ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

71歳の 新秋

2019-10-12 20:41:40 | ジョギング
 ①
 伊達に住み始めて7年になるが、
以来ずっと、散歩代わりにランニングをしてきた。

 生活のリズムとして始めたが、
こんなに長く続くとは思ってもみなかった。

 『伊達ハーフマラソン』大会を初め、
いくつかのマラソン大会に参加するようになった。
 それが励みになり、継続できたのだと思う。

 さて、5年前からマラソン大会出場の定型ができた。
それは、
 4月に伊達ハーフマラソン(ハーフ)、
 5月に洞爺湖マラソン大会(フルマラソン)、
 6月に八雲ミルクロードレース(ハーフ)、
 9月に旭川ハーフマラソン(ハーフ)、
 11月に江東シーサイドマラソン(ハーフ)だった。

 ところが、今年はそれに狂いが生じた。
1つは、5月の洞爺湖から6月の八雲までの期間が短く、
八雲へ出場することを諦めた。
 もう1つは、出場を予定していた『江東シーサイドマラソン』だが、
エントリーが多く、抽選で外れてしまい、出場できなくなった。 

 その上にだ。
4月の伊達は10キロも走らずにギブアップ。
 5月の洞爺湖は30キロまでがやっとで、リタイア。
ここまで、完走がないのだ。

 こうなると、9月29日(日)の旭川ハーフマラソンが、
今年最後の大会出場となる。
 想いはだた1つ。
今年1枚きりになるが、『完走証がほしい!』。

 記録は、自己ワーストでいい。
完走者の最下位でもいい。
 とにかく2時間40分の閉門までに、
21、0975キロをゴールしたい。
 それだけを目標に、その日、私は走った。


 ② 旭川は、広い盆地の中にある。
しかも、いくつもの大きな川が流れている。
 大会の主催者はあいさつで、
開口一番「皆さん、川の街へようこそ」と言った。

 そんな幾筋もの川の土手道や河川敷の遊歩道と橋、
道内第2の都市の市街地の4車線、そして自衛隊駐屯地内の道路と、
バリエションあるコースが、このマラソン大会のポイントだ。

 平坦な道に、土手や河川敷への上り下りが数カ所あり、
その上勾配のある橋が、体力を奪うのだ。

 だが、他のマラソン大会より、コースのいたるところで、
声援を送ってくれる人々がおり、途切れない。
 私は、それに励まされる。

 これで出場が、5回目になる。
コースも熟知している。
 例年と同じ場所で声援を送ってくれる方々の記憶が蘇った。

 まずはその声援についてだ。

 市街地の道路脇、7キロ付近には私設の給水所がある。
その先の交差点そばの自宅前では、簡易ベンチを出し、
家族そろって手を振り、ランナーを見送っていた。
 民家の並ぶ道では、
門柱に、『みんな、ガンバレ』の看板が立っている。
 旭橋では、義姉が私の名前入りのぼりを掲げて待っている。
1つ1つに、心が熱くなった。

 さて、10キロを過ぎて後半に入ってからだ。
次第に足が重くなった。
 走り込み不足を後悔しながら、マイペースで走った。

 コースが公園の散歩道から、土手道への上りにさしかかった。
この坂では、歩きだすランナーが意外と多い。
 私は、決まって呼吸を整えてから、
淡々と駆け上ることにしていた。

 その坂にかかってすぐだ。
道路右脇から、声が聞こえた。
 その声は、確か昨年も1昨年も聞いた気がする。
だが、この坂道に夢中で、気に止めてこなかった。

 なのに、今年は耳に飛び込んできた。
その声は、つぶやくように細かった。
 「これ、食べて行きなさい。食べて行きなさい。」

 やや腰の曲がった女性はそう言って、
四角い缶から、小さなクッキーを差し出していた。

 隣に並ぶ同世代の女性が、続いた。
「手作りです。手作り!」。

 「いただきます。ありがとうございます。」
笑顔で、クッキーを1枚手にしたかった。
 でも、その余裕が私になかった。
軽く会釈だけした。

 通り過ぎてから、
「これ、食べて行きなさい。」
の、あの細い声が母のそれと重なり、
いつまでも耳にあった。
 しばらくはそれが力になり、走り続けられた。

 続いて最終版だ。
ゴールまで2キロをきった所に、
河川敷からの最後の上り坂が待っている。

 ここで、3人の方が応援してくれていた。
もうヘトヘトの場面での励ましは、
そこに立って見守ってくれているだけで、
力になる。

 なのに、1人の男性が何やら叫び続けていた。
聞き取れるところまで近づいた。

 「もう少しで、ビールが飲めます。
もう少しで、ビールです。」
 それだけをくり返し、大声で言っていた。
 
 「そうか。ビールか。」
きっと私だけではないに違いない。
 このタイミングで、この声援だ。
どれだけのランナーが、この声を聞きながら、
この坂を上ったことだろう。
 
 今夜の宿と、夕食の生ビールを想像した。
その間に、スイスイと坂道を進んでいた。

 上りきって左の橋へ曲がった。
欄干から後続ランナーを見た。
 「もう少しで、ビールが・・」
と、声援が続いていた。
 後1キロ余り、苦しさに変わりはないが、
明るい気持ちでゴールを目指していた。 

 
 ③ 沿道からの声援は、
素敵なことばかりではなかった。

 実は、昨年の大会から、
ハーフマラソンのコースが一部変更になった。

 10キロまでの折り返し地点が近くなった。
その分、後半のコースが5キロ程度延長された。

 それを知らずに声援を送るお年寄りがいた。
彼は、目の前を通りランナー1人1人に、
小声でくり返し言った。

 私にも言ってくれた。
「ゴールまで後2キロです。ガンバレ。」
 変更前は、その通りだった。

 それが間違いだと瞬時に分かった。
でも、1人1人への声援が嬉しかった。

 しかしだ。
そのお年寄りは、
私の後続ランナーにも同様の声援を送った。

 最初に、そのランナーの弁護をする。
ゴールまでまだ7キロ、3分の1も残っていた。
 辛さ、苦しさのピークが近づいているところだ、
そこで、ゴールまで2キロと言う誤った情報だ。

 後続ランナーは、小声で声援するお年寄りに向かって、
声を荒げた。
 「そんなはず、ないだろう!」

 その声の大きさと、強さに、私まで萎縮した。
それまで長い時間、
声援を続けてくれた沿道のお年寄りが、
どんな気持ちになったか。

 でも、走り続けるしかなかった。
しばらく心が傷んだ。

 後続ランナーの言動を理解しつつも、
許せなかった。

 71歳のランナーは、ムキになった。
「この人より先にゴールする。絶対に抜かせない。」
 それしか私の気持ちを納める方法がなかった。
後続の足音を気にかけながら、走り続けた。

 さて、21、0975キロの結果だが、
完走証を手にすることができた。
 ほっとしてまもなく、花咲陸上競技場の門が閉鎖され、
トラックから人影が消えた。

 「また来年、ここを走りたい。
そして、またあの声援を受けたい。」
 そう思いながら、
夕食の生ビールをグイッと飲んだ。
 「う~ん、うまい!」。

 


  10月 伊達の遠景 何故かもの悲しい! 

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