズを履き、
キャディーバッグを愛車のトランクに積み込む。
そして、通い慣れた道を有珠山の麓へ向かう。
農道のような十字路の脇にある『熊出没注意』の看板を、
見ながら右折すると、まもなく伊達カントリー倶楽部に着く。
自宅から15分で、クラブハウスでの受け付けが終わる。
キャディーバッグをゴルフ場のスタッフに預けると、
持ち物は財布とスマホだけ。
ロッカーも使わない。着替えもしない、
レストランで食事もしない。
マスター室へ直行すると、
「クラブは、31番カーに積んであります。
いつでも出発できます。
用意ができたら、どうぞ!」。
常連さんのような振る舞いには、できるだけ気をつけ、
家内と二人乗りカートで、静かに1番ホールへ向かう。
予約は、12時30分スタート。
でも、それより15分も早い時間にティーグラントへ。
70を過ぎた夫婦のラウンドへの気配りか、
次にスタートする組との間隔が空いている。
だから、ゆったりとした気持ちでプレーする。
中々パーは取れないが、
ドライバーもフェアーウエイウッドもアイアンも、
乾いた打球音で飛んでいくことが多い。
白球が、イメージ通りの弧を描いて緑の中を飛ぶ。
その爽快感の虜になって、
次へ次へとカートを走らせ、コースを進む。
珍しく17番ホールまで好成績で進んだ。
谷越えのパー3だった。
ワンオンねらいで、ショートアイアンを振った。
思いもしない、ミスショット。
ボールは谷へぽとりと落ち、「OB!」。
突然、40年前の練習場の私を思い出した。
T君は、10年以上にわたる闘病生活の末、3年前に他界した。
一緒にラウンドすることはなかった。
「あの時、君が語っていたゴルフの楽しさを、
今、満喫している!」。
その日の日記に、そう記した。
薄紅色のコスモスが 町中に
※次回のブログ更新予定は、9月25日(土)です
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます