ばくのメモ帳

『ばくのお宿』管理人の西みつのり、略して西みつのメモ帳です。ホームページに書き切れない雑多な情報を綴ります。

最近入手した絵はがき1 江の島展望灯台

2014年01月24日 | タワー
最近入手した絵はがきです。汚れが目立ちますが、(旧)江の島展望塔です。この機会に(旧)江の島展望塔の絵はがきについて整理してみました。



裏面の説明文は、「江の島熱帯植物園内には東洋のエッフェル塔と呼ばれている大展望塔があります。これは高さ43米もあり、ガラス張りの展望エレベーターで昇られます。この塔の上から見た眺めは湘南一帯から伊豆方面までをも一眸に収めて素晴らしいものです。上には灯台があり80万燭光、光達距離46粁です。」

この絵はがきに惹かれたのは、「江ノ島灯台」の文字看板でした。これは初めて見ました。

(旧)江の島展望塔については、「江の島シーキャンドル」のホームページや江ノ電の「当方見聞録」に詳しい説明が掲載されています。

それによると、世田谷の二子玉川に設置されていた「よみうり落下傘塔」を江の島に移築したもので、昭和26年(1951年)3月25日に完成、開業後2ヶ年は「読売平和塔」の名称で営業が開始されたとのことです。

次の「江の島・鎌倉名所カード」には当時の平和塔が写っています。



小さくて見づらいのですが、「讀賣平和塔」の文字看板が掲げられています。江ノ電の「当方見聞録」には、オープンの時と思われる写真があり、「讀賣平和塔」の文字が見えます。

読売平和塔は、2年後の昭和28年(1953年)3月25日、江の島展望塔(展望灯台)に改称されました。この「江の島展望塔(展望灯台)」が正式名称だったようですね。

次の絵はがきです。


看板の文字の部分を拡大してみましょう。


「之島平和塔」と見て取れます。これは前に「江」の文字があり、「江之島平和塔」だったのでしょう。「讀賣」が「江之島」に変えられたわけですから、設置後2年以降のものですね。

次の一枚です。


この文字看板では「讀賣」「江之島」の部分がはずされて「平和塔」になっています。もう一枚、「平和塔」の絵はがきがありました。



裏面の説明文は、前出の「江ノ島灯台」の絵はがきと、まったく同じです。

なお、この絵はがきセットの「江の島水族館」の説明文には「江の島に設備のよい水族館ができました。2億円の費用と9ヵ月の工事で広さは600坪、さる7月1日から開館しています・・・」とあります。

江の島水族館の開館は昭和29年(1954年)ですから、この絵はがきセットの発売も同じ時期になると思います。展望塔の名称変更の1年以上後になります。「平和塔」との名称は無くなったはずなのですが、文字看板には「江之島平和塔」「平和塔」の文字がしばらく残ったのですね。

そして、冒頭に紹介した今回の絵はがきです。この絵はがきは「江ノ島灯台」の文字看板が掲げられています。この文字看板はいつごろまで使われていたのでしょうか。

最後に一番新しいと思われる一枚です。


この絵はがきに見る限り文字看板はありません。完全に撤去されたのでしょうか。それとも写真に写っていない他の面には文字看板があるのでしょうか。

興味深いのは、この絵ハガキ裏面の説明文も、「江ノ島灯台」「平和塔」の説明文と全く同じだと言うことです。それほど離れた時代ではないということですね。

後期の(旧)江ノ島展望塔の写真には、文字看板はないようです。(旧)江ノ島展望塔の文字看板は昭和26年の設置から短期間に限られたのでしょうか。『江ノ電の100年』という社史もあるようなので、図書館で調べてみます。

なお、絵はがき裏面の説明文を読んだ時は「東洋のエッフェル塔」は言い過ぎではないかと思いました。しかし、よく考えてみると、昭和28年12月1日完成の日本テレビ塔、昭和29年8月に運用開始の名古屋テレビ塔よりも早く展望塔を開始しているわけです。

都市のタワーではありませんが、展望タワーとして「東洋のエッフェル塔」を名乗る資格は十分にあった、と今は考えています。


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