母・一周忌に寄せて ① ~在りし日を偲ぶ3句
朝、出社の道すがら、いつものように、街角あちこちで、ヘルパーさんが利用者さんに寄り添うようにして、デイサービスのお迎えの車に乗車させている光景を目にした。
「嗚呼、もう一年経ったのか」と感慨深い。
私たちも昨年の今頃まで、ずっと、お世話になっていた光景だ。
要介護4の母を見送って、このたび、早や、一周忌を迎えることと相成った。
追悼の意を込めて、昨年に続き母の作った3句をビジュアル化してみた。
『 妖艶な 能の小面(こおもて) 月に舞う 』
『 老いてなほ 夢果てしなし 青き踏む 』
『 風立ちて 蒲公英絮(たんぽぽわた)の舞い遊ぶ 』
一年かけて、遺品整理に励み(まだまだだが)、漸く、家で法要を営むことができた。
今回は何処かの会場ではなく、両親が終の栖とした「家で」、法要を営むことに拘った。
両親それぞれの作品に囲まれての展覧会のような法要、それが、せめてもの親孝行かと思ったからだ。
酷暑のなか、俳句会でお仲間だった皆さんにもお参りいただいて、感謝しきりである。
この3年間に両親を相次いで見送ったが、「よく生きていく」ことの意味を改めて噛みしめる朝である。
エッセイ「 ”どんどこ” が聞こえる」
母は毎朝、家族の誰よりも早く起きて、家事にドタバタとしていた。
当時、団地住まいの家で私の部屋は台所の真横だったため、毎朝、このドタバタで目覚めることになる。
このドタバタが “どんどこ” に聞こえたのは母が偏平足で床を踏むためだった。
また、私の寝床はベッドではなくて、畳に布団というスタイルだったため、床の振動が直に鼓膜に響いたせいらしい。
とにかく、この ‟どんどこ” が当時、目覚まし時計の代わりにもなっていた。
母は専業主婦だったわけではなく、家族が出ていったあともパートや勤めで忙しかったのに、私が帰るころには夕餉の支度にも抜かりなかった。
毎度毎度の食事の支度に感謝しながらも、いつかは恩返ししなければと朧気ながら思っていた。
あれから、幾星霜。
両親と何十年か振りに同居することになった。
両親の老衰は日毎に進行していく状態だった。
長い闘病の末、父を見送ると同時に母の急激な衰えも顕著になってきた。
それでも、すぐにドタバタと動く性格故、家の中で何度か転倒と骨折を繰り返し、ついには要介護4(殆ど寝たきり状態)となった。
いつの間にか、毎朝のドタバタも私がやるようになっていた。
そして、気がつくと、私も ‟どんどこ” と床を踏んでいた。
私も偏平足だったのだ。
夜中に下の世話や錯乱のため何度も起こされるので殆ど眠れない日が続いていた。
仕事しながらの介護生活は果てしなく続くように思われた。
今朝方、ベッドの中でまどろんでいると、久々に ‟どんどこ” が聞こえたような気がした。
初盆の朝を迎えていた。
仏壇に手を合わせると母はいつものように穏やかに微笑んでいた。
(あずき煮えた)
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