ばくのメモ帳

『ばくのお宿』管理人の西みつのり、略して西みつのメモ帳です。ホームページに書き切れない雑多な情報を綴ります。

『七つ池』の由来など その2

2020年04月14日 | 銚子
あと明らかにしておきたいことは、七つの池の個々の名称の確認と、現在の三つ池に減っていった経過です。

前回のブログを繰り返すと、七つ池の名称は、「塚子森の溜池、これは、岩ゼキのすぐ下にありしが、今は田地と変じたり。これと、岩ゼキ、ヒルモゼキ、中ゼキ、上ゼキ、江戸ゼキ、新池」となります。

「すぐ下」とはどの方角なのかがわからないのですが、最初になくなったのは利根川から見て一番奥、南側と推定します。このことから仮に名称を振ってみると、南側から岩ゼキ、ヒルモゼキ、中ゼキ、上ゼキ、道路をはさんで江戸ゼキ、新池となるのではないでしょうか。

『西銚子町誌』と同時期の資料に『千葉県海上郡誌』があります。(大正6年5月30日発行、千葉県海上郡教育会編纂)

七ッ池についての記述です。「西銚子町長塚に在り、長蛇の延蜿せる如し、往時は七区に分ち堰を設けありしを以て土俗七ッ池と呼ぶ、近時之を四区に区分し、各堰を設けたり、縦四百八十間横二十間乃至三十間面積四町歩あり、灌漑の便多し。」

堰を付け替えて池を合体?させる作業は大正時代から行われていたようです。『海上郡誌』に収められている五万分の一の地図でも、描かれている池は4つです。

前回のブログの地図を再度掲載します。


戦後、桜の名所七つ池が出来た頃は、このイラストのように6つ池でした。『海上郡誌』の記述とは矛盾しているように思えます。

図書館で調査することが出来ないので、ウェブ上で資料を探してみました。

千葉県『農業用ため池データベース』(令和2年3月31日現在)を見つけることが出来ました。この中から七つ池を探すと、4つの池がありました。

七つ池蒜藻堰(ひるもせき)長塚町4丁目3404 堤高6.8m 堤頂長60.0m 総貯水量14.8千㎥

七つ池中池(なかいけ)長塚町4丁目3417 堤高11.6m 堤頂長65.0m 総貯水量37.6千㎥

七つ池新堰(にいぜき)長塚町4丁目2572 堤高1.8m 堤頂長48.0m 総貯水量6.9千㎥

七つ池上池(かみいけ)長塚町4丁目4018 堤高5.1m 堤頂長50.0m 総貯水量37.5千㎥ 

管理者は長塚町農家組合、所有者は国となっています。番地が掲載されているので、調べれば場所の特定は出来そうです。

ウェブ上では地番の確認までは出来なかったので、これも後日調べてみることにします。名称はそのまま残っているようなので、比較的簡単に特定できるかも知れません。

ここでは、一応次のように推定をしておきます。

一番北、入ってすぐの場所にあるのが「上池」、まん中が「中池」、そして一番南側が「蒜藻堰」、道路をはさんだ所に「新堰」ではないでしょうか。「岩ゼキ」は「蒜藻堰」に吸収されたように思います。

ヤフー地図やグーグルマップで現状を確認すると3池になっており、道路をはさんだ2池はなくなっています。

「江戸ゼキ」はなくなり、「新堰」は小さくなって残っているのかも知れません。手持ちの資料で調べられるのはここまででした。

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