平野郷の道標 ~旅人たちの分岐点
「環濠自治都市・平野郷」は中世より、近世にかけて各地と交易し、交通の要衝として発展した。
戦国時代には町の安全と自治をまもるため集落の周りを二重の堀と土居でめぐらし外敵の侵入を防いだ。
大部分が埋め立てられた環濠だが、今でも、環濠入口跡には地蔵堂が残っている。
各所に残る石造りの道標には「 大坂、難波、天王寺、堺、住吉、葛井寺、八尾、奈良、信貴山、道明寺、高野山、大峯山上」などの文字が辛うじて読み取れる。
中世の旅人たちはここを分岐点にそれぞれの地に向かったのだろう。
杭全神社参道に立つ道標。
全興寺境内の道標。全興寺は中高野街道に面している。
「右 さ山 高野山 すぐ信貴山道」、「左 ふじ井寺 道明寺 大峯山上」と読める。
25号線横に立つ道標。
数年前にトラックにへし折られたが、痛々しいながらも修復されている。
商店街の中ほどにひっそりと佇む道標。
昔の史跡跡にも石碑が立つ。「含翠堂」は平野のプライド。
平野のシンボルともいえる、二つの石碑は平野公園にある。