市立銚子高校の出身で、大洋、広島で活躍した銚子利夫氏が法政大学野球部の助監督に就任しました。法政大学野球部の「銚子新助監督就任のお知らせ」によると、「2020年2月より母校法政大学野球部の助監督に就任」とあります。
大学時代の球歴では「法政大学野球部在学中、3年生春にサードで初スタメン出場し、首位打者を獲得。4年生で主将を務め、秋にリーグ優勝を経験。ベストナインを3度受賞した。」と記されています。
銚子利夫選手は昭和36年(1961年)8月24日、茨城県鹿島郡波崎町(現神栖市)の生まれです。波崎三中から市立銚子高校に進学しました。
市立銚子高時代には昭和54年(1979年)夏の甲子園に出場しています。当時はピッチャーで、市立銚子高は初めての甲子園出場でした。甲子園ではホームランを打ちましたが、打球を顔面に受けて途中退場しています。その年のドラフトでは近鉄から4位で指名されていますが入団せず、法政大学に進学しました。
昭和58年(1983年)のプロ野球ドラフト会議で大洋ホエールズから1位指名を受け入団、大洋ホエールズでは昭和63年(1988年)に125試合、平成元年(1989年)に114試合に出場、平成元年の打率も2割8分1厘を記録し、レギュラーの座をつかんだかに見えました。しかし、翌年から出場機会が減り、平成4年(1992年)には広島カープに移籍、平成5年(1993年)に引退をしました。
一軍での成績は433試合に出場し、通算打率は2割5分6厘、ホームランは3本でした。引退後は平成18年(2006年)まで横浜ベイスターズの2軍、湘南シーレックスでコーチを務めました。
この機会に、銚子利夫選手のカードを改めて振り返ってみました。
まず、銚子利夫選手のテレホンカードです。現在のところ確認できているのは一枚です。

BBM、ベースボールマガジン社のトレーディングカードの発売は平成3年(1991年)が最初でした。この年は大洋でカード化されています。

平成4年(1992年)と5年(1993年)の所属チームは広島でした。


カルビーカードはレギュラーを確保した平成元年(1989年)に3枚、平成2年(1990年)に1枚が発行されています。




タカラプロ野球カードゲームはルーキーの昭和59年(1984年)から平成3年(1991年)まで6枚が発行されています。






その他のカードは、ロッテベースボールカード、マーメイドなどのカードがあります。




引退後はBBMからメモリアルカードが発売されています。
平成17年(2005年)の05BBM/横浜ベイスターズ<Once upon a time>ではOBとしてカード化、直筆サインカードも発行されました。

直筆サインカード 15/30
平成20年(2008年)の「ホエールズ・ベイスターズ横浜移転30周年記念カード」では2種類の直筆サインカードが封入されました。

直筆サインカード 26/75
直筆サインカード 17/25
平成21年(2009年)には横浜ベイスターズのチームセットの背番号物語で下窪陽介選手と背番号9でコラボしています。

同年のBBMヒストリックコレクション2010「MEMORY MAKERS~きらめきの瞬間」でもOB選手としてカード化され、フォトグラフカードも発行されました。

[スペシャルインサートカード]<PHOTOGRAPHIC CARD> 060/200
最近では平成29年(2017年)の「タイムトラベル1989」で篠塚利夫選手、宇野勝選手と共にカード化されました。


限定90枚の直筆サインカードも封入されていました。


最後に、横浜DeNAベイスターズの「ハマスタレジェンドマッチ」のカードです。


銚子利夫氏と法政大学野球部の活躍を期待します。
大学時代の球歴では「法政大学野球部在学中、3年生春にサードで初スタメン出場し、首位打者を獲得。4年生で主将を務め、秋にリーグ優勝を経験。ベストナインを3度受賞した。」と記されています。
銚子利夫選手は昭和36年(1961年)8月24日、茨城県鹿島郡波崎町(現神栖市)の生まれです。波崎三中から市立銚子高校に進学しました。
市立銚子高時代には昭和54年(1979年)夏の甲子園に出場しています。当時はピッチャーで、市立銚子高は初めての甲子園出場でした。甲子園ではホームランを打ちましたが、打球を顔面に受けて途中退場しています。その年のドラフトでは近鉄から4位で指名されていますが入団せず、法政大学に進学しました。
昭和58年(1983年)のプロ野球ドラフト会議で大洋ホエールズから1位指名を受け入団、大洋ホエールズでは昭和63年(1988年)に125試合、平成元年(1989年)に114試合に出場、平成元年の打率も2割8分1厘を記録し、レギュラーの座をつかんだかに見えました。しかし、翌年から出場機会が減り、平成4年(1992年)には広島カープに移籍、平成5年(1993年)に引退をしました。
一軍での成績は433試合に出場し、通算打率は2割5分6厘、ホームランは3本でした。引退後は平成18年(2006年)まで横浜ベイスターズの2軍、湘南シーレックスでコーチを務めました。
この機会に、銚子利夫選手のカードを改めて振り返ってみました。
まず、銚子利夫選手のテレホンカードです。現在のところ確認できているのは一枚です。

BBM、ベースボールマガジン社のトレーディングカードの発売は平成3年(1991年)が最初でした。この年は大洋でカード化されています。

平成4年(1992年)と5年(1993年)の所属チームは広島でした。


カルビーカードはレギュラーを確保した平成元年(1989年)に3枚、平成2年(1990年)に1枚が発行されています。




タカラプロ野球カードゲームはルーキーの昭和59年(1984年)から平成3年(1991年)まで6枚が発行されています。






その他のカードは、ロッテベースボールカード、マーメイドなどのカードがあります。




引退後はBBMからメモリアルカードが発売されています。
平成17年(2005年)の05BBM/横浜ベイスターズ<Once upon a time>ではOBとしてカード化、直筆サインカードも発行されました。


平成20年(2008年)の「ホエールズ・ベイスターズ横浜移転30周年記念カード」では2種類の直筆サインカードが封入されました。



平成21年(2009年)には横浜ベイスターズのチームセットの背番号物語で下窪陽介選手と背番号9でコラボしています。

同年のBBMヒストリックコレクション2010「MEMORY MAKERS~きらめきの瞬間」でもOB選手としてカード化され、フォトグラフカードも発行されました。


最近では平成29年(2017年)の「タイムトラベル1989」で篠塚利夫選手、宇野勝選手と共にカード化されました。


限定90枚の直筆サインカードも封入されていました。


最後に、横浜DeNAベイスターズの「ハマスタレジェンドマッチ」のカードです。


銚子利夫氏と法政大学野球部の活躍を期待します。