ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

宿泊学習での 『危機』

2018-03-31 17:48:20 | 教育
 4月だ。新年度のスタートである。
きっと、学校はその準備に追われていることだろう。
 
 さて、今回は宿泊学習についてである。
『修学旅行』の方が一般的な言い方だが、
東京では、『宿泊体験学習』『林間学校』『臨海学園』等々、
区や市町村によって違う名称が使われている。

 主に5年生と6年生が、参加する宿泊を伴う行事だが、
2泊3日が主流だろう。
 行き先は、区や市で決まっている場合、
それぞれの学校が単独で決めている場合がある。

 私は、高学年担任として、あるいは引率スタッフとして、
管理職として、この宿泊学習に同行した。
 学校では見せない子どものハツラツとした姿に出会え、
明るい気持ちで過ごすことが多かった。

 しかし、学校内の日常とは違う3日間である。
思いがけない出来事に遭遇することも、珍しくなかった。
 「危機」とは、やや大袈裟だが、そんな出来事を2つ記す。


  その1

 若い頃だ。5年生担任だった。
夏休みに入ってすぐ、
引率教員6名で、2学級約70名と一緒に日光へ行った。

 区立の宿舎を利用し、2泊3日の共同生活である。
それは、子ども達にとって、初めての宿泊体験だ。

 広い食堂で一斉に摂る食事、友だちと一緒に入るお風呂、
そして子どもだけの部屋での就寝、
その全てにワクワクしながら過ごしていた。

 メイン行事は、2日目の奥日光ハイキングであった。
その年は、私にとっても初めてだったが、
『切り込み湖刈り込み湖コース』を歩くことになっていた。

 『戦場ヶ原コース』よりも、体力が求められた。
だが、実施踏査をした同学年の先生からは、
5年生でも十分に歩けると報告があり、
そのコースを選択した。

 快晴の夏空、奥日光の軽快な涼風を感じながら、
子ども達は、思いのほか元気にこの難コースを進んだ。

 途中で宿舎で作ってもらった弁当を食べ、
最後の難所と言われた山王峠まで登りきった。
 ここからは、下りの山道を50分程で、
光徳牧場のゴールである。

 私も子ども達も安堵していた。
誰も音を上げず、ここまで歩いて来た。
 達成感のようなものを持ちながら、
めいめい腰を下ろして休憩した。

 若干広い峠だった。
私たち以外にも、3,4校が思い思いに休んでいた。
 わずかな時間しか過ぎていなかったのに、
山の天気である。
 急に黒い雲が私たちをおおった。
冷たい風に変わった。

 あっと言う間もなく、
大きな雨粒が激しく降り始めた。
 各校とも休憩を止め、集合の笛が響いた。

 その間にも、雨は激しさを増した。
遂に、すぐそこで耳を裂くような雷鳴が轟き始めた。

 「整列はいい。一本道だから、
バラバラにならないように下山しなさい。」
 校長先生の大声がとんだ。

 子ども達は、音をたてて降りしきる雨と、
物凄い雷鳴がくり返す中、次々と下山を始めた。
 雨具を着ている間などなかった。

 校長先生は、引率の私たちにも指示を出した。
私は、最後尾をまかされた。

 峠にいた他の学校も、同様の下山を始めた。
2,3百人の子ども達が、全身をぐっしょり濡らしながら、
次々と山道を下りていった。

 私は、雨で視界を遮られながらも、
子どもが残っていないことをしっかりと確認してから、
峠を後にした。

 驚くような激しい雨だった。
何かが裂けるような落雷音に、私さえ恐怖を覚えた。

 山道を下り始めて、どの位の頃だろう。
雨水の流れですべりそうになりながら、
私は、女の子と手をつないでいた。

 豪雨の中、夢中で下山しながら、
女の子に追いついた。
 いつの間にか、私の手を握って、女の子は足を進めた。
私は、その手を離さないで、
とにかく安全な所まで逃げよう。
 それだけだった。

 どれくらいの時間だったのだろう。
30分も過ぎただろうか。
 ツルツルとすべる急な下り道が終わったのと一緒に、
雨も雷鳴も遠のいた。
ようやく、やや広い道になった。

 「よかったね。雨、上がったよ。」
手をつないでいる女の子を見た。
 「よかった。」
女の子も、私を見上げた。

 その時、思わず変な声が出そうになった。
女の子も濡れたまま、
目を丸くして、驚いた顔になった。
 再び、驚いた。
矢っ張り、見たことのない顔なのだ。
 女の子も、見たことのない先生だっただろう。
同時に、二人とも手を離した。

 女の子は、何も言わず、
少し離れた所の集団に向かって走り出した。
 私は、その後ろ姿を放心したように見た。

 「他の学校の子だったんだ。」
そう気づくと、突然、おかしさがこみ上げた。

 回復する空を見上げ、私は全身ずぶ濡れのまま、
おかしさをこらえ、女の子の横を通り過ぎた。
 そして、学級の子ども達が待っている所を探した。


  その2

 校長になってまもなくのことだ。
6年生と一緒に、
前日光の山村にある区立の宿泊施設に行った。
 これも2泊3日だった。

 少しでも充実した宿泊体験になるようにと、
その年初めて、3日目の午前中に、
そば打ち体験を企画した。
 その準備と指導は、
地元のお母さん達が引き受けてくれた。
  
 5,6人でグループを作って、
そば粉と水をまぜ、そば打ちが始まった。
 子ども達の多くは、初めての体験に、
真剣そのものだった。

 私は、そんな子どもの姿を見て、
明るい気持ちでいた。

 10分位経過した頃だったろうか。
男の子が、グループから離れ、
「体がかゆい。」と、担任に訴えた。

 幸いなことに、この宿泊には養護教諭が、
引率者の一人として帯同していた。

 担任はすぐにその子を、養護教諭に診せた。
「もしかしたら、そばアレルギーかも知れない。」
 そんな報告が私に届いた。

 養護教諭は、念のためとして、
その子をそば打ち体験の会場から、
遠く離れた所で休ませた。
 その上、子ども達が打ったそばの試食もさせなかった。

 その後、その子の症状は消え、3日目の行程を全て終え、
他の子と一緒に学校に戻った。

 帰校してすぐ、養護教諭は保護者に電話を入れた。
保護者は、「そばアレルギーの疑い」に驚いた。
 翌日、病院で検査を受けた。
結果は、養護教諭の診立て通りだった。

 「もし、そのままそば打ちを続けていたら、
急な呼吸困難など、危険な状態になっていたでしょう。」
 医者の説明を聞いた保護者は、
養護教諭の適切な対処に感謝した。

 あの場に、養護教諭がいたこと、
そして的確な対処をしたこと、
それが、そばアレルギーの子を救った。

 その後、子どものそばアレルギーを考え、
どこの学校でも、うどん打ち体験に変更したようだ。
   



 我が庭のクロッカス 今年も春を知らせに      

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