語り継ぐ大阪空襲 ~ピース大阪 ①
森ノ宮駅から西へ400m、大阪城公園の一角に「ピース大阪」(大阪国際平和センター)がある。
1945年(昭和20年)の空襲で焼き尽くされた大阪の街と人々の記憶を語り継ぐことで、平和の情報発信基地たらんとして設立されたミュージアムである。
この町の片隅にも、きっと、すずさんはいた。
軍医だった祖父は、父を連れて満州に渡った。
やっと、帰国できたと思った束の間、祖父母は天王寺で空襲に遭い焼け出された
大阪城の歩兵工廠近くに住み、戦局悪化のため、田舎に疎開した母。
ちなみに母方の祖母の名は、すず。
ピース大阪に展示されている記憶は家族の記憶と重なる部分がある。
満蒙開拓団、壮行会
疎開
ピース大阪 内部
いもがゆは米に、さつまいもやじゃがいも、かぼちゃと様々な雑穀をまぜて、かさましした、おかゆ。
すいとんは小麦を練っただんごと野菜のつるや野草等を煮てつくった汁物。
空襲警報を実際に聞いたような気がする。
それは、親にさんざん聞かされたからなのか、それとも、夢をみたのか、はたまた、TVのシーンにそんなのがあったせいなのか、わからない。
その記憶があまりに生々しいので、前世では空襲で亡くなっているのではないかと思うようになってきた。
☆☆☆
戦局は悪化の一途。ついには無差別爆撃へ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます