プロレスラー墓名碑2022 ~アントニオ猪木 ①
10月1日の朝10時ころだったろうか、突然、ネットニュースのディスプレイに猪木の訃報が流れた。
ついに、その日がやってきたのだ。
覚悟はしていたが、まるで、肉親の死に接したときのように深い喪失感と虚無感に襲われた。
今更ながら、この男の存在が自分に与えた影響の甚大さに気づく。
予感はあった。
いや、我々に予告するように彼はファンに向け「最後の闘魂」というユーチューブにより、刻々と変化する状態を発信していたのだから。
難病に侵されてボロボロとなった猪木が、それでも病魔と闘う姿をファンにわざわざ見せるなんて、闘魂は最後まで、闘魂だった。
慌てて、私も追悼となるブログ記事を1時間ほどで書き上げて、弔うように発信した。「闘魂、天に燃ゆ」
★★★
猪木について語るには、もちろん、プロレスラーとしての猪木が基盤となるのだが、プロデューサー、事業家、政治家、哲人など、すべてのフェイスを包含しなければ意味をなさない。それくらい、スケールの大きな人だった。
猪木の言うことを真に受けてはならないという人がいる。
誠に常人の思考範囲ではとても理解できないところがあった。
事業などに手を出さず、プロレス・格闘技だけに専念していればよかったのにという人がいる。
そもそも、私利私欲の事業家ではなかったのだから、その観点は全く論を俟たない。
人類規模の課題解決に挑むことこそ、彼のロマンだったのだから。
もっとも、こんな現代のドン・キホーテ、ドリーマー猪木の側にいて、とんでもない目にあった人も多かったのも事実。
ところが不思議なことに彼を憎んで去っていった人も、いつの間にか、またブーメランのように彼のもとに戻ってくる。
そんな現象を書き始めたら、キリがなくなるので、第一回はレスラーとしての猪木にスポットを当ててみる。
猪木が全盛期をやや過ぎたある日、新日会場である大阪府立体育館の一階の一番奥の席で観戦していて、ふと、あることに気がついた。
一番奥の席であるにも拘らず、猪木の表情がはっきりと読み取れるのだ。
猪木より大きな坂口であっても、表情まで、読み取ることなどできないのにである。
猪木はリング上で人生を表現できる稀有のレスラーだった。
俳優?ショー?いや、ちょっと違う。
やはり、プロレスは村松友視いうところの独自のジャンルであり、猪木はガチンコの実力+αという観点で、その世界の頂点にいた。
猪木の闘う姿に観客は感情移入し、ついには自身さえ、猪木と同化していった。
イノキコールは自分自身の人生へのシュプレヒコールだった。
観客ひとりひとりが猪木のファイトをみたあと、今度は自分が自分のリングで闘うために。
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